国内外研究成果発表会等派遣事業 研究成果レポート





友永雄吾(地域文化学専攻)
1.事業実施の目的 【e.国際会議等研究成果発表派遣事業・h.海外フィールドワーク派遣事業】
  国際学会発表並びに博士論文執筆のための現地フィールド調査
2.実施場所
  オーストラリア:シドニー,メルボルン、シェパトン、バルマ、ミルジュラ
3.実施期日
  平成18年12月9日(土) ~ 平成19年1月6日(土)
4.事業の概要
 

(1)参加した学会の内容及び参加したセッションについて

   
(カールトン・クレスト・ホテル)              (国際会議2日目の閉会時)

 本事業を通して参加した学会は、シドニー市街の中心部に位置するシドニー工科大学向かいのカールトン・クレスト・ホテルにて開催された国際会議である。本会議の主要テーマは「白人性の境界政治(Borderpolitics of Whiteness)」であり、本年より開始された新しい国際会議である。参加者の総数は約200名。その内110名が報告者であった。参加者は大学教授、学生、学校教員、NGO団体などで活躍する職員など、様々な分野の方々により構成されていた。1日目は「国民と境界」、「境界」、「地質メディアの境界」、「行政の境界」、2日目は「ジェンダーの境界」、「国民、国家ならびに白人性」、「白人ヘゲモニー」、「教育の境界」、3日目は「人種的優位性に基づく経済問題」、「コロニアルな境界」、「エスニシティと専門性」、「白人性の読み方と書き直し方」といった大枠の議題に基づき、12月11日から13日の3日間、朝8時30分から夕方5時30分まで5つのセッションが4つに分けられた会議場にて開催された。殊に、オーストラリア先住民と移民の問題を主要テーマとして取り上げるセッションが多く見られた。「生-政治と先住民政治(The Biopolitics and Indigenous Governance)」というタイトルのセッションでは、3名のスピーカより報告があった。ボビー・バナルジー氏より、北部準州のアボリジナル・コミュニティに住む人々へのインタビューを通し、白人を優勢的な集団とするオーストラリアの政治的、経済的な影響下にあって、いかにしてアボリジナルの人々が自らコミュニティを運営・管理することが可能となり得るかに関する報告があった。ついで、リネット・レイリー-マンディン氏はアボリジナル女性であり、30年に及ぶ自らの教育者としての経験に基づき、また世界の先住民の教育現状を統計資料に基づき分析し、アボリジナルに対する教育政策を批判的に捉えた。「動揺する白人ヘゲモニー:アート、文学&民族誌(Destabilising White Hegemony: Art Literature & Ethnography)」と題するセッションでは4名の報告者があった。報告者の1人に、私の尊敬するシドニー工科大学のジュリアン・コウリショウ教授が含まれていた。彼女は、個人の日常経験がいかにアボリジナルの国家政策と密接に関係しているかという観点に立ち、とくに「暴力」という問題に焦点を当て30年以上にわたりフィールドワークを実践してこられた方である。本セッションの主要テーマは、アボリジナル「当事者」が、芸術、文学、民族誌の中でいかに非アボリジナルの人々により「表象」されてきたかに関する批判的な考察であった。その後、いかにしてアボリジナル「当事者」と「非当事者」は、ステレオタイプ化された「表象」を転換させ、新たな「描写」が可能かという問いに対し「個の実践」に基づく事例が示された。「ローカル化する白人集団(Localising White nations)」と題するセッションでは4名から報告を受けた。本セッションの主要テーマは、昨年12月にシドニー郊外にあるクロヌラ(Cronulla)・ビーチで起きた、イスラム教徒の1家族に対する周辺住民からの集団暴力事件であった。この出来事を写真やビデオを交え取り上げ、いかにオーストラリア社会が「ローカル化」や「想像の境界」といった意識に基づき「異質な他者」を排除しながら「白人性」を固持しようとしているかに関する報告がなされた。以上の報告で最も印象に残ったものとして、研究者と研究対象となる当事者が共同で発表を行う報告が目立ったことがあげられる。また、会議開催の2ヶ月前よりメーリングリストを作成し、それに加入した報告者同士のメールによる活発な討議より出されたテーマと、本会議の報告を踏まえ、臨時のワークショップが最終日に開催されたことに、筆者は本国際会議の意気込みを感じさせられた。

(2)実施した調査の内容について

 
(バンガロン文化センター所蔵のブーメラン)     (マンゴー国立公園内のマンゴー湖にて)

 学会終了後、シドニーからメルボルンへ移動し、メルボルンより250キロ北上したシェパトン市、そこから60キロ北上したニューサウスウェールズ州とビクトリア州の境界に位置するバルマ、さらに400キロ北西に位置するミルジュラを拠点としフィールドワークを行った。その主要目的は、バルマを中心に定住するアボリジナル集団が、土地権返還のための運動を1860年代から継続しており、2002年のヨルタ・ヨルタ先住民権原訴訟敗訴後の、当該集団内部の多様性と日常の生活実態について調査することにある。具体的には以下のことを実施した。

