国内外研究成果発表会等派遣事業 研究成果レポート





金 時徳(日本文学研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【e.国際会議等研究成果発表派遣事業】
  第3回インド日本文学会での研究成果発表
2.実施場所
  インドニューデリー(ネルー大学)
3.実施期日
  平成18年2月25日(月) ~ 平成18年3月1日(木)
4.事業の概要
   「インド日本文学会」は、日本の国文学研究資料館の伊藤鉄也教授、インドのデリー大学(DU)のRama Lakshumi教授・Unita Sacchidanand教授、ネルー大学(JNU)のAnita Khanna教授・Manjushree Chauhan教授が主催する、インドにおける唯一の日本文学の学会です。第三回を迎える今度の学会は、「日本文学と季節感」というテーマをもって、日本で日本文学を研究している外国人たちが勢ぞろいし、インドで日本文学を研究する院生たちと交流するという点に意味があったと考えます。
 学会は両日に亘って開かれました。初日は、Centre for Indian Language, JNUのVaryam Singh所長の司会下、Centre for Indian Language, JNU のRanjit Kumar Saka教授、CJKNEAS, SLL&CS, JNUのR. Tomar教授、国文学研究資料館の伊藤鉄也教授、法政大学のSteven Nelson教授の発表・演奏がありました。特に、Steven Nelson教授のお琴の演奏は、日本の楽器に接する機会の少ないインドの研究者に刺激になったと考えます。
 2日目は、インドのデリー大学・ネルー大学の院生8人(Deepika Kaushik・Poonam Nand Dey・Apoorva Agrahari・Raj Lakhi・Nisha Parmeswaran・Rachita Shreewastwa・Tariq Sheikh・Supriti Sethi)の発表がありました。インドには、想像していた以上に研究資料が不足しており、古典文学・近現代文学の研究に邁進する院生たちは、基礎文献が不足する中でもすばらしい発表をしてくれました。


  インド側の院生たちの発表が終わってから、大正大学のKenzo Hojo教授、国学院大学のTeruo Ikeuchi教授の発表があり、それに続いて、国文学研究資料館の金時徳(本人)、国文学研究資料館のChen Jie助教授の研究発表がありました。昼食の後は、小説家・作家のHimanshu Joshi、Krishna Dutt Paliwal教授、Indu Jain教授の、ヒンディー語による発表がありました。インドの共通語である英語による発表を聞くだけでも精一杯である私には、英語・ヒンディー語・ベンガル語などによる発表は、難しすぎましたが、文化的な経験にはなりました。最後に、日本から行った教授5人によるパネル・ディスカッションが開かれ、主に、インドにおける日本文学の研究の現状と方向に関する議論が展開されました。そして、Anita Khanna教授の感謝の言葉をもって学会は終わりました。

5.学会発表について
  【発表の概要】
「日本人」としてのアイデンティティを共有する日本人が、異国をはじめて経験したのは、豊臣秀吉(1537-1598)率いる日本軍による朝鮮朝韓国への侵略、すなわち壬辰倭乱(Toyotomi Hideyoshi’s Invasion to Korea; Imjin Waeran)の時でした。彼らは、それまで伝説・伝聞によってしか想像することのできなかった異国に、直接足を運ぶことになったのです。
  1592年4月の春に始まった戦争は、すぐ終わるであろうと予測されていたにもかかわらず、韓国民の反撃がだんだん激しくなり、明朝中国の援軍も参戦することによって、季節は冬に移り、大陸の本格的な寒さが始まることとなります。主に西日本の出身からなる日本軍は、西日本よりずっと寒い韓国=寒国の冬を味わい、その寒さに苦しまれることになるのですが、特に、1597年-1598年の冬、蔚山(Ulsan)で展開された日本軍の籠城は、苦しさを極めた戦闘でした。蔚山の籠城を始めとし、韓国の至るところで酷寒に苦しむ日本軍の様子は、当時の覚書・聞書類に生々しく描かれているのです。
  今度の発表では、壬辰倭乱に参戦した日本軍の作品、特に慶念(けいねん)の『朝鮮日々記』と大河内秀元の『朝鮮物語』とを取り上げ、日本人が異国で体験した季節感について論じることにします。

