研究科選定国際会議等派遣事業 研究成果レポート





HAYEK MATTHIAS(国際日本研究専攻)

1.事業実施の目的 【f.研究科選定国際会議等派遣事業】
   「ブックロードと文化交流―日本漢学の源流―」国際学術シンポジウム(報告)
2.実施場所
  杭州(中国)
3.実施期日
  平成18年9月15日(金) ~ 平成18年9月19日(火)
4.事業の概要
   本事業、題して「ブックロードと文化交流―日本漢学の源流―」国際学術シンポジウムは、平成18年9月15から19日まで杭州(中国)で、二松学舎大学と浙江工商大学日本文化研究所により開催された。その概要は以下の通りになります。
文化交流は、人とものを媒介として行われますが、ものの中で、書物が多大な役割を果たしたことは、すでに先学の指摘するとおりです。このことは、同じ漢字文化圏にある中・日・韓の場合一層著しいもので、漢文で書かれた書物が、共通言語として広汎に流布し、影響しあったのでした。中国からの絶対的、かつ莫大な影響に比較すれば、日・韓よりの逆の影響は、微々たるもののように見えますが、なお看過できないものがあると思われます。浙江工商大学日本文化研究所は、浙江大学時代以来一貫してこうした書物の役割に 注目して精力的な研究活動を行い、多大な業績を収めてまいりました。一方、漢学塾としてスタートした二松学舎大学は、日本漢文学の教育と研究に長い伝統と 優れた実績をもち、2004年には「日本漢文学研究の世界的拠点の構築」というプログラムで日本文部科学省の21世紀COEプログラムに採択されました。 また二松学舎大学と浙江工商大学の両大学は、2005年に学術交流協定を結んでおります。

このシンポジウムのメインテーマの他、おおむね五つのサブテーマが採用されました。
サブテーマ:
        ①漢籍及びその海外における流布と影響
        ②和書及びその海外における流布と影響
        ③逸存書の研究
        ④日本漢文に関する研究
        ⑤その他

初日の午前中の総合的な貴重講演を経て、二日に渡った八つの分科会に分けられ、本事業が実施された。具体的に、古代分科会1と2、中世分科会、近世分科会1と2、近代分科会1と2、そして総合分科会が設けられ、歴史的な区分が採用されました。その中、私の報告は近世分科会に配当され、主にこの分科会に参加した。そのプログラムは以下の通り。

「分科会近世1」
町泉寿郎 曲直瀬養安院と朝鮮本医書
唐権 比較の観点から見た「名所図会」
ハイエク マティアス 江戸時代における中国術数・卜占書の流布と馬場信武
金程度宇 『遊仙窟』中国里帰り考

「分科会近世2」
周振鶴 中日書籍史における持渡書の意義――『成番外船持渡書』を例として――
李偉 大名庭園の中の「西湖」―江戸時代における漢籍受容の一考察―
関剣平 中日平民の文化交流研究―寧波商船万勝号船員の日本における飲食生活を中心に―
沈慶昊 中国、韓国、日本の詠史楽府
?水鳳 日本の開国と中国人―羅森と『日本日記』―


 二日に渡って私を含んで9人の発表者は近世期を中心に医療、旅や観光、占い、書籍の回帰、庭園、そして詩文学といった多様多彩な側面を通して、書籍を媒体にした日中韓の文化交流史の一考察を描き出しました。

