アジア太平洋地域におけるグローバリゼイション、ローカリゼイションと日本文化:その研究の過去・現在・未来と題する国際シンポジウムが9月30日から10月4日まで5日間にわたり香港の中文大学で開催された。30日は開会式と基調講演、1日と2日は四つの会場にわかれて分科会があり、3日と4日はフィールドスダディーとレクリエーションが行われた。シンポジウムは日本と香港の学者をはじめ、ベトナム、インドネシア、フィリピン、シンガポール、マレーシアなど東南アジアの各国とオーストラリア、アメリカ、イギリスの学者を招いて日本文化及び周辺のアジア各国との関連、相互影響など43の演題という豊富な内容で、多方面から世界化の背景の下にある日本文化のありかた、行方を検討した。
発表はおもに以下の四つのセッションにわけることができる。
- 日本に対するアジア各国の歴史認識の問題
- 日本とアジア各国の人的交流、および政治、経済の交流
- アジア各国における日本研究の歴史と教育現状
- アジアにおける日本のポピュラー文化とその影響
主に参加したセッションは1日目の「アジアにある日本のポピュラー文化」、二日目の午前の「歴史と地方紛争」と午後の「都市の建設とグローバル」であった。最初にシンポジウムのテーマから短絡的に連想すると、たぶん穏やかな文化的交流を話し合う会になると思っていたが、案外歴史問題や日本のアイデンティティーの問題などを大きく取り上げたのは印象的であった。確かに東アジアと日本の関係を検討するなら、歴史問題を語らずには通れないかもしれない。日本と周辺の国々に戦争と侵略の歴史があり、それをどのように受け止め、今後の友好関係を妨げないように努力するのは今日のグローバル時代においては正直に考える必要があるであろう。歴史の問題といっても完全に解決したとはいえないし、現に日本と隣国とがギクシャクになるたびに、歴史問題がいつも浮上し、議論の的になり、隣国との感情を大きく損害されるのは事実である。発表のなかで「植民地的近代」という「植民地支配」と「近代化」を結びつく近年しばしば聞かれる議論があり、個別のケースが多くあげられるが、これに同調するにせよ批判するにせよ、日本の植民地支配が各国に用いた制度・秩序などの変化はどのように内部で受け止めたのか、どのような反応を示したのかを検討する価値があると考えている。それは政府間のやりとりや知識人の議論などにとどまらず、より一般民衆の反応を示した資料を発掘し、持続性のある生活と文化のレベルからどんな影響があったのかを検討するのが妥当だと考えている。
文化の交流は相互理解の架け橋として、いつの時代も珍重されてきた。日本の現代文化に映画やドラマ、マンガ、アニメなどいわゆるポピュラー文化の輸出はアジア各国に大きな影響を及ぼした。もちろん一方では日本文化を宣伝するため、大量の生産を望まれたが、もう一方では海外の海賊版の生産などにより権利の被害も蒙った。日本政府にとってこういったジレンマに直面しているが、その裏には、日本のポピュラー文化を真剣に受け入れ、生活スタイルまで影響されたアジアの若者が大量に出現し、日本文化を受容する土台も培われたのも認めなければならない。映画であれ、音楽であれ、最初は完全に日本の製品をコピーし大量生産されたが、漸く日本の様式を吸収しながらも、自国の風土に適合する新しい文化を生み出すのは共通するプロセスになった。日本のほうもアジアの同業者と連携し、他国文化から新鮮な要素を見出し、吸収した。このように文化の借用、吸収と自文化の産出のプロセスはグローバル時代の文化交流を考える際たいへん有益な示唆を与えたと考えている。 明治時代以来、日本は東方の強国の地位を獲得し、同じアジアの隣国に対し、明らかに優位性の感情を持っていた。戦後の経済成長の奇跡は一層この感情に拍車を掛けた。しかし、90年代のバブル崩壊後、日本の経済は低迷する一方であった。同じ時期にアジアの隣国は猛スピードで発展を遂げた。都市建設の面では、戦後は主に西洋の都市をモデルとしたが、もっと身近なアジア諸国の中でも、日本の風土に合うようなモデルがあるという提案もあった。日本と東アジアの各国との交流は日本のアイデンティティーを再構築する際、必要不可欠の課題になった。ある意味では今の日本文化は「アジア返還」の時代になったのかもしれない。 |