国内外フィールドワーク等派遣事業 研究成果レポート





米山知子(比較文化学専攻)
    
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
   博士論文執筆のための補足調査
2.実施場所
  カラジャアフメット・スルタン文化普及・相互扶助・霊廟修復協会
3.実施期日
  平成18年2月16日(木)から3月9日(木)
4.事業の概要
   今回の調査は、2004年に博士論文執筆を目的に行った10ヶ月間の本調査では時間の関係上実施が困難であった部分を補足するために行った。調査内容は、都市のアレヴィーと呼ばれる人々の協会(カラジャアフメット・スルタン文化普及・相互扶助・霊廟修復協会。以下カラジャアフメット文化協会と記す)で実践されている儀礼ジェムとジェムの中で実践されている宗教的舞踊セマーの調査、および、セマーに対する担い手達へのインタビュー撮影である。そして、文献資料の収集を行った。今回の調査場所でもあり、2004年実施の本調査から継続的に情報を得ているカラジャアフメット文化協会は、1990年代以降都市において増加しているアレヴィーの文化協会の中でもその創立が最も古く、かつ最大規模の協会であり、ここでの儀礼ジェムおよびセマーは、他の都市の協会の模範となっているため選択した。
以下に具体的な調査内容を記述する。今回の滞在では、主に計5回の都市の協会における儀礼ジェムの調査を、協会の全面的な協力のもとに行った。本来村などでは木曜日のよるに行われていた儀礼ジェムは、最近の都市の協会では主に毎週末に行われている。午後1時より約3時間、協会2階のジェムエヴィ(ジェムを行う部屋)で、デデ(長老:ジェムを導く精神的指導者)によって執り行われる。土曜日はそれほどでもないが、日曜日のジェムへの参加者は数百人にも上り、肌寒い日であってもジェムエヴィは蒸し暑くなる。
 しかし2月19日日曜日には、ジェムエヴィでのジェム以外に、2階のセマーオダス(宗教的舞踊セマーの練習部屋)にて、セマーのホジャ(師匠)によって主にセマー教室(毎週日曜日に行われる、アレヴィーにとって欠かせない宗教的舞踊セマーを習得する教室)に参加している若者を対象に、ジェムが執り行われた。そのため、この日はセマーオダスにおけるジェムに参加し撮影調査をさせていただく。午前中のセマーの練習後、昼食(ロクマ)の配膳を済ませたのちの午後2時頃より、約2時間にわたって行われた。ホジャはジェムを行う前に「若者に伝承するために今日は特別にジェムを行う」と述べ、途中何度か手順について戸惑いを見せながらも進めていた。しかし、参加者は若者だけではなく、このジェムが行われることを知った大人や子供も多く参加していたため、20畳以上ある部屋は足の踏み場もない状態であった。なぜこの日にこのような形でジェムを行ったのかを、主なインフォーマントであるセマーチュ(セマーの担い手)、YTに問うたところ、特別な理由はなく、若者へのアレヴィー文化の継承のため、というジェム開始時のホジャの説明のままの答えが返ってきた。確かに、セマーオダスでは、セマー以外にも、ホジャによってアレヴィーの様々な文化を教授する様子が見られる。
 26日日曜日のジェムエヴィでのジェムの調査は、その全過程を撮影させていただいた。数百人の参加者と共に、調査者は全体の状況を把握するために入り口付近での参加である。入り口には本来村で行われるジェムに従い、カプジュと呼ばれる番人が立ち、ジェム(エヴィ)へ入ってくる者を統制する。スカーフをもっていない女性には用意してあるスカーフを渡し、座る位置を支持する。参加者はデデを中心に円になって座るが、男女は左右に別れる。円の中央には、「12の奉仕Oniki Hizmetleri」と呼ばれるジェムの進行(構成)とともに、それぞれの進行(構成)を司る担当者が出てきてその役割を果たす。アレヴィーの儀礼ジェムは、聖人の詩を音楽の調べにのせて伝えることで特徴付けられる。デデはバーラマと呼ばれるトルコ特有の弦楽器を演奏しながらジェムを進める。参加者は次第に音楽、そして詩に陶酔し始め、身体をゆすり、詩の内容によっては涙を流す。この日も子供から老人まで数百人の参加者ほぼ全員が、そのような様子を見せていた。最後に行われるセマーは、最初は決められた者が回って(アレヴィーはセマーを「踊る」とは言わず、その振りの特徴から「回る」と言う)いたが、次第に参加者が立ち上がり回りだす。これは19日のジェムでも同様であった。しかし、セマーに関しては、2004年の簡単な調査時、及び、19日のジェムとの相違が見られた。アレヴィー以外にトルコでもう一つ、セマーを宗教儀礼に使用する神秘主義教団であるメヴレヴィー教団のセマが、ジェムのセマーと同時に回られたのである。これは現代トルコ都市独自の大きな変化と言える。ジェム終了後、参加者数人にインタビューを行った。毎週来ているという者は少なかったが、皆、調査者に対し信仰心の厚さをみせていた。
以上が今回の主な調査である儀礼ジェムである。計5回参加したが、参加者の人数の増減はあっても、いずれも同様の内容であった。
 その他にセマーチュ、デデへのインタビューを行った。対象は、主に前述のYTである。2004年の本調査以来情報を得ている彼女には生活全般を見せていただき、同時に撮影もさせていただいた。特にアレヴィー文化の継承を強く訴える彼女は、トルコ民謡歌手を目指し、名門トルコ国立音楽院に通う25歳で、カラジャアフメット協会の活動に積極的に参加し意見を述べる。将来は、協会の管理委員に立候補するため選挙に出馬すると力強く述べていた。また、セマーに関しては、セマーは「愛」であり、セマーなしではアレヴィーは存在し得ず、メヴレヴィーのセマが同時に回られているにことに対して、批判的な意見を持っていた。また、協会周辺にあるアレヴィーに関係のある聖人廟の参拝を彼女と共に行い、その歴史などを学ぶ。YTはそれほど熱心なアレヴィー「信者」なのである。
デデ(ベクタシュ・デデ)へのインタビューは、協会事務所で行った。このデデは、約5年ほど前から本協会でデデとしてジェムを先導している。メヴレヴィーのセマーをジェムの中に取り入れた理由を問うと、同じセマー(セマ)であるため、とはっきりした答えはなかった。