5.学会発表について
 

 本シンポジウムに際して私は、「江戸時代における術数書・卜占書の流布と馬場信武」について報告させていただいた。その要旨が以下の通りである。
人間が作ったどの文化・文明の中でも、国家運営から日常生活までを脅かす未知なる自然現象を説明ないし予測するために、占い、占術大系が現れる。そして、やがて社会と共に人間の時空観が変わり、次第に占いは未知なる未来を見通す手段となっていく。
こういった意味では、中国は勿論、日本も例外ではない。ここで論者は、双方の長い占の交流史の中で、とりわけ日本の江戸時代の占術状況に着目したい。
 江戸時代には土御門家が団体組織を創立することが出来たほど占い師が大勢いた。占い本も大流行していた。しかし、社会の変化により、古来の占術知識が江戸社会に合わなくなった。
 したがって、江戸時代の占い師の知識源を占い書に求めるべきと考えられる。
そう考えれば、次に問題となるのが、江戸時代の卜占書の背景にある著者であろう。そこで、本稿では多数の著者の中から、平沢随貞、新井白蛾や松浦一派など江戸後期の人物よりも先行研究が少ない、江戸中期の馬場信武を課題にする。
まず、江戸時代における中国伝来の占法の流布に信武がどれほど深い関わりを持ったのかを明らかにするため、彼はどんな経緯で卜占書を著したか、またその著作はどのようなものなのかを考慮する必要がある。
そして、信武が著した本のうち、五点の卜占書を取り上げ、それらの書物の性格と特徴を検討し、そこから伺える江戸中・後期における大陸の占術的知識の受け入れ方とその実用性を探る。
 最後に、信武の著作が当時にどのように人々に受け入れられ、どの範囲まで知られていたかについて述べ、日中知識・文化交流史の一部としての占いを考察する。
以上の考察から、京都の医者、馬場信武が、医業の暇な時に著した卜占書は、近世日本における明代以降の中国的な占術知識の普及に重大な影響を及ぼしたことが明らかになった。彼が二十年間にわたり個人の運命の吉凶判断を目的とした幾多の書物を著し、それらの内容から当時の人が占いへどのような期待を寄せたかが伺える。
しかも、信武は実用性に優れた<掌中占法>を採用したため、彼の著作が占いを生業とした者たちの間に広く流布することができたといえよう。信武は、自分の持っていた知識を実用できる売卜者たる占い師達のために俗解・和解する必要があるという強い意図を持っていた。なおかつ、彼らは実際に信武の著作を利用し続けたこと明らかになった。
 その上、信武が死亡して百年後、彼が提供した書物が中国においても意識され、売卜者の基礎知識の原点として認識されるようになった。すなわち、信武が著作に託した自分の中国占術に関する知識は、江戸時代の日本社会における実用かつ必要に応じて占い師達に愛用され、彼らのクライエント、つまり一般の人の日常的な出来事に対する考え方(ルプレザンタシオン)の形成に大きな影響を与えたといえる。

 本報告に対して様々な意見を伺った。特に、漢方医書を専門とした二松学舎大学専任講師の町泉寿郎が、中国医療術の理論と占術における諸理論の類似性を指摘して下さり、大変参考になった。

5.本事業の実施によって得られた成果

 

 私は「ブックロードと文化交流―日本漢籍学の源流」国際学術シンポジウムに参加して大きく分けて三つの成果を得たと思います。
 先ず、日本、中国、韓国、その他、計9ヶ国から42人の報告者を含めて100人以上が参加したかなり大規模のシンポジュウムで発表することは、書籍、典籍を媒介とした文化交流に関する見解や研究方法に接触する唯一の機会と成りました。参加された研究者の大部分は主に漢学を専門としていましたが、たとえ分野が異なるとはいえども、皆は文化の媒体としての「本」に焦点をあわせるという共通点を持っていたからこそ、違和感もなく研究交流が成立できました。そういった中で、江戸時代の占い関係の書籍が博士論文のコアとなる私はまた、自分の研究が他分野・他専門にも通じうることを確認できました。他の参加者からいただいた意見や、彼らの報告の内容、そして話し合いの中で伺った中国、韓国などの占いに関する貴重な情報は非常に参考になりました。その上、近世分科会には私以外にも総合研究大学院大学文化科学研究科国際日本研究専攻の在学生一人と卒業生一人が報告された結果、我々の専攻の独特な研究方法が明らかとなり、自分もそれを改めて自覚できました。それらの学際的な要素を博士論文の中で是非とも活かしたいと思います。
 そして、このシンポジウムに参加することは、自分と同様な関心を持っている研究者や、自分の研究に興味を示してくださった研究者と知り合え、今後の研究活動に欠かせない研究ネットワークの達成への第一歩ともなりました。すなわち、開催者の二松学舎大学や折江工商大学所属の研究者のみならず、右に述べたように、日本、中国、韓国、ベトナム、タイのアジア諸国の大学や研究機関の研究者と、イギリスのケンブリッジ、アメリカのカリフォルニア大学、ベルギーのルヴァン大学から参加された由緒ある欧米の研究者に接触することができました。この機会を通して得た国際的体験は研究上では非常に重要であると思います。
 最後に、日本における大陸伝来の占術的知識の流布を研究している私にとって、初めての中国訪問は大変貴重な体験になりました。シンポジウム開催中のみならず、その前後にもある程度の社会見学を行うことができて、社会学者を目指している私の中国社会の現状への関心を満たした上、自分の扱っている史料を生み出した大陸文化への理解を深める契機ともなったと思います。

6.本事業について
   文化科学研究科海外学生派遣関連事業に参加して、このような国際的ないし学際的な場で研究活動を行うチャンスが与えられたことを非常にありがたいと思いました。今後ともこのような二度とない交流の機会を作ってくださる事業が、総合研究大学院大学の学生の研究に高い利益をもたらすだろうと思います。

 
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