秋山笑子(日本歴史研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【c.国内フィールドワーク派遣事業】
   多様な史資料を実地に見学し、学際的な研究を行う
2.実施場所
  新潟県奥山荘歴史館・紫雲寺 公民館・村山市郷土資料館新発田市紫雲寺公民館、村上市郷土資料館
3.実施期日
  平成19年8月29日(水)~8月31日(金)
4.事業の概要
   新潟県阿賀野川以北を主たるフィールドとし、新潟市歴史博物館、新発田紫雲寺公民館、奥山荘歴史館、国指定史跡平林城趾、イヨボヤ会館等を訪れ、多様な史資料の存在形態を確認し、それらの整理、保存と展示の手法を博物館・資料館等で実地に見学し、さらにそれらの資料に基づく学際的な研究についてもフォールドワークと併せて検討した 。
5.本事業の実施によって得られた成果
 

 総合研究大学院大学 文化科学研究科日本歴史研究専攻 集中講義B「地域研究の方法2007年度」は、「阿賀北」と呼ばれる新潟県北部をフィールドで、文献資料・考古資料・民俗資料によって現地調査の方法を考えるものであった。 今回の集中講義で最も期待していたのは、まず第一に文献資料・考古資料・民俗資料をどのように扱って現地調査をすることができるかという方法論を学ぶこと、そして第二にかつては内海であった阿賀北を見ることであった。
 講義の最初にあった高橋一樹先生の「北越後における地域研究の視点と方法」では、井上鋭夫氏の「山の神・川の民」論から始まった。この本が出版された頃、網野善彦や井上鋭夫等によって進められた社会史の方法を、大学生だった私はあこがれをもって眺めていた。その中でも、井上鋭夫氏の「山の神・川の民」は諸分野のいろいろな資料を総動員して、次から次へと結びあわされて紡ぎ出される結論に息を飲んだ。今回、その井上氏の論が歴史学で否定されていることに驚いた。よく考えれば、あれから二十年がたち、資料的に充実し、各学問領域は細分化されていった。もちろん、安易に資料を結びつけるやり方を踏襲するわけにはいけない。精緻な資料分析の方法が必要である。一九八○年代以降の「社会史」と呼ばれた研究動向の中で、「戦後歴史学」はほぼその役割を終え、より広い視野と史料分析の方法をもった「現代歴史学」に変容しつつあるといわれている(保立道久)。こうした状況の中で、井上氏が考えていたことを批判した上で継承する、新しい協業の視点が大切であるという高橋先生の言葉は印象的であった。またそれは、私にとって研究から離れていた時間を実感させるもので、理論的くみ上げが苦手な私が今後研究を進めるにあたってどのような方法をとっていったらよいのかという問題を考える機会ともなった。
 翌日の久留島浩先生の「紫雲寺潟干拓をめぐる諸問題」では、日本近世史研究にとって「新田開発」の研究の意義を問うものだった。紫雲寺潟絵図を読み解く中で問題点、論点を整理した。その中で、気になったのは新田開発すれば猟場と内陸水路としての役割がなくなるにも関わらず新田開発が進められていくことである。また、白山神社と隣にあった古峰神社の関係も、紫雲寺潟開発によって変化してきたものだったのか、興味深かった。 また、小野正敏先生の講義は、平山城趾(色部氏資料等)について、考古資料と文献資料によって明らかにしていくものであった。全国各地で行われている行事や出土資料から館や城を守る儀礼などのついて紹介した。現地での講義により、よりリアルに中世の城での生活を実感することができた。
 最終日の小池淳一先生の「伝説の史料性」は、「雲上公」伝説の研究史として、井上鋭夫氏の問題提起、その批判と問題点で大場喜代司氏の地域の記録の網羅的集中的な掘り起こしにより読み替えられていったとし、伝説史としての叙述が可能であるとしている。そして、時間軸を意識した検討を経るならば「雲上公」伝説は歴史表象のひとつ(史料)としての意味を充分持つと結論づけている。初日に出された高橋先生の問いかけに対するみごとな返答であった。
 本事業を実施することのよって得られた最も大きな成果は、新しい協業の視点という大きな問題を考える機会となったことであった。そして、新田開発と漁労、鳥猟との問題、鮭漁について等、興味深いテーマがあった。今後、博士論文研究に生かせるかどうか検討してみたいと考えている。  

6.本事業について
   文化科学研究科国内学生派遣関連事業によって、より学際的な研究が可能になるため、今後も充実させることを希望する。また、他専攻の学生との協議は新しい視野の獲得が可能となり、望ましい。