国内外研究成果発表会等派遣事業 研究成果レポート





酒井順一郎(国際日本研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【e.国際会議等研究成果発表派遣事業】
  日本語教育国際研究大会研究発表
2.実施場所
  コロンビア大学(米国)
3.実施期日
  平成18年8月4日(金) ~ 平成18年8月9日(水)
4.事業の概要
   1998年東京で開催された「地球時代の日本語教育ネットワーキング」を契機に、各国の日本語教育関係者との研究協力、情報交流の必要性が提唱され、韓国(2000年)、中国(2002年)、東京(2004年)に於いて日本語教育国際研究大会が開催された。今回の日本語教育国際研究大会はアジア圏外で初となるもので、米国コロンビア大学に於いて「日本語教育、新時代を迎える」と題し8月5-6日に開催された。100余りの口頭・ポスター発表が行われ、各国から400人余りが参加し、トピックは日本語教育史、文学、文化、文法、第二言語習得、言語学、教授法、年少者教育、継承日本語等多岐に亘るものであった。
 初日は開会式に続きMerrill Swan女史「第二言語習得におけるランゲージングと学習者の主体性」の基調講演が行われた。その後、各セッション・パネルでの発表、レセプション、そして2日目は、各セッション・パネル・ポスターでの発表等が行われた。
  この2日間を通して、最も印象的であったものが、初日に行われた「世界の日本語教育学会代表による討論会」である。世界の日本語学習者数が増加しているとはいえ、その増加率は低下しており、将来の日本語教育の最大の不安材料である。また、学習者の多様化に伴い、従来通りの日本語教育の方法では十分に対応できていない。さらに、なぜ日本語教育が必要であるのか根源的な問題も考えなければならない時期に来ている。つまり、今後の日本語教育のあり方が問われており、各国とも迷走しているといえよう。その中で、中国日本語教育学会の宿久高会長が、高等教育機関に於ける日本語教育は、日本学研究に結び付けなければならないと呼びかけたことは注目すべきものであった。確かに従来高等教育機関と雖も日本学研究ができる日本語能力を育成することは困難であるが故、避けていた観があった。生活・ビジネス日本語等の実用的日本語教育の範疇では所詮表層的な日本しか観ることができず、中途半端な日本理解になる可能性がある。これらから脱却することにより、日本語教育を通じて、日本そのものを深く理解することが必要であるのだ。ただ、各国でこれを行うとこは難しいであろう。特に非漢字圏の国は尚更であろう。しかし、「日本語教育、新時代を迎える」と題した本大会に於いてこの点が提案されたことは意義がある。日本語教育は新しく一歩を踏み出したといえよう。

