国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





伊藤 潤(日本文学研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【c.国内フィールドワーク派遣事業】
  聖徳太子伝承・信仰関係における寺社縁起に関する文書類の調査
2.実施場所
  叡山文庫(滋賀県大津市坂本4-9-45)および比叡山延暦寺
3.実施期日
 

平成19年2月18日(日) から 平成19年2月19日(月)

4.事業の概要
 

 叡山文庫に所蔵される聖教類において、聖徳太子信仰関係をその中心軸としながら、隣接する仏教文芸(縁起・他表白文類)を視野に入れた調査閲覧を行う。
 特に調査閲覧で中心とした資料は、聖徳太子信仰と密接に関わる講式『聖徳太子講式』(旧般舟院蔵ほか)および、太子創建の伝承を持つ比叡山西塔に所在する「椿堂」の名を冠する典籍群である。
 当初、太子信仰は南都~河内を中心として展開していったが、都が山城・平安京に遷されるにいたって、太子への信仰と言説は北へと遡上していった。もとより山城の地は太子の側近であった秦河勝の采邑であり、広隆寺(秦河勝・創建)という太子信仰の一拠点があった。加えて、天台宗(本朝)の創始者である最澄は、比叡山を開くにあたり、太子を本朝仏法の興隆者とし、畏敬の念を表したことで、以降の天台僧達に太子信仰が深く根付くようになった。ここに、山城から近江にかけての新たな太子信仰・太子伝承の展開を見ることが出来るわけだが、中でも、都および朝廷と強いつながりを持った天台宗において、その太子信仰・太子伝承が蓄積されていったことは想像に難くなく、事実それに関する典籍も存在している。16世紀後半の織田信長による叡山焼き討ちに遭わなければ、相当数の典籍が現存したに違いない。
 今回は、その太子関連聖教類の中でも、現在私が最も注目している『聖徳太子講式』(以下、『太子講式』)と「椿堂」の名を冠する「椿堂竪義」関係聖教類(以下、「椿堂関係聖教」)を調べる。それによって、まず『太子講式』に関しては、叡山における太子信仰、なかでも講式を用いた「法会という場」における太子信仰の様相を浮き彫りにする一助とすることができる。もう一方の「椿堂関係聖教」に関しては、次のような目論見を持っている。「椿堂」は太子伝承を保持する堂宇であると同時に、「常行三昧」と呼ばれる天台宗の修行を行う「場」であり、千日回峰行にも関わりあるポイントであることを、私は現時点までに明らかにしつつある。近年、国文学・国史学等の諸分野において「巡礼」に関する研究が盛んに成りつつあり、太子伝承と「巡礼」という行為(そしてそれに付随する「伝承」を含める)の交点にある場であると考える。『太子講式』では、法会という場での「太子の描かれ方」という他の寺院でも流入・転用でき(たとえば、講式のテクスト・内容面における修辞など)、かつ相互影響を考えるのに必須の面が明らかに出来よう。「椿堂関係聖教」では、叡山内部の、なかでも「巡礼」的修行形態の一つを明らかにすることを考えている。
  また、加えて、資料を絞り込んむことができたため、比叡山の実地踏査も行い、実際の位置関係などを把握することを考えている。

5.本事業の実施によって得られた成果

 まず、『太子講式』(旧般舟院蔵)に関しては、天台声明の発生地である大原魚山(勝林院)に所蔵されるものとの書承関係について、大屋徳城氏の研究に新たに付け加える部分が出来たことがある。概容としては、次のようなものである。中世における「太子講式」書承の流れと、「太子講式」を「書写する事」あるいは「制作すること」に関する新知見を加えることが出来るように思う。この点に関しては、二本の論文を発表する予定である。また、『太子講式』と通して見る、近世末~近代初期にかけての天台宗、ことに天台声明の動向についても、知見に及んだ史料から述べることが出来ると考えている。近代における、声明とそのテクストに関する展開を述べることは、宗教史のみのものではなく、充分に国文学に関しても可能であり今後必要な視点である。
 つぎに、「椿堂関係聖教」であるが、叡山の他に西教寺正教蔵にも類本があることが分かった。西教寺は現在、天台宗から分派し天台真盛宗となっているが元は一つであり、天台浄土教学の一拠点として隆盛を誇った寺院である。椿堂が太子伝承を保持する場であり、太子信仰が浄土信仰を包摂する者であることを考えると、叡山椿堂―西教寺のルートも考えねばなるまい。もとより椿堂は京都の六角堂と姉妹寺院的な関係にあるため、さらにその様相は重層化してくるといえよう。「椿堂関係聖教」は、強い記家文字(学問や典籍筆写する僧侶独特の癖の強い崩し字)で書写されているため、叡山本自体の解読や、西教寺正教蔵本との比較も簡単というわけには行かないが、中世叡山における太子信仰の一様相として提示できる素材は集めつつある。
  資料の絞り込みを行ったため、比叡山実地踏査も行うことが出来、これもまた大きな収穫を得た。何より西塔椿堂の立地、根本中堂から椿堂までのルートを歩くことから、回峰行との関連性という視点を得ることが出来た。また、東塔大講堂において、4月に「聖徳太子講」が行われ『太子講式』が演ぜられるのだが、大講堂に祀られている「太子十六歳像」の配置や図像としての有り様を実見できたことは、今後の博士論文の1テーマである「王の姿」として描かれる(語られる)太子の像について、欠くことのできない知見を得ることが出来た。

 
6.本事業について
   今期は所蔵機関の都合、自身の都合などもあり、調査時間を作ることが容易でなかったものの、このプログラムによって約二年間、貴重な成果を得ることが出来たことを心から感謝しています。
 
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