国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





七田麻美子(日本文学研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
  上海図書館における、散逸した旧日本所蔵の漢籍、和刻本漢籍の調査
2.実施場所
  上海図書館(中華人民共和国 上海市)
3.実施期日
  平成17年12月26日(月) ~ 平成17年12月30日(金)
4.事業の概要
   今回、調査に行った上海図書館は中国で二番目に大きな図書館である。近代図書館として充実した機能を誇るとともに、多くの古典籍を収蔵している。
 今回の調査の目的はかつて日本にあった漢籍が、近代、海外に大量流出したことを受け、その行方を追い、諸本を確認することで、近世期以前の日本の漢文学の状況の研究に資するというものである。同時に、その流出の経路をたどることで、近代日本と中国の学問交流の状況を確認し、近年研究されている、書物交流論の見地からその意義を読み取ろうとするものである。具体的には、主に書物が上海にやってくるまでの遍歴を、蔵書印、書き入れの内容からたどるということになり、一冊一冊地道に見ていくという手段を取る。
  この調査は、慶応義塾大学佐藤道生先生、鶴見大学堀川貴司先生、国文学研究資料館、陳捷先生の行っている散逸漢籍の研究調査に参加する形で、上海図書館に許可をいただいた。実際に、中国国籍でおられ、かつ日中の書物交流論で両国において高名な陳先生のサポートがあったおかげで、普通より円滑に調査が進行した側面は否定できない。貴重な古書籍を一般に公開するに関しては、相当にデリケートな対応を求められるからである。
 調査の困難さという点では、現状で上海図書館は古書籍の冊子体目録を作っておらず、現地に行ってカード目録を繰るまで、何が所蔵されているのか、まったくといっていいほど、わからない状況であった。さらに漢籍は当然中国のものであるゆえに、膨大なカード目録を見ていても、それが日本にあったかどうかは、その目録の些細な情報を元に確認する以外には、いわば手当たり次第、もしくは整合性のある推理を以ってあたりをつけていくしかなく、調査初日は、目録の検討に終始した。目録からピックアップした情報をまとめ、それを実際に見る作業は、二日目以降に本格化した。
 自身は、膨大な書籍の中から、いわゆる集部、文学関係の目録より、白居易関係の書物と、経書の一部(これは、楊守敬の手になる書物の日中間移動が確実であるため、その研究の中心である経学の書物で書誌情報を確認すれば、同じ方向性で、集部の書物に関しても、探索が可能なのではないかと思ったからである)、和刻本の検討を行った。残念ながら白居易関連の古書籍では、日本旧蔵のものはなかったが、和刻本に関してはその存在を確認できた。
  ただし、書物の閲覧が本格化し始めた、調査二日目以降、小雨が降り止まぬ悪天候が続いた。上海図書館では、湿気の多い日には、善本である古書籍の閲覧を禁じており、一日目の調査で拾い出した多くの善本の目録は、残念ながら二日目以降の閲覧に繋がらなかった。そこで、善本以外の古書籍目録を再度確認し、同じく漢籍、和刻本漢籍の拾い出しをし、ここでもやはり和刻本の存在を確認し、その調査に務めた。
 三日間と短い期間に、目録の洗い出しから、各書物の調査までやるのであるから、扱える数は非常に少ないものとなってしまったが、それでも上海図書館の漢籍、和刻本漢籍の所蔵状況の確認をできたことにより、将来の悉皆調査等を促す予備調査はできたと思うところである。  

5.本事業の実施によって得られた成果
 上記あるように、天候の都合で、目指していた『白氏文集』の調査は一切行えなかった。そもそも上海図書館には宋刊本をはじめ多くの『白氏文集』があるのだが、古いものはほとんどCD‐ROMになっており、古くて明代、一般には清代の書物までしか手にとれないという状況ではあった。それでも、現地実際に行って見るまで、そうした情報すら得られないという現状を考えると、上海図書館で実際に赴いた意義は小さくない。カード目録は大変膨大なものであったが、それゆえに、情報の精度にばらつきもあり、実際に本を見て、再度目録を作るべきである旨の感想は禁じえなかった。将来の大規模な悉皆調査を期待したい。
  そうした中で、自分の研究にかかわるものとの出会いを果たせたのは僥倖であった。たとえば今回、善本ではない目録の中から見つけた書物に以下のようなものがあった。
「0522691/ 和漢朗詠集/(清)佚名撰/鈔本/一冊/書名擬加/書後原題倭漢朗詠抄 」
この情報を元にすると、清代に『和漢朗詠集』が何らかの形で書写されている事になるが、実際の調査の結果おそらくこの情報は正確なものではないという結論に至った。厚手の鳥の子紙に書写された、折本の断簡で、前後を欠落させたものではあったが、痛みはほとんどなく、美品といえるものであった。文字の様子から見ると江戸のものと思われるが、、和歌の書き様から、鎌倉期の本を模写した可能性が考えられた。裏書はなく、書き込みも皆無、断簡であるため所蔵印も一切ないので、この断簡の来歴等を明らかにするのは困難である。『和漢朗詠集』の諸本研究はほとんど不可能といわれておるもので、現時点ではその完成の見通しも成されていない。この上海図書館所蔵の断簡の目録情報を、外国ゆえの単なる間違いとするのは簡単であるが、この存在を以って『和漢朗詠集』諸本研究の難しさを再確認するにとどまらず、積極的な情報収集を志向していきたいと改めて思った。
  目録の情報整理の課程で気づいたことを付すならば、上海図書館所蔵の和刻本は1800年代以降のものが目立ったことも付け加えたい。安政以降の、いわゆる開国後の古書籍に関しては相当な数が所蔵されており、特に地理書が多かったことなどは、世界の動向と照らし合わせても納得いくものである。一方19世紀の集部の和刻本がどういう経緯で上海図書館に所蔵されるにいたったか、今のところ明らかにはできていない。経書における楊守敬のような人物がいたのか、文学を専門とする古書籍商の存在が間にあるのか、いくつか推論は立てられるが、これも全体像の把握なしには解答は得られないだろう。
  北京図書館に比べて調査の遅れている上海図書館ではあるが、書物交流の点から考えると、租界の存在なども視野に入れて、注目すべき部分は多いと思われる。今回、目録情報のみしか持ち帰れなかったものも含めて、日本でできる限りの追調査を行い、情報の精度を高めていきたい。『白氏文集』等の困難な本文研究のためには、些細な情報でも、確実な資料として利用できるのならば、十分研究に資するに値するからである。そのためにも今後も多くの資料に向き合っていかなくてはならないと、改めて感じた。

6.本事業について
   今回は上海図書館の調査をご許可いただき誠にありがとうございました。残念ながら、天候という大きな壁に阻まれて、出発前に考えたいたものとは少々異なる成果を持って帰ることになりました。いかんともしがたいこととはいえ、残念でなりません。今後のこともありますので、このような場合の対処法について何か指針等あるのでしたら、参考までに学生にお伝え願えたらと思います。実は善本以外の書物が見られたのは偶然のようなものでした。天候のことは図書館側の説明にはなく、わからないまま請求をしているうちに、善本以外の書物を見せてくれたので、調査をできたのですが、そうでなかったら、近代図書館である上海図書館で一体何をすればよかったのか見当がつきません。たとえば、渡航先で、急に計画を変えてもいいのか(たとえばこの場合、図書館をあきらめて、博物館などを見に行ってもよかったのか)等、いまひとつよくわからないでいます。規定をするのは難しいところとは思うのですが、何かアドバイスがいただければ幸いです。

 
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