2006年12月18日-12月25日
シェパトン(ビクトリア州)
① バンガロン文化センター職員及び関係者への挨拶とインタビュー調査
②バンガロン文化センター職員に対する国際学会にて発表した内容に関する報告とそれを受けての討議

12月26日-27日
バルマとクメラグンジャ(ビクトリア州)
①エチューカ(ビクトリア州)とモアマ(ニュー・サウス・ウィールズ州)の間を流れるマレー川に架ける橋をめぐるアボリジナル集団内部の合意形成に関する動向調査
②バルマに居住するアボリジナル1家族のクリスマス・ホリデーにおける生活記録

12月28日-30日
①ミルジュラ(ビクトリア州) バルマに居住するアボリジナル2家族のミルジュラへの帰郷に同行

2006年12月31日-2007年1月4日
バルマ(ビクトリア州)
①アボリジナル1家族の誕生日会に参加
シェパトン(ビクトリア州)
①バンガロン文化センター職員へのインタビュー及びビデオ撮影
② 国際学会報告の際に扱った専門学校でアボリジナル・アートのクラスを専攻する学生の展覧会がシェパトン市内の美術館にて開催され、それに参加。さらに本クラスのアシスタント・レクチャラー兼バンガロン文化センター職員より学生の絵画に関する説明を受け、それをビデオで撮影

5.学会発表について
   筆者は、12月12日の午前11時45分頃からはじまった「人種化する批判的教育学2 (Racialised Critical Pedagogies II)」と題するセッションにて報告した。本セッションへの参加者は1名の議長と筆者を含む4名の報告者に加え、約30名の聴講者であった。
 まず、ベリンダ・マックギル氏より教育者である自らの経験と知見に基づき「アボリジナル・トレス海峡諸島民教育ワーカー:学校とコミュニティ間の境界領域を占める(Aboriginal and Torres Strait Islander Education Workers: Occupying the border zones between schools and communities)」というテーマで報告があった。
 ついで「オーストラリア社会における都市部アボリジナルの挑戦(Urban Aboriginal Challenges in Australian Society)」という題で筆者の発表が始まった。主題はビクトリア州北中部を拠点に集住するバンガロンとヨルタ・ヨルタを中心とするアボリジナルに対し、ビクトリア州の北中部に設置された2つの専門学校内のアボリジナル特別教育プログラムを比較分析し、本教育プログラムの新たな役割を示すことにあった。発表の前半を統計資料に基づくマクロ・パートとし、後半をフィールド資料に基づくミクロ・パートに分け、報告を行った。殊に、統計資料分析では、2001年の国政調査資料とビクトリア州政府VAEAIが製作した統計資料を使用し、オーストラリア国家、ビクトリア州におけるアボリジナル人口統計・雇用率・就学率を明らかにした。これらに加え、連邦政府とビクトリア州の先住民特別教育政策の背景と現状を概観した。ミクロ・パートではバルマとシェパトンに設置されている2つの専門学校にある先住民特別教育プロジェクトに2006年7月から8月まで参加し管理者、教師、学生へのインタビュを通し、当該プロジェクトの現状と展望を考察した。結果、現在の特別教育プログラムは白人を優勢とするオーストラリア主流社会への統合を中心に機能していることが明らかになった。その一方で、プロジェクトに関与している管理者、教師、学生の多くが主流社会への統合だけでなく、アボリジナル・コミュニティ内での知識の交換、更には主流社会とアボリジナル社会との相互理解を促進するために、本プロジェクトが大きな役割を担う可能性があるとする認識を明らかにした。発表後、マクロ・パートではオーストラリア連邦政府とビクトリア州政府のアボリジナル特別教育政策の概要について関心を示す参加者が数人あった。さらに、ミクロ・パートではアボリジナル個人/コミュニティ、主流社会の個人/コミュニティとの関係を示した図に対する説明をジュリアン・コウリショウ氏より求められた。
 最後に、ロス・ケンダル氏とニェニファー・ヒスロップ氏より「政治のレトリック:先住民教育機関の崩壊(the rhetoric of politics: the collapse of an indigenous educational institute)」というテーマでニュージーランドのマオリに対する先住民教育機関の運営・管理に関する賄賂や縁故主義についての報告がなされた。
 本セッションはマクギル氏と筆者がオーストラリア先住民に対する特別教育政策について、教育者、学生というそれぞれの見地より、先住民教育プログラムの主流社会への「統合」を目的とした役割から、主流社会が当該教育プログラムに「包摂」される新たな役割の可能性に関する提案があった。また、ケンダル氏とヒスロップ氏からは、マオリに対する特別教育プロジェクトの利点と欠点についての現状が示された。

