羽柴直人(日本歴史研究専攻)
奥山荘歴史館見学風景
 
1.事業実施の目的 【c.国内フィールドワーク派遣事業】
   集中講義B「地域研究の方法2007年度」
2.実施場所
  新潟県奥山荘歴史館・紫雲寺 公民館・村山市郷土資料館新発田市紫雲寺公民館、村上市郷土資料館
3.実施期日
  平成19年8月29日(水)~8月31日(金)
4.事業の概要
 

8月29日・・新潟市歴史館において、北越後における地域研究の視点と方法(高橋一樹准教授)・紫雲寺潟干拓をめぐる諸問題(久留島教授)を受講、その後新潟市立博物館の展示見学(同館学芸員解説)

8月30日・・バスで移動しながら、福島潟(新潟市豊栄)見学、紫雲寺潟の干拓状況(新発田市紫雲寺地区)を見学、奥山荘歴史館、胎内市古館跡、韋駄天山遺跡を胎内市教育委員会水澤幸一氏の解説により見学、平林城(神林村)を小野教授の解説で見学、村上市内を篠原教授の解説で見学

8月31日・・瀬波温泉はまなす荘会議室(村上市)にて、伝説の史料性(小池准教授)を受講、その後、村上市「イヨボヤ会館」(鮭産業に関する資料館)、大洋酒造株式会社見学 。
5.本事業の実施によって得られた成果
 

 私の論文テーマは「12世紀の東国における初期武家政権の考古学的研究」であるが、越後阿賀北地域で当該期にあてはまる地域権力は「越後城氏」があげられる。越後城氏の事跡は文献資料においても、考古資料についても多くはない。今回の見学地の一つである「奥山の荘歴史館」には下町・坊城遺跡出土の12世紀遺物が展示されていた。城氏には字に「奥山」を称する者もおり、この12世紀の遺物群も奥山荘経営に携わった城氏、あるいはその縁者に関連するものと推測される。
 12世紀の出土遺物にはロクロかわらけ、中国産白磁碗、皿、水注がある。ロクロかわらけには、大型碗、小皿のセットがみられ、柱状高台かわらけの存在が注目される。担当者に伺ったところ、かわらけの出土総量は多くはないとのことであった。また、中国産磁器はかわらけの数量に比較すると数量が多いという特徴がみられる。質の面でも白磁水注の存在が注目される。この中国産磁器の充実は、この遺跡空間が12世紀の権力者の拠点であることを示すが、それにもかかわらず、かわらけの出土量が少ないのは、権力内部における儀礼の種類の選択指向を表していると考えられる。つまり、かわらけを使用した宴会儀礼はあまり行われず、京都風の手づくねかわらけが存在しないことは京都風の宴会儀礼も導入されなかったことを示す。このかわらけの量の少なさ、手づくねかわらけが存在しないという点は、阿賀野市大坪遺跡でも同様であり、奥山荘のみではなく、城氏全体の指向である可能性が考えられる。上記のように城氏関連の居館遺跡の調査は非常に少なく、かわらけの使用傾向について確定するのは早計かもしれないが、今秋より、城氏の居館とされる「鳥坂城」の調査が予定されているとのことであり、成果が期待される。
 また、私が明らかにしたいと思っている事柄は、陸奥と出羽・越後北部とを結ぶ交通ルートについてである。阿賀野市付近(白河荘)からは阿賀野川を遡ると会津盆地に達し、城氏と会津地方の関係が注目されている。この他に、奥山荘北の荒川をさかのぼり、米沢盆地に達するルートも注目したい。
 保安元年(1120年)の「中右記」に、小泉荘において藤原清衡の貢納物が掠奪われた件が記されている。小泉荘は荒川河口に近く、山形盆地、米沢盆地などの貢納物が荒川沿いに運搬されたことを示しているのではないだろうか。岩船湊が東北地方の物資をも集積・出荷する重要拠点であった可能性が想定される。

6.本事業について
   今回は集中講義の開催に伴い参加したが、特定地域について様々な視点からの講義、説明をいただき、実際に踏査もし、新たな視点、発想を得ることができた。