国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





浅見恵理(比較文化学専攻)
ピスキーヨ・チコ遺跡
ポルティーヨ遺跡 土器片
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
   遺跡踏査および発掘事前調査
2.実施場所
  ペルー共和国 リマ、チャンカイ谷
3.実施期日
  平成19年2月15日(木)~2月28日(水)
4.事業の概要
    報告者の博士論文の目的は、先史アンデスの小規模社会で行われた工芸品生産に着目し、小規模社会と隣接する大規模社会との相互関係において、工芸品生産システムが変容し発展するプロセスとその背景を解明することである。調査対象は、紀元後10世紀から15世紀後半にかけてペルー中央海岸に栄えたチャンカイ文化である。この文化は、工芸品の中でも、白地黒彩の土器と多彩色の染織品を生産したことで著名である。また同時期のペルー北海岸には、チムー王国が広大な領域を支配していたことが、スペイン人侵略以降に残された記録文書と考古学的調査によって分かっている。しかし、これらの記録文書の中には、大規模社会チムーとチャンカイとの関係についての記載は見られない。一方、考古資料に関しては、先行研究によってチャンカイ文化の土器の中にチムーに特徴的な土器形式が存在することが指摘されており、両社会の関連性が示唆されている。つまり、小規模社会チャンカイに既存した土器生産システムが、大規模社会チムーの接触によって、少なからず影響を受けているといえるのである。本研究ではこのような社会変化の動態を考察するために、チャンカイ社会の土器生産に焦点を当てて、詳細な分析を試みる予定である。しかしながら、ここで問題となるのは、現在の博物館資料の大半は盗掘品であり、なおかつ、チャンカイ文化に関する発掘調査は数例が行われているにすぎず、土器が出土した遺跡の時期や場所が不明な点である。そのため、現段階では変化のプロセスを捉えることが困難な状態である。この問題克服のため、発掘調査の遂行によって実証的なデータを獲得することが必要不可欠なのである。
上記のような背景をもとに、本事業の目的は、発掘調査を行うための事前準備として、(1)遺跡踏査(2)文献資料の収集(3)研究者との意見交換、を行うことであった。以下に、各調査内容を記述する。

(1)遺跡踏査
首都リマから北へ約80kmに位置するチャンカイ谷にて遺跡踏査を行った。その目的は、チャンカイ谷に分布する多数の遺跡の中から、博士論文の目的に適合し、かつ現実的に発掘調査を行うことが可能な遺跡を選定することである。発掘調査は基礎データの収集手段として必須の作業であり、その調査地選定を誤ると適切なデータ収集が行えないという恐れがある。そのため、発掘を行う前に遺跡を歩いて地表面観察を行い、遺跡の時期や規模等を把握することが重要な作業となる。具体的な調査内容は、チャンカイ文化に属する遺跡の建築物や墓地などの遺構の残存状態の確認と、地表面に散在している考古遺物の種類や量の確認である。今回は現地での調査期間が短いこともあり、効率的に情報収集を行う必要があった。そのため、先行研究や博物館資料のデータから判断して、居住区と墓地が同じ遺跡内に存在する複合遺跡であり、なおかつ土器製作を行ったと考えられる遺跡に的を絞った。その調査地として、ラウリ遺跡、ピスキーヨ・チコ遺跡、ポルティーヨ遺跡の3遺跡を抽出し、踏査を行った。

(2)文献資料の収集
リマで文献資料の収集を行った。主に市内の本屋および国立博物館のミュージアムショップで文献を探し、アンデス考古学の論文集や民族考古学的視点による土器製作の研究に関する書籍等を購入した。特に、入手困難な論文等は、サン・マルコス大学で考古学を勉強している学生に入手を依頼した。また、彼の情報により、チャンカイ谷以外で行われたチャンカイ文化に関する発掘調査の文献資料は、実際に発掘調査が行われた地域でしか入手できないものも多数あることが判明し、次回以降に入手可能なことを確認した。

(3)研究者との意見交換
チャンカイ文化やアンデス考古学に関する知見を深めるため、さまざまな専門領域の研究者と意見交換を行うことを目指した。また、ペルーで発掘調査を行うためには、ペルー考古学者協会に登録しているペルー人考古学者の協力が必須である。今回の調査期間中に、なるべく該当する人物を探して協力を打診する必要があり、信頼のおける友人に紹介を依頼した。

