参加した学会等のタイトル:
2005年度韓国日語日文学会学会 日韓共同学術大会 -日韓間の文化交流と境界-

開催場所:
韓国(ソウル)韓国外国語学校

開催期日:
平成17年10月20日(木)から10月22日(土)

参加した学会等の概要:
1990年以後世界はイデオロギー的な東西退路津を克服し若いと協力の時代を向かえ、国境を越えて大きな情報の流れが真のグロバルな時代を迎えている。このような世界的な流れの前に、日韓関係も例外的ではない。韓国政府の日本大衆文化開放政策や日韓ワールドカップ共同開催をつついて。韓国でもJ-popやアニメや現代日本小説の大流行が巻き起こった。一方、日本でも「冬のソナタ」をその代表とする「韓流」という韓国ブームが訪れている。このような流れは、日韓両国の人々は相互理解と交流の幅を広げていく上で多様な市民グルプを中心とした新たなネットワークを形成するのにまでいたっている。

40年前の国交正常化の当時は、一年間1万人に止まった両国訪問者数が今や一日で1万人を越える勢いで活発になってきた。このような時点で、日韓問題においても多様な視点を置き、生産的な討論の場を設けるために今回の日韓共同学術学会が開かれた。

今まで日韓関係に関連した知的論議の多くは過去の不幸な歴史の桎梏から決して自由ではなかったのも事実であろう。特に、最近の日韓の緊張関係を考える時、民族とは何か、国家とは何かを再び問い直す必要が生じてきたと思う。それを乗り越えるべく両国間の文化交流の歴史を捉えなおすことは大事な教訓を私たちに与えてくれるはずである。今回の大会の主題が「日韓間の文化交流と境界」としたのも、その問い直しであったと思われる。

しかし、今回の学会はただ日本と韓国だけが、その研究の対象ではなかった。タイトルからも推測できるように、在日コリアン文学が取り上げなれたのは当然にも感じるかもしれないが、旧満州国までがその研究対象として扱われたのである。今、我々が享受している文化や社会制度は19世紀から20世紀をかけて、東アジアの中で想像を絶するくらい複雑に展開して相互浸透し合った結果として成立したものである。今の国境線の中でものを考えるような学問の上での一国主義としては、我々の今現在の多くの部分を見落としたり、また把握できなかったりする恐れがあるのを今回の学会を通してもう一度考えることができた。

日韓交流と協力は拒否できない時代の流れともいえると思う。しかし、その内容をどのように満たすかは、その土台がどのように成り立ったかを正確に把握することから出発せねばならないのではなかろうか。この点は、我々研究者が果たすべき役割であると思う。

学会参加以外の日程について:
今回の海外学術交流支援事業を通してシンポジウムに参加したのは10月20日から22日にかけてのことであったが、その後、しばらく韓国に滞在し、研究に関連する資料収集を行った。在日朝鮮人関連資料は、日本でも刊行されているものが多いが、ハングル文字で出版されたものに関してはその出版所が日本であるにもかかわらず、国会図書館などにもそなえているところが見当たらないのである。また、韓国にもひとつにまとめて整えているところがなく、いくつかの図書館や研究施設を回らなくては全般を見ることができなかった。10月24日から28日にかけては、韓国国立中央図書館(ソウル)のマイクロフィルム室で、1920年代の朝鮮半島で刊行された雑誌の記事検索を行った。また10月31日から11月4日にかけては高麗大学アジア問題研究所(ソウル)、韓国中央研究所(京畿道)の韓国史研究室などを訪れ、1920年代前後の日本で出版された雑誌や在日朝鮮人関連情報を尋ねたところ、様々なアドバイスや情報を得ることができた。

学会等に参加して得たこと:
今回の「日韓間の文化交流と境界」シンポジウムの趣旨は、民族と国家を固定したものとして取り扱うのではなく、またそれを超えた視点での両国間の文化交流の歴史を捉え直そうとする試みの一環であった。19世紀末期の東アジアにおいて、知的共通基盤であった漢字の変遷に各国がどのように相互反応しあったかの報告から、韓国のマスメディアの中で現れている日本像にいたるまで交流という側面から様々な議論が行われたのである。現在の日韓文化交流に関しての報告ではどれほど両国の間が接近してきたか、またその文化的境界がどれほど薄くなったのかを感ぜずにはいられなかった。

だが、博士論文のために何より収穫であったのは、「日本帝国の文化史」全般に渡る議論の場を実感できたことであった。鈴木貞美宣しえの「「大日本帝国」における「超国家主義」と多文化主義」の報告をはじめ、旧満州国に関する報告にいたるまで東アジア全般を視野に入れた研究方法論を体験したのである。

日本帝国主義は西欧帝国主義に対する危機意識から発した極めてせわしない変転の相を示しながら展開してきた。近代日本の歩みは、当初より独立国家の建設とともに、西欧帝国主義に対するアジア主義を伴っていたのであって、日本が帝国主義的な膨張政策を実現してゆく過程でも随伴していた。とりわけ、朝鮮半島に対する三一独立運動、中国の五四運動の高揚に直面してからは、「内地」の知識人に対しては、文化相対主義が主流になってゆき、「領土」内においては「武断政策」から「文治政策」に転換し、積極的に「親日」派の養成を心がけてゆく過程をたどった。このような、流れは日本の中での在日朝鮮人活動家グループにも変化をもたらした。以前の民族主義の立場に立った解放運動論の退潮や第一次世界大戦以後にその数を増していた在日朝鮮人の労働者の要求に基づいた新たな運動の展開が必要とされた。彼らは民族問題だけでなく、近代の工業化政策がもたらした階級的な問題にも最も敏感に反応したのである。このような視点を今回のシンポジウムでより明確にすることができたのである。これは従来ようにナショナリズムの側面だけで分析した研究とは視点を異にし、東アジアにおける近代とはどのようなものであったか、またその克服の試みはどのような展開を示したかという側面を把握できるであろうと思う。

今回のシンポジウムは一国を中心とした研究方法を乗り越え、近代における日韓の関係を、歴史・文学・文化など多様な側面から総合的に考察することができる貴重な体験であった。20世紀初頭に行われた両国の民衆運動の中で共有されてきたもの、あるいは違っていたものを明瞭化する研究によって、より豊かな日韓交流の歴史を今日省みることができると期待できると思う。

 

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