6.本事業の実施によって得られた成果
   国際学会での発表やその後のフィールド調査を通し、今後のフィールド調査や博士論文作成のための貴重な成果が得られた。得られた成果は以下のとおりである。

(1) 国際学会に参加して得られた成果

① 国際会議での報告を通し、筆者はアジア・環太平洋の中で先住民政策を成功裏に治めていると一般的に言われているオーストラリア、ニュージーランドにあって、その政策の内実には、多くの矛盾や問題が山積しているという実態を、改めて感じさせられた。
② パネルセッションを通し、筆者を含む4名の発表者や筆者とは世代をことにする数人のセッション聴講者の方々との交流を深めることができた。
③ オーストラリアとカナダの大学院博士課程後期に在籍する同年代の学生との交流を深めることができた。
④ 本学会に参加した報告者は、学会ジャーナルへそれぞれの報告に基づく論文を投稿することができ、現在論文の原稿を作成中である。筆者の論文が査読の結果受理されるかどうか未定であるが、今後、研究の成果を日本国内のみでなく国外へも発信していくための訓練として、この挑戦は大変貴重な経験を筆者に与えてくれている。
⑤ 学会終了後、調査地へ赴き本会議にて発表した報告概要を、そこに居住するバンガロンとヨルタ・ヨルタの人々に伝え、それを受けた討議を持てたことは今後の研究にとって何よりも重要な成果になった。

(2)フィールド調査を実施して得られた成果

① クリスマス・ホリデーや年末・年始で先住民問題を扱う公的機関や独立行政法人が休業中であったため、当初計画していたバルマ地方町における土地権をめぐるアボリジナル集団内部の異なった立場や土地をめぐる認識に関する調査の実行が困難となった。一方で、限られたアボリジナル家族と生活を共にすることで、このような状況下におけるかれらの日常生活の実状を知ることができた。たとえば、20代後半のアボリジナル男性の多くは近隣の地方町にある羊や牛を解体する屠場でのカジュアル・ワークに従事することで出費が多くなるこの時期の臨時収入を稼いでいたことがあげられる。
② これまでバンガロンやヨルタ・ヨルタという集団は法規則に基づき土地権を争う際、静的な集団として一括されてきた。このため集団内部の土地に関する意見や認識に齟齬が生まれている。しかし、集団内部の実態は、このような集団の枠に規定されない動態的なものであり、多様な個人が存在している。筆者は、バルマ地方町の当該集団に属さないアボリジナル2家族との交流を図り、バルマ地方町より約400キロ西北に位置する、かれらの故郷ミルジュラ市への帰省に同行した。これによって、アボリジナル集団内部の動態的で多様性のある実態を知ることができた。
③ 2005年より継続している、バルマ地方町、シェパトン市を中心とするインタビューとビデオカメラによる撮影を、本フィールド調査でも実施することができた。

 今後、これまで実施してきた補足調査に基づき、バルマ地方町とシェパトン市を中心に、アボリジナル集団、個人及び非アボリジナル集団、個人の土地に関する認識とそこから生れる運動に関する認識についての調査を進め、動態的な「今を生きる」人々の実態を明らかにしていきたい。筆者は、来年の4月より約1年間の長期フィールド調査の実施を考えており、その際、本事業で焦点を当てた「就学」の実態に加え、さらに「雇用」の実態にも調査の関心を拡大することで、当該地域のアボリジナル家族が直面する日常に迫っていきたい。また、これらの調査で得られるデータを踏まえた報告を継続的に実施していく。その1つに、本年10月にアメリカ・サンフランシスコ・オークランドにて開催される「オーラル・ヒストリ学会年次定例会」にて、昨年シドニーで行った報告を基礎にする発表をすることが決定している。

7.本事業について
   1つの専門分野を超え他分野にまたがる学際的な研究を進め、1国内に留まることなく他国の研究者との交流を深めることは、現在の研究者にとって不可欠な要素であると思われる。また、そういった研究や交流に基づき得ることのできる知見を、国内外の学会や市民社会に開かれたセミナーなどで発表し研究者や市民社会との対話を継続することも現在の研究者が担う役割であると筆者は考える。こういった目的を達成するために研究生が果敢な挑戦を行うには、若手研究者を養成するための補助金がどうしても必要となる。筆者にとって、本イニシアティブ事業は、まさに自らの知見を広げ、海外の研究者との交流を深め、ローカルやグローバルなレベルにおいて人々との対話を継続するために必要不可欠なものであった。したがって、今後とも本事業が継続的に実施されるよう切に願っている。最後に、このような機会を与えてくださった本事業に対して心から感謝申し上げます。

 
 戻る