参加した学会等のタイトル:
ICJS Conference 日本文学国際共同研究会議
及び29th AISTUGIA Conference 第29回イタリア日本研究学会会議

開催場所:
ヴェッキオ宮殿、ストロッツィ宮殿ヴィッシュー研究所(フィレンツェ市)

開催期日:
平成17年9月22日(木)から9月24日(土) 

参加した学会等の概要:
今回参加した「日本文学国際共同研究会議及び第29回イタリア日本研究学会会議」は、初日以外は全日二つの会場で同時に複数のセッションが行われ、元より全てに参加することができない状況にあった。

 「日本文学国際共同研究会議」のセッションについては当初より全日参加を予定していた。「第29回イタリア日本研究学会会議」については、イタリア日本研究会(AISTUGIA)自体がジャンルを問わない幅広い日本研究を目的とする団体であるため、今回のセッションで設定されていたテーマも、たとえば「現代日本の海軍」や「引きこもり現象の分析―西洋の視点から」など、日本文学に直接関わらないものも見受けられた。そこで今回は、会場が複数となることもあり、プログラムから自身の研究領域に比較的近いと思われるものをチョイスして参加することにした。だが、当日に配布された発表要旨は全てイタリア語で記述されており、発表自体は伊・英・日の三カ国語が用いられていたのではあるが、私が聴講を希望していた発表はどれもイタリア語で行われた為、内容の把握が難しかった。後日作成されるプロシーディングスには英訳が付されるが、その場で内容を正確に把握するに至らず、発表者とのコミュニケーションを思うようにとれなかったことは、やはり惜しまれる。しかし、AISTUGIAの基調講演では、国文学研究資料館館長である伊井春樹教授による基調講演が行われ、『源氏物語』に関する最先端の発表がなされたことは、在外研究者のみならず私にとっても意義深いことであった。

  「日本文学国際共同研究会議」は、安永尚志教授を代表とする科学研究費基盤研究(S)(課題名「国際コラボレーションによる日本文学研究資料情報の組織化と発信」)という研究プロジェクトの一環として開催された。平成13年より5年で進められていたプロジェクトの最終年ということで、日本文学関係資料のデジタル・アーカイブズの構築等々について、これまでの研究成果を纏めて聞くことができたのは非常に有意義だった。また、「海外における日本文学研究の方法と可能性」と題して行われたシンポジウムでは、海外在住の日本文学研究者の生の声を聞くことができた。そこでは、海外では原典に直接触れられる機会がほとんどないため、書誌学的なアプローチによる基礎的研究が困難であるとの意見が繰り返し提出され、上記の研究プロジェクトで進められている資料の電子テキスト化の重要性を改めて実感した。

学会等に参加して得たこと:

「日本文学国際共同研究会議」・「イタリア日本研究学会会議」のいずれのセッションでも、博士論文研究と直接に関わるテーマは残念ながら見受けられなかった。そのため今回の学会のセッションを即、論文に生かすということは難しいが、今後も研究を続けていく上で、学会への参加は貴重な体験となった。

まず「フランス語による日本研究論文誌3誌の現状と問題点」というテーマで、実際にフランスで日本研究の専門誌に関わっている家辺勝文氏から、その実状を伺うことができた。その中で、現在、フランスでは3誌が異なる編集方針で刊行されているが、日本学研究者のコミュニティーはまだ小規模であるため、実際には研究分野の住み分けが難しくなっていることなど、幾つかの興味深い問題点が指摘された。

それらのうち最も興味を引かれたのは、やはり言語の問題である。家辺氏は、フランス語による日本研究論文誌の目的の一つを、フランス語で論文を発表する機会を確保することにある、と述べつつも、同時に日本語以外の言語で書かれた論文は日本人研究者に読まれにくい為に学問的コミュニケーションが起こりにくいとの指摘している。この言語の問題は特に目新しいものではないが、それだけに重要である。

我々日本人研究者が、海外の研究者との積極的な議論のために他言語を習得するのは必須のことであるが、それも限界があると思う。例えば、イタリア・フランス・日本の三者で議論する場合には、おそらく共通語として英語が選ばれることになるだろうが、互いに母国語ではない言葉で語る時、翻訳された言葉の真意は正確に伝わるのか、伝わってきているのか、常に不安はつきまとう。文学のように言葉そのものがテーマとなっている場合、状況はより深刻である。それをどう解決していくか、私自身が今現在、有効な解決策を持っているわけではない。しかし、そうであるからこそ絶えず意識していなければならない問題であると、今回再認識させられた。

また、多国間での活発な議論を交わすには、テキストの共有も欠かせない。その必要性は前項の学会の概要でも触れた通り在外研究者から指摘されているが、だからといって単に日本にあるものを電子テキスト化しただけでは要をなさない。国によってハードウエアの環境に差があり、今回のシンポジウムでもソフトウエアやデータ自体の軽量化が重要であると言われていた。電子テキストの整備は、日本人研究者が恩恵を被るばかりでなく、海外における日本文学研究の、より一層の発展のために急務である。とはいえ、これについても一個人で即何かができるわけでもない。だが、常に問題意識を持つことが必要である。

その意識のないところに新たな発想は生まれない。しかし、ここしばらくの私はその意識が薄れていたように思う。

  日本国内にいると、論文や新出テキスト等、日本文学に関するあらゆる情報が氾濫し、ややもするとその取捨選択に追われて、外へと目が向かなくなりがちである。気づかぬうちに狭くなっていた視野を、今回の学会参加によって刺激を受けることで、若干なり広げ直すことができた。端から見れば些細なことであるかも知れないが、自らの立ち位置を見つめ直すにあたって得がたい機会となった。

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