5.本事業の実施によって得られた成果

 

 本事業(調査)を実施したことにより、2004年の本調査では見感じることができなかった多くの変化を知ることが可能となった。それは調査対象であるアレヴィー個人のみではなく、トルコ共和国(イスタンブル)というその個人を取り巻く社会環境の変化が、一つの儀礼の形(構成)にまで影響を与えていることが明らかになったと言っても過言ではない。
 現在トルコ共和国はEU加盟へ向けて、それまで課題とされてきた人権問題や経済問題などの諸要素を解決すべく、様々な取り組みを行っている。1990年代以降の少数民族緩和政策におけるクルド人問題などはその代表的な例である。アレヴィーもその流れに乗って自らの文化をアピールしてきたが、一つの「民族」とは捉えられず、「宗教」の枠の中で認識されてきたため、アレヴィーに関してはいまだ様々な制約がしかれているのが現実である。そういった状況に対し、彼らは自分達の立場を理解しながら、宗教的舞踊セマーを用いて宗教的な場面以外にも様々な活動の「場」を生み出してきた。博士論文ではセマーに焦点を当て、様々な「場」を自由に行き来する舞踊、そしてそれを生み出す人間の柔軟性を追求することを目的としているが、セマーが本来行われるべき場である儀礼、特に最近見られるようになってきた都市の協会での儀礼の調査が不完全であったため、本事業の実施によってそれを補うことができた。その結果、儀礼の後半に行われるセマーに特に変化を見ることができた。スンニー的神秘主義教団であるメヴレヴィー教団のセマが、アレヴィーのセマーと同時に回られたのである。それはアレヴィーが、先に述べたトルコ共和国の政治的状況と相互作用の結果生み出した、新たな表現手段である。このメヴレヴィーのセマとの合同に関しては、「トルコ政府へのアピールのためだけであって、本来持っているそれぞれの良さを消し合ってしまう」というインタビューへの返答からも明らかなように、賛否両論意見が別れる。しかし、アレヴィー内外で今後のセマー、ひいてはアレヴィーのあり方について考える大きなきっかけの一つになったことは確かである。
 本事業の成果は、具体的には博士論文の中核部である第4章に向けて、儀礼以外にセマーが行われる様々な場と比較検討しながら、3章の中で具体的に考察を進める。そして、5月に行われる日本中東学会年次大会、および6月の文化人類学会において口頭発表する。また、撮影を行った映像は、儀礼に関しては調査者が参加時には見落としている可能性のある箇所の確認を行うためにも用い、その他主なインフォーマントであるYTの生活を中心に編集し、6月の文化人類学会の「映像人類学ワークショップ」に出品する。

6.本事業について
   調査費を得ることが困難な現在の状況で、このような派遣事業は研究の幅を広げるという意味でも価値のあることであり、非常に感謝している。郵送の期限などは、フィールドを行う国によっては間に合わないこともあるため相談させていただいたが、いろいろと便宜を図っていただけてよかった。これからも続けていって頂きたいと思う。
 専攻を超えた教育研究活動に関しては、総合研究大学院大学の特色である、各研究基盤の特色を生かして推進していけば、よりよい活動ができるのではないかと考える。

 
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