国内外研究成果発表会等派遣事業 研究成果レポート





李 偉 (国際日本文化専攻)
 
1.事業実施の目的 【c.国内学会等研究成果発表派遣事業】
  国内学会等研究成果発表事業
2.実施場所
  国文学研究資料館
3.実施期日
  平成18年11月9日(土) ~ 平成18年11月10日(金)
4.事業の概要
   国文学研究資料館は開館以来、毎年国際日本文学研究集会を開催する。日本文学研究者による研究発表・講演・討議により、広い視野からの日本文学研究の進展をはかり、研究者相互の国際交流を深めるという趣旨で、第30回国際日本文学研究集会を開催した。本年度のテーマは「表象と表現」である。 

 集会は二日間にわたり、十三本の研究発表と四本のポスターセッションをもって進行された。発表者は日本人学者(三名)のみならず、外国人学者も多数参加した。グローバル化の中、国文学の領域は、ただ単に日本文学の世界に耽るのではなく、どのように世界に発信できるのかを考えなければならない。今回の国際日本文学研究集会はまさに世界に向ける日本文学の研究姿勢を示すきっかけになった大会といえよう。

  研究集会は四つのセッションにわけて研究報告が行われた。以下はセッションごとに、今回の集会のテーマ「表現と表象」に沿って、発表の内容との関係性を中心にまとめてみた。

 第一セッションは「『通俗忠義水滸伝』をめぐる諸問題」、「『三国志画伝』における『通俗三国志』の解釈―挿絵を手掛かりとして―」、「江戸時代庭園における西湖景観の表象と表現―漢詩文史料の考察を通して―」の三本の発表があった。いずれも中国と関係の深いテーマであった。『水滸伝』、『三国演義』などの中国の名著が取り上げられ、日本での翻訳や挿絵の入れ替えに注目し、それらの流布過程を分析ことによって、これらの作品は日本でどのように再編成されていったのかが明らかにされた。作品を再編成の過程において、中国の名著の特色が浮き彫りにされただけではなく、日本でどのように表現されていったのかについても分析された。そうすることによって、中日双方の好み、文学作品の受容姿勢を読み取ることができた。

  第二セッションは「馬琴の黄表紙における表象と表現の類型に関する試論」、「膝栗毛もの〉絵双六の表象と表現」、「「伎楽」追跡考―東アジア仮面劇・芸能研究の一端として―」の三本の発表があった。黄表紙、絵双六、伎楽など大衆文化の形態を研究対象に用いて、作品世界と具体的な演技分野がどのように繋がっていたのかを示すことによって、表象文化の発達の程が端的に示された。

  第三セッションは「見ぬ人見ぬ世見ぬ境―和歌の幻想される場所として―」、「惜別の抒情―『古今和歌集』源実の惜別の歌群と「をり」の表現意図―」、「『伊勢物語器水抄』における秘伝の意義―帰納的なアプローチによって―」というそれぞれの題で展開された。古典作品の中から、言葉の持つ象徴的な意味の分析から入手し、和歌に含む心象世界の表出を試みる発表であった。

  第四セッションは「従軍と「写実」―国木田独歩の「朝鮮」記事を中心に―」、「日本語時代の台湾文学―短歌結社「新泉」と宇野覚太郎―」、「葛藤する「郷土」― 呉希聖「豚」における植民地台湾の表象」、「「記憶・忘却」装置としての文学―戦後初期中学校「国語科」教科書を中心に―」という四本の発表があった。現在盛んに研究されている植民地時代の文学の影響もあったろうか、今回の近代セッションの発表は戦争時前後の文学関係の研究に集中していた。戦争という「現実」とどのように向き合うべきなのか、植民地時代の現地作品の表現の仕方、文学結社の活動から、葛藤する植民地の文化表象が分析された。またそれと同時に、日本国内での教科書などを用いて、歴史の表象を認識しようとする姿勢も論じられた。このように交差する歴史認識の表象が文学作品の中から実にリアルに反映されたと考えられる。

5.学会発表について
  発表概要:

 日本では、数世紀にもわたり、中国渡来の美的図式を通じて景色を見てきた。琵琶湖や江戸前の海を眺めては、そこに名高い瀟湘八景、すなわち中国中央部の風景を見出したのである。神仙思想から中国の名所まで、庭園にこれらの図式を具現すると、興味深いことにイメージの表象が物質的に形づくられる。その基幹に位置づけるものとして、中国の思想が重要視されている。 

 本発表は、中国の代表的名勝の一つである西湖景観をケーススタディーとして、江戸時代の庭園に及ぼした中国景観の表現との関連性を考察する。まず西湖景観の成立と西湖関連の漢籍にたどり、中国で西湖景観に対する認識を理解する。西湖を含む中国の景観に関する書籍は日本に輸出されたことにより、特に漢詩文に表現された中国の風景観や景観評価の基準などは日本に大きな影響を与えた。日本での受容のされ方を実存する江戸時代庭園における表現の分析を通して考察する。西湖景観が代表的な大名庭園での具体的表現と歴史的形成を辿り、日本庭園で西湖をめぐるイメージの変遷を検証する。