5.本事業の実施によって得られた成果
 

 本事業の実施により、本格的な発掘調査に向けて進展したことが大きな成果として挙げられる。
第一に、遺跡踏査を行うことにより、発掘調査地を絞り込めたことが非常に重要であった。事前に踏査することで、遺跡の立地条件や遺構の残存状態、散在する土器片等の遺物が確認でき、各遺跡の様相を全体的に把握できたことは大いに意義があった。
まず、ラウリ遺跡については、90年代前半に作成された遺跡の全体図と比較すると、その南半部がほぼ消滅していることが判明した。近隣住民によって農地が拡大され、遺跡破壊が進んでいるのである。これは悲しむべき現状であり、早急に研究者による発掘調査が行われることの重要性を再認識した。しかし、墓地はほぼ盗掘されており、またわずかに残存している基壇状建築物や住居の壁は埋没しているため、全体像の把握が困難であった。この遺跡で実際に発掘調査を行うには、相当な時間と労力を要すると感じた。
次に、ピスキーヨ・チコ遺跡に関しては、昨年も訪れていたため概要は把握していたが、今回の踏査により、さらに詳細な観察を行うことができた。墓地に関しては、従来、区域が限定されていると考えられてきたが、居住区の中にも最近盗掘されたと思われる墓が散見された。しかもその範囲が広がりそうなため、まだ未盗掘の墓が存在している可能性が伺えた。また居住区については、建築物の残存状態が良好なため、建築様式を観察することが容易である。いくつかの区域ごとに建築物の軸の方向性が異なるため、この差異が築造時期かもしくは居住者の階層差を反映していると推測する研究者もいる。それを地表面観察で識別できないかと踏査したが、散在する遺物では判断は不可能であった。しかしながら、土器片では多様な器形と施文方法が確認できたので、発掘調査によって土器と建築との相関関係を検証し、遺跡内での変化のプロセスを捉えられるのではないかと考えられる。さらに、この遺跡はそれほど埋没しておらず、限られた期間で発掘調査を行うには適していると思われる。ところで、この遺跡踏査には建築の専門家が同行してくれたため、報告者とは異なる視点での建築の捉え方を教示していいただいた。彼のおかげで新たな知見を得られ、遺跡全体の中での建築物の配置や建築様式の重要性等に関しての議論や意見交換が行えたことも、非常に重要な成果となった。
ポルティーヨ遺跡に関しては、ラウリ遺跡と同様に、居住区がほぼ消滅していることが判明した。丘陵の斜面にある建築は比較的残存状態が良好であったが、ふもとは農地拡大により壊滅的な状態であった。それでも、残存している建築物から異なる建築様式の重なりが観察でき、時期的な変遷が伺われる。一方、墓地は広範囲に広がるが、ほぼ盗掘されている。ところが、今までに見たことのない文様をもつ土器片や、染織品の作成用に準備された束ねたラクダ科動物の毛が存在し、大変興味深かった。しかし、やはり調査可能な区域が狭いため、この遺跡から土器生産に関する情報を得られる可能性は低いと考えられる。
 第二の成果として、文献資料の収集を行ったことで、先行研究の蓄積や、理論的な枠組みを構築する際の材料を増やすことができたことが挙げられる。また、資料入手に尽力していただいたサン・マルコス大学の学生との交流も深まり、今後、ペルーで研究活動を行っていく際に非常に心強い協力者となった。  第三の成果は、友人の紹介により、実際に発掘調査に協力してくれるペルー人考古学者が見つかり、彼と話し合いができたことである。今後の具体的な調査計画については、これから詰めていく予定である。また、この他に染織品の修復家とも話す機会がもて、アンデスの染織品についての知見を深めることができた。今回の調査では、今まで地道に築いてきた人脈を再確認し、様々な分野で活躍する研究者とのネットワークの重要性を実感することができた。

6.本事業について
    海外をフィールドとする学生にとって、航空運賃はかなりの負担を強いられるため、何度も調査地に渡航することは難しい状況である。だから、本事業のような資金援助によって積極的に調査を行うことが可能になるのは、大変ありがたいことである。また、本事業を活用した他の学生の研究成果に触発され、客観的に自分の研究目的や調査方法を吟味する良い機会にもなる。ただ、海外フィールドワークの派遣対象期間が14日間というのは、やはり短いと感じた。報告者の場合、日本とペルー間の往復およびペルー国内での移動を含めると、実質的に調査地で過ごせる日数はそれほど多くない。要望として、今後も多くの学生にとって充実した調査が行えるよう本事業が継続されることと、派遣期間の長期化を希望する。