【学会での発表】
  既存の知識によると、長い間、日本とインドとは友好関係を結んでいたと聞いていまして、インドの日本文学研究は充実しているだろうと思っていました。しかし、実際インドに行って聞いたところによりますと、日本文学の研究のための基本的な文献も全部揃っているのではないことが分かり、驚きました。また、インドと日本との地理的な距離のため、韓国の日本文学研究者とは違って、インドの日本文学研究者は、日本を訪れ、自分の研究に必要な資料を集めることが困難なことも分かりました。しかも、古典文学よりは、近代・現代の日本文学の方に、研究者の関心が集まっているそうでしたので、今度の発表においては、最初に、古典文学を対象とする自分の研究について説明し、今度の発表の主題については、略述するにとどまりました。

6.本事業の実施によって得られた成果
 今度のインド日本文学会の発表テーマは「季節感」でした。私の場合、近代以前に日本が経験した海外(異国)との戦争が生んだ文化的・文学的な影響、そして、その背景に存在する日本人の異国意識・戦争思想を究明することです。特に、鎖国で平和であった近世には、朝鮮などへの侵略が軍記作品として文芸化しましたが、そこには、鎖国下で行くことのできない異国への幻想と、武勇を異国で輝かせたことによる誇り、日本に〈来朝〉してくる外国人への優越感が確認できます。そして、近世におけるこのような文化・文学は、近代における「大日本帝国」の成立・拡張の思想的背景をなしています。しかし、「大日本帝国」が戦争に敗れ、新しい日本が平和を志向するようになってからは、近世から戦前に至るまでの過去は忘れられました。
 現在の歴史観によると、韓日両国は歴史時代以前から友好的な関係を結んでいたとされています。しかし、実は、両国は絶え間なく紛争してきましたし、特に、「豊臣秀吉による朝鮮侵略」は相手国へのイメージを決定づけ、両国の歴史に刻印された事件でした。韓国の市民において、日本帝国主義による植民地時代は、「豊臣秀吉による朝鮮侵略」の再現として受け入れられましたし、明治時代の日本人において、朝鮮の併合とは、未完に終わった「豊臣秀吉による朝鮮侵略」の完成として受け入れられたのです。このような、「豊臣秀吉による朝鮮侵略」に対する両国の認識の乖離は、韓日関係における「負の遺産」として残っています。今日、両国の市民の間に平和が唱えられていますが、その裏側では、世界的な右傾化の流れに便乗した、国粋的な民族主義が頭を擡げています。このような憂慮すべき現状の根本には、両国関係における「負の遺産」が解消できなかった事実が存在すると考えられます。私の問題意識はここから出発しました:「豊臣秀吉による朝鮮侵略」以来、両国民は相手国をどのように想像し、どのように誤解してきたか、何故、両国の市民は相手国について没理解のままでいられたのであろうか。それで、「豊臣秀吉による朝鮮侵略」に続いて始まった近世日本を真正面から取り扱い、日本の隣国であった韓国・中国の近世と比較することを目指しました。そこからはじめて、近世日本と関連を持っていた諸外国、例えば、タイ・カンボジア・ロシアなどとの関連に関する文化・文学にまで研究を広げたいと思っていました。


  そういう面において、インドにおける今度の発表は、このような私の研究方向をさらに広げるきっかけとなるでしょう。一つは、近代に至るまでの日本人が経験した一番西側の国に行き、その地域の日本文学の研究者と交流したことが刺激になりましたし、二つには、今まであまり考えたことのなかった、「季節感」というテーマを取り上げ、新しい角度から自分の研究テーマを検討する機会を得たからです。
7.本事業について
    本事業によって、日本で研究している外国人の研究者として、自分とはまた違う国の研究者に接し、日本文学という対象が、地域によってどのように研究されているのかを実感し、自分の研究を相対化するきっかけになりました。今度の事業で得られた成果は、これからの自分の研究に大いに役立つだろうと思います。
  ただ、海外での研究活動の場合、飛行機の料金などが高いにもかかわらず、後払いの仕組みになっている点は、大学院生、特に外国から留学してきた人々には経済的に厳しいと感じられます。そして、事業の計画書や報告書など、提出しなければならない書類が多すぎて、研究ではなく書類作成に院生の精力が消耗されてしまうような気がするのも、改善されるべき点ではないかと考えます。

 
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