 体験したこともない中国の風景を漢文学から空想して、その風景に見立てられる場所を名所に仕立てあげ、それは大名庭園に具現された。将軍と大名家の記録や日記を手がかりに、中国景観に関する書籍の解読ないし誤読を通して、日本の知識階層および造園関係者がどのように中国の景観文化を理解していたのかを考察する。また園遊記や紀行文などの類における中国の景観、特に西湖景観をめぐる評価を考察し、日本の庭園景観に及ぼした影響を明らかにしたい。

 西湖景観の受容プロセスを考察することにより、日本庭園の景観構成の中、中国式景観がどのように表現され、日本の風土に適応するように工夫されたのかを考える。また中国の風景観が日本庭園に及ぼした影響を解明したい。

コメント:
1.史料として取り扱っている漢文の資料は山ほどあるが、これらの資料は当時の漢文学者に頼んで作られたもので、どれほど庭園の具体的状況を反映できるのか、言い換えれば、どこまでが真実の景観を描いたのか、どこまでが詩文上の想像なのかが問題である。
→ 確かに把握できる資料をもっと丁寧に分析し、一つ一つの資料に対応する庭園を分析する必要がある。実際に位置する場所と周囲の景観との確認を追求すべきである。

2.西湖十景の景観の中に橋を重んじて日本庭園で表現された理由はなんでしょうか。橋を用いて日本人はどんな感情を表したいのか。西湖表現の帰着点はどこにあるのか。
→ 橋を用いる原因はいろいろ考えられるが、まず橋の実用性および造園上の便利性があることから表現に用いられたと考える。橋は西湖の他の九景より表現しやすい面があって、それをもって西湖全体を簡単に表現しようとする面があるであろう。日本人は橋に感情輸入し、そこから異国の情緒をかもし出されることは、景観に共通の認識が必要である。漢詩文や絵画作品を鑑賞することによって培われた共通認識が彼らの教養の底にあったと思われる。

3.今回の発表は江戸初期の林家を中心とした漢文学者の資料をあげたが、江戸時代の漢文学も流派があって、それぞれの主張が違っていた。林家以降、たとえば古文辞学の人たちは名所から離脱する傾向を見られた。江戸中後期から明治に至っては普通に存在する自然風景の発見にも関連づけられる。こういった江戸中後期の漢文資料の傾向を視野に入れながら、西湖景観のイメージの変遷がもっと明白に見えるのかもしれません。

6.本事業の実施によって得られた成果
  江戸時代の初期に書かれた漢詩文資料を調査する中、中国の言葉を用いて、景観を表現する資料が多く存在している。描写される景観には中国景観そのものを表現するケースもあるし、それを借用して日本の景観を表現するケースもある。このような資料をどのように理解すべきなのか、消化に戸惑っていた。未熟でありながら、中国の代表的景観のひとつ―西湖景観を事例とし、それにかかわる漢詩文資料を中心に調査を行った。そこから見られる日本人の景観評価のしかた、表現手法は中国の景観とどのように結びつけるのか、また中国の景観に対して日本人がどれほど理解できたのかを考察するため、庭園での具体的表現について考察し、今回の論文としてまとめた。
  日本の漢詩文といっても、完全に中国の古文として理解できないから、どのように読むべきなのか、資料の取り扱い方についてずっと悩んでいた。国文学の先生方の指導をいただければという願いで発表することにした。発表の時に会場からの三つのコメントのほか、懇親会場でも大事なコメントを得られた。簡単に整理すると以下のものがある。

1.江戸時代の大名たちの造園は発表で反映されたが、民間レベルの造園はどうであったのか。たとえば、名所の見方というと、江戸城内の橋が、昼間は商売の場で、夜は盛り場として使われたが、その橋は庶民の間に西湖堤と見立てた。つまり、名所の名によって生活空間を粉飾する傾向があった。このような民間レベルの名所の見方などは時代の傾向にどれぐらい反映できるのかに面白みがある。

2.江戸時代に瀟湘八景から西湖十景へのイメージの転換過程がみられる。これは景観の見方の変化であろう。は古くから日本に伝わってきて、日本の金沢八景などはそれにちなんで作られたものだとよくいわれている。しかし、江戸時代になって、瀟湘八景は完全に日本化された傾向が見られる。そこで異国の情緒の感じる西湖十景を瀟湘八景の代わりに用いるようになった。このようなイメージの転換も面白いところである。

3.資料の扱い方も指摘された。今回の論文に東京市史稿などの資料を多く利用されたが、当時の文人たちの交流記録や、大名家との交遊、茶会の記録などが各藩にたくさん残っている。これらの資料を十分に把握する上で、大名たちの景観に対するイメージが一層理解できるであろう。また、細部まで資料を追求することである。たとえば、沖縄の識名園の例をすこし触れたが、それに関連する確かの根拠の提出や、漢詩の言葉の意味の詳しい分析などを検討する必要があると指摘された。

  その他、発表の仕方とか、資料の見せ方なども指摘された。

7.本事業について
   これらの貴重なコメントは今回の発表に対する指摘だけではなく、研究の方法や問題意識をはっきりさせるために大いに役に立つものばかりである。これらの指摘をうまく消化し、論文を修正し、国文研の機関紙に投稿する予定である。

 
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