国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





長沼さやか(地域文化学専攻)
  
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
  博士論文執筆に必要な資料の収集、および実地調査
2.実施場所
  中国広東省中山市、珠海市
3.実施期日
  平成17年12月27日(火)から平成18年2月6日(月)
4.事業の概要
   本事業実施者は、「20世紀中国南部における家船生活の変容に関する研究」という題目で博士論文を執筆中であり、今回の中国広東省における調査は、論文執筆のための補足調査であった。その主たる目的は、広東を流れる大河・珠江のデルタ地帯において、漁村に定着する漁民と、家を持たず船で暮らす家船漁民(中国語では「水上居民」。以後も水上居民と記述)の差異を明らかにすることと、水上居民の現在の状況を生業や風俗習慣の面で明らかにするという二点であった。
実施者のこれまでの調査研究から、近代国家の成立以降、水上居民の陸地定着の過程において、水陸の境界がつねに流動的に揺れ動いてきたことが明らかになった。そしてその境界の流動性こそが、水上居民の多様性であるという一応の結論を導き出すことができた。しかしそれと同時に、大きな問題も浮き彫りになった。すなわち、水上居民が陸地定着をとげた後も、流動的とはいえ依然として水陸の境界が存在するのは何故か、という疑問である。これらは博士論文の二つの目的、すなわち水上居民の1949年以降の変容を明らかにし、さらにはその過程における水上居民の自他意識の変容を解明するうえで、もっとも根底にある「水上居民とは誰か」を考察するための重要な問題といえる。これを受けて今回の調査では、定着漁民との差異を抽出することによって、水上居民がいまだ「水上人」と呼ばれ、陸上の人々と隔てられる根拠とは何であるかを明らかにすることを重点として掲げた。
  先に訪れた広東省珠海市では、定着漁民に関する調査を行うことが主な目的であった。現地では二ヶ所の調査地を訪れた。中国では農村と都市の格差が大きい。そこではじめの一週間は、唐家鎮后環漁村を訪れ、農村部に居住する漁民の生業実態、出自や生活習慣に関する聞き取り調査を行った。その後、次の一週間は都市部である珠海市香州区に移り、ここでも同様に現在の漁業の状況や、生活習慣に関する聞き取り調査を行った。これにより、これまで中山市で行ってきた調査のデータと比較し、両者の差異を明らかにした。
  次に訪れた広東省中山市では、すでに何度か訪れたことのある黄圃鎮馬安村で二週間の調査を行った。馬安村では、おもに元水上居民が陸地に定着した後の生活習慣における具体的な変化を、聞き取り調査から明らかにした。また、それまで漁業中心であった彼らであるが、現在では別の職業につく者が増えてきている。その実態を明らかにし、どのような職業が選ばれているのかを明らかにした。
  以上が事業の目的と、実際の調査実施の内容である。

5.本事業の実施によって得られた成果

 

 珠海市における調査では、当初、定着漁民に対する調査を行うという目的があった。しかし、現地において調査を進めてゆくうちに、珠海市に住む漁民らもみな、元は水上居民であることが分かった。そもそも珠海市を定着漁民の調査地としたのは、中山市各地における水上居民調査において、「珠海には漁村を成した漁民がいる」という話がよく聞かれたからであった。しかし、実際に調査をしてみると、珠海の漁民らももとは陸に家を持たない水上居民であった。これを受け、その後の調査ではおもに中山市における定着漁民に関する言説と、実際の珠海における状況が符合しない要因をさぐった。これにより分かってきたのは、珠海の水上居民は中山市の水上居民よりも、生業において漁業に依存している割合が高いという事実であった。中山市各地の水上居民は農業に依存するものがとりわけ多かった。しかし、珠海の水上居民はほぼすべてが漁民であり、水上居民という呼び名は漁民とほぼ置き換わる。珠海の漁民らも水上居民とは漁民であるといい、中山のような半農半漁民は水上居民ではないと明言する。こうした生業からくる認識の違いが、中山と珠海における「水上居民とは誰であり、定着漁民とは誰であるか」という問いに対する答えを違うものにしているということが分かった。
 そこで、水上居民とは誰であるかという当初の疑問に立ち返ると、やはり考えなくてはならないのは、人々のなかにある水上居民像である。これまでの調査データに今回の珠海市の事例を合わせると、広東には漠然とした水上居民像があることが分かってくる。これを創出しているのはいったい誰であるのか。この問題点は今後の論文執筆において最も重要な論点といえよう。
  中山市においては、元水上居民の改革開放後における生業、風俗習慣の変化を中心に聞き取り調査を行った。調査を行った黄圃鎮馬安村は9割以上が農民であるが、村の一角には漁民も暮らしている。当地の漁民はもともと、河川流域を漂流しながら漁業を営んでいた水上居民であった。しかし人民共和国成立以降、国家政策をきっかけに馬安村に定着した。かつて、国家によって職業を管理されていた集団労働の時代、漁民は漁業以外の仕事に従事することができなかった。しかし、80年代の改革開放後、自由に仕事を選ぶことができるようになると、職業は多様化した。こうした職業の変化は漁民に限ったことではなく、農民も同様である。
 現在、村では屑鉄の回収売買に従事する村民がもっとも多い。これは農民、漁民も同様である。今でも漁業を続けている漁民は若くても50代と高齢化しており、30代、40代は屑鉄回収の従事者か工場での賃金労働者がもっとも多く、さらに下の20代、10代になると工場や店舗での賃金労働者がほとんどである。このような生業の変化をうけて、風俗習慣も多様に変化している。ことに、船をもたない漁民の子弟が増えてきたため、船特有の習俗(「船頭公」(船の神)祭祀)を行わなくなってきている。また、陸上の家でも農民の習俗を取り入れ、実行していることが分かってきた。こうした現在の状況からは、陸上の社会変容の影響を強く受けた漁民の生活変容が明らかになった。
  以上が本調査の成果である。先の「事業の概要」でも、博士論文執筆にあたっての現在の問題点を述べたが、今回の調査を経てこれらの問いに対する多くの回答が得られた。今後は、この成果をもとに、博士論文の執筆をすすめてゆく予定である。

6.本事業について
  フィールドワークの経費を出していただけたのは、本当に有り難く思っています。今後も予算があればこのような形で支援していただきたいと思っています。

 
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