5.学会発表について
 『明治期の於ける近代日本語教育-宏文学院を通して-』
 1896年、日本は日清両国の外交折衝による初の組織的清国人留学生を受け入れた。彼等を教育したのが、嘉納治五郎である。これを契機に日本国内に於ける近代日本語教育は本格的に始動した。この留学教育が成功し、清国各地から嘉納の下に留学生が殺到し、1901年(認可は1902年)宏文学院を設立した。宏文学院は清国人留学生教育機関の大本山であり、日本語教授陣からは松本亀次郎、三矢重松、松下大三郎等の中国人留学生教育及び国文法の大家を輩出した。
 当時、日本語教授法は勿論のこと、所謂共通語である日本語も定かではなかった。1900年の小学校令施行規則によれば、「国語ハ普通ノ言語」と定義したが、条文制定者の沢柳政太郎は「普通ノ言葉」が何であるかを定めていなかった。したがって、どの日本語を教えるのかを巡り現場の日本語教育は混乱が生じた。1906年、宏文学院が編纂した『日本語教科書』では清国人留学生に対し「東京語(口語)」を選択し教授することとなる。編集課程で東京語を否定し文語、地方語も教授せよという動きが出てくる。教授陣の多くが地方出身者なので東京語の認識不足や多くの文法未整理がその理由であろう。ここで注目に値する動きが出てくる。東京語を基調するものの「書かれる(可能形)」等のような東京語とは別の言語体系を加えたのである。これは1916年、国語調査委員会がようやく定めた『口語法』でも同様に述べられており、後に共通語は、東京語とは別の独自のものへと展開してくるのである。清国人留学生教育に対する日本語教育は、既に口語の共通語の規範をある程度まで形成していたのである。
 しかし、日本語教育の方法、学習効果は疑問が残った。第一に全ての教授陣ではないが、その質、教授法に問題があった。講道館所蔵の留学生が嘉納に宛てた手紙によれば、一部の日本語教授陣の質と教授法の問題から、留学生は教授交代を要請し批判を記している。第二に留学生と宏文学院の日本語学習・教育観の違いが、学習効果に影響を及ぼした点である。宏文学院は4技能(「聞く」「話す」「読む」「書く」)習得を目的にした教育を行った。これは語学教育としては自然なことであったが、一方、留学生の日本語学習に対するニーズは「読む」ことであり、特に平仮名の部分だけの学習を教授陣に求めた。これは1899年以降大陸で流行した速成式日本語学習方法である「和文漢読法」の影響といえる。また、6ヶ月から1年の短期留学であったため致し方なかった。ただこの方法では、中途半端な日本語を学習することとなるのである。その結果、学習効果があったとはいえない。黄尊三等の留学生は日本語能力に悩んでいる旨を述べていることもその証左であろう。さらに当時の留学生である孫伯醇等の証言によれば、多くの留学生は日本語そのものを真剣に学習しようとする者は少なかったという。
  明治期に於ける日本語教育は、教師の質、教授法等の問題はあったものの、共通語の規範をある程度まで形成しており、近代日本語の魁であり、4技能を目標とする正統派の語学教育を提供しようとしたといえる。留学生によかれと思い提供した日本語教育であったが、留学生の求めた日本語学習は違っていた。また、その学習では十分な日本語を習得することはできなかった。つまり、両者の相互誤解の日本語教育であったといってよい。


会場からの主な感想・意見は以下の通りである。

1.明治期の清国人留学生に対する日本語教育が近代日本語の魁であったと知り驚いた。
2.植民地時代になり、英語教育でも同様な問題があった。
3.日本語教育と国語教育の繋がりをさらに研究したらどうか。

6.本事業の実施によって得られた成果
 本事業で、コロンビア大学で開催された日本語教育国際研究大会に参加させていただいたか、各国の日本語教育関係者、研究者と直接会い、日本語教育事情、研究等の情報交換、議論ができたことは大変有意義であった。特に中国日本語教育学会会長の宿久高先生等と日本語教育が、どのように日本学研究者の育成を担っていくか直接議論できたこと、そして米国ハーバード大学のWesley Jacobsen先生から米国人中国研究者が日本語の中国研究に関する論文を読むために日本語学習を始めているこ情報をいただいたこと等は、小生にとって日本語教育のあり方を改めて考え直す必要性を感じさせたのであった。
 小生は研究発表もさせていただいた。従来の日本語教育では教育史は謂わば日陰の存在である。しかし、今回は小生の研究に興味を持った研究者が以前よりも増えていたことが驚きであり、幸いであった。発表後、様々な研究者から意見、アドバイスをいただいたが、これらは今後の小生の博士論文に新たな展開の契機となると確信している。
 最後に、総合研究大学院大学の存在を多少なりとも示すことができたのではないだろうか。

7.本事業について
   学生にとって経済的な問題等から海外の国際学会等に参加することは困難である。しかし、本事業によって国際学会等の参加の扉を大きく開いてくれたことで、研究意欲がより一層高くなった。この場を借り本事業設立に尽力された方々、また本事業関係者の方々に謝意を表する。そして、今後もこの事業が継続することを望む。