国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





伊藤 潤(日本文学研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【c.国内フィールドワーク派遣事業】
  聖徳太子伝承・信仰関係及び南都における寺社縁起に関する文書類の調査
2.実施場所
  奈良国立博物館内仏教美術資料研究センターおよび東大寺図書館
3.実施期日
 

平成19年2月15日(木) から 平成19年2月16日(金)

4.事業の概要
 

 平成17年12月15日~12月19日に同機関で行った、聖徳太子伝承・聖徳太子信仰に関わる文書類の継続的調査を行う。殊に、『聖徳太子講式』類の装丁等の形態と内容面の継続的調査。および興福寺・春日社を拠点とし、東大寺にも及ぶ藤原氏伝承(テクストでは『維摩会表白』)と太子伝承の関連性を、実地踏査を含め調査する。
 まず、『聖徳太子講式』類に関して。「講式」が書かれた「本」は、先学の諸氏が指摘するように、法会の場で読み上げるためのも実用的面とともに、法会を彩る「道具」=「見せるモノ」としての面を併せ持ったものである。故に、特に巻子仕立てのものは入念な装飾が施されることが多く、装飾経との共通性を見ることもできる。また、太子の霊威に満ちた一生を綴り、後の中世太子伝群の直接的な典拠ともなった『聖徳太子伝暦』もまた、その装丁に見事な装飾が施されることが多い。今回、二機関に所蔵される太子講式・伝暦関係の聖教・写真を調査することで、テクストの内容のみに止まらず、装丁(形態)・書承経路・使用される場での効果といったトータルな文化現象に還元される「太子講式」研究が可能になる。これは藤原氏伝承が密接に関わる『維摩会表白』についても、同様のことがいえる。維摩会とそこで読み上げられる表白に関しては近年では松尾恒一氏、高山有紀氏らの研究があり、徐々に研究の高まりを見せているがいまだ問題とすべきテーマの多い分野である。「太子講式」同様、法会(維摩会)の場において聴覚に働きかける「テクスト」と、視覚に働きかけるその「装丁等」の要素は今後、調査・研究を深めねばならないテーマである。
 加えて、現在その全蔵書(あるいは現在集積された典籍類のみでも)が目録として刊行されておらず、現地のカード目録のみによって全貌を窺いうる東大寺図書館であるが、その配列に関しても調査の対象となる。近年、目録とその構成・構造などに注目する「オントロジ」理論が、相田満氏らを始めとした国文学系研究者の参入によって研究を進ませている。東大寺図書館の中での太子伝系聖教・典籍の位置づけというものも考えることになる。
  そして最後に、それらテクスト類を育んだ土壌である東大寺を軸とした南都という土地と、周辺寺社(興福寺・春日社・元興寺等)を実地踏査し位置関係・信仰の相互影響・祭祀・展示の様相に目を配ることによって、テクスト研究という国文学的研究法を出発点として、ひろく文化史研究(私の場合は中世文化・思想史研究)におよぶ展開を目論んでいる。

5.本事業の実施によって得られた成果

 まず、『聖徳太子講式』に関しては、「装飾経としての『太子講式』」という面に関して、二機関で調査したのみでは完全な論として成立させるには、まだ(他機関を含めた)調査が必要であるという結論に達した。とはいえ、太子が絡む「装飾経」(あるいは装飾経的な聖教類)となると、『太子講式』『太子伝暦』はもちろんのこととして、なにより見返しに太子讃経図を載せる『勝鬘経疏』が存在する。ゆえに、現在までの美術史研究の方面を精査・参考しながら立論してゆくという方向性がはっきりとしてきたことは収穫である。『太子講式』テクストの内容自体に関しては、大屋徳城氏の研究に新たに付け加える部分―東大寺と法隆寺の「真言密」を媒介として成立する太子信仰の可能性―を見いだしつつある。このテーマに関しては一本の論文を発表する予定である。
 『維摩会表白』についても、おおむね『太子講式』と同様の問題点・これからの方向性などを見いだしているが、こちらの方は小野随心院蔵本・上野学園日本音楽資料室本・大須真福寺蔵本などの諸本が影印・翻刻・マイクロフィルム資料として公開されており、「見せるモノとしての講式」という面に関して、やや研究を進めやすい状態であるといえる。諸本を対照し、かつ維摩会という法会がどのような広がりを見せていたのか、先学の研究をふまえつつ考え直す地点まで到達できた。
 東大寺図書館のオントロジ、また太子関係聖教類の位置に関しては、私の中ではいまだ始まったばかりであり、一聖教蔵の中での位置だけでなく、他の機関でのそれも比較対照しつつ進めなくてはならない問題であり、今後も継続して行うべきテーマとなった。
 都合により当初とは日程が大きく変わってしまったものの、資料を絞り込み、事前に別方向から調査・研究していたことで、テクスト調査で得た知見をその場でフィールドワークにフィードバックさせることが可能のとなったことは収穫であった。折しも東大寺は修二会の準備中であり、二月堂の本尊の図様・伝承が中世における南都系太子伝と関わりを持つことに気付くことができた。さらに、奈良国立博物館の特別展示「お水取り」の見学実習も行うことができたため、中世南都における修二会(お水取り)の「修法」という行為のとしての面と、そこに付帯する「言説」の展開(中世から近世にかけての)を実見することができ、現在進めている太子伝研究―殊に南都系の―に奥行きをもたせることが出来たと考えている。
  博士論文にとっての意義としては、『太子講式』が「装飾経」とそれに連なる聖教類にカテゴライズでき、「装飾経」を見せる「場」・「空間」の中世的な形態を考える上での一助になりうる構想を得、現在それを形にしているということで、大きな意義をもっている。また、「東大寺と法隆寺の「真言密」を媒介として成立する太子信仰の可能性」は、さらに具体的な形を現在なしつつあり、博士論文構成において、一郭を担うテーマである。『維摩会表白』に関しては、正直なところまだ途上の部分も多い。しかし、大織冠鎌足(『維摩会表白』を説く上で欠かせない人物)が、太子の後継として暗示される太子伝および中世南都伝承の展開を、博士論文に付加出来る可能性を持つまでの進展があった。

6.本事業について
   今期は所蔵機関の都合、自身の都合などもあり、調査時間を作ることが容易でなかったものの、このプログラムによって約二年間、貴重な成果を得ることが出来たことを心から感謝しています。
 
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