Korneeva Svetlana (国際日本研究専攻)
1.事業実施の目的 【e.国際会議等研究成果発表派遣事業】
  

国際シンポジウムにおける研究成果発表をするため

2.実施場所
  ロシア国立人文学大学、モスクワ国立大学、サンクトペテルブルグ国立大学、ロシア科学アカデミーピョートル大帝人類学民族学博物館
3.実施期日
  平成19年10月29日(月)~11月7日(水)
4.事業の概要
 

 報告者が参加したのは、ロシアのモスクワ市での国際シンポジウムとサンクトペテルブルグ市でのワークショップであった。前者は2007年度国際日本文化研究センターのシンポジウムで、300年にわたる日露交流の歴史を記念し、「文化の解釈と受容:ロシアと日本」と題して、モスクワにて開催された。両国のこのテーマに造詣の深い研究者が集い、日本文学および日本のモノ・人・文化的実践・思想の解釈と受容を人文科学の様々な分野から検討した。そして、日本文化の解釈の問題のみならず、日本とロシアおよびその近隣地域との文化的交流の歴史も重要な議論の一つとなった。
  シンポジウムは三日間に渡り開催され、全部で12セッションから構成された。最初の二日間はロシア国立人文大学、三日目はモスクワ国立大学アジアアフリカ研究所内において、午前中9時半から午後の6時半ぐらいまでだった。発表のテーマを例に挙げると、国際日本文化研究センターからは、日本近代におけるキリスト教の受容やニコライ皇太子の訪日、日本中近世の懸想文作法、四種の『百鬼夜行絵巻』、音楽からみた日露戦争などの報告があった。ロシア人研究者は、戦後の柳田国男、正岡子規の俳句論、徳川時代における学び、正徳太子の謎、などのテーマで発表を行なった。なお、報告者はすべてのセッションに参加している。
 その内、報告者が発表したのはシンポジウムの第3日目、基調報告の後に行なわれた「大学院生セッション」であった。研究者の40分発表に対し、大学院生の発表は20分と決められていた。報告者を含め、4人の発表が行なわれた。報告者の前に発表した院生達は全員モスクワ国立大学の大学院に所属しており、『連立政権時代における日本政治文化の変容』、『公爵西園寺公望と自伝』、『平安時代における怪異・占い・物忌み』というタイトルでプレゼンテーションをした。それに続いて、報告者は『切腹をめぐる一考察-切腹刑と斬首刑との比較を通して』(Some considerations of obligatory SEPPUKU: coming"SEPPUKU" and "ZANSHU"というタイトルで、パワーポイントを使いながら、日本語で与えられた20分以内で発表を行なった。全体的な時間の遅れも影響したためか、残念ながら質問は出なかったが、後の交流会で自由に議論しながら、それを補った。
  なお、11月3日からは会場がサンクトペテルブルグに移り、サンクトペテルブルグ国立大学、東洋学研究所、人類学民族博物館において研究ワークショップが開催された。

5.学会発表について

 

 報告者は『切腹をめぐる一考察――切腹刑と斬首刑との比較を通して』(Some considerations of obligatory SEPPUKU: comparing “SEPPUKU” and “ZANSHU”)のタイトルで20分報告を行なった。その概要は次の通りである。
文字通り「腹を切って死ぬ」行為はもはや姿を消してしまったが、外国では「ハラキリ」という呼称で知られる「切腹」は、近年になっても武士道論や自殺論との関連で好んで語られてきた。しかし、この行為の解釈をめぐっては多くの誤解が存在し、今もなお議論の余地が十分に残っている。
切腹認識の混乱が著しいのは、切腹の二形態、すなわち自発的な切腹と強制(刑罰)的な切腹とをめぐってである。特に、刑罰として命じられた切腹(切腹刑)が執行されるに当たっての強制的な部分と、切腹人の自由が許されている部分について、曖昧な記述が多い。例えば、強制的な切腹について述べているチェンバレンの記述に見られるように、「(切腹刑は)政府が与えた恩典で、この結果、武士階級の犯罪者は、一般の死刑執行人に引き渡されることなく、自分で死を選ぶことを許されるのである」となっている。この説明からは、切腹を命じられた人はあたかも最後まで自分の手で腹を切っているかのように受け止められても無理はない。しかし、正確に言うと、切腹刑は最後に執行人による介錯で終わらなければならなかったという点や、切腹人は必ずしも腹を思う存分に切ることが許されなかったという点など、見逃せない点が多い。
報告では刑罰としての切腹に焦点を当て、切腹刑と斬首刑(どちらも武士身分の者に課された死罪の一種)とを比較しながら、それぞれの刑の背景と具体的な形式における差異に焦点を当て、切腹刑の特徴を浮き彫りにするのが目的である。具体的には、江戸時代の刑罰に関する書物と切腹刑の実際の事例(江戸時代の赤穂浪士の切腹と、幕末および明治初期の外国人殺害事件――生麦、鎌倉、神戸、堺事件)を題材に、それぞれの刑罰の社会的文化的意味合いについて考えた。時間が限られていたため、一つ一つゆっくり論じることはできなかったが、それらについては、第14回海外シンポジウム報告集の原稿により詳しく考察を加える予定である。
  報告後、質問はなかったものの、セッションの間やセッション後の交流時間に多くの研究者と話すことができ、感想や示唆、議論を深めるに当たってのアドバイスをもらい、極めて貴重な収穫となった 。

6.本事業の実施によって得られた成果
 

 本事業の最も大きく重要な成果として、国際シンポジウムにて口頭発表を行なったこと、そして、来年発行のシンポジウム報告集に原稿を掲載させてもらうことがまず挙げられる。今回のシンポジウムは報告者にとって、国際シンポジウムにおける初めてのプレゼンテーションとなった。発表時間が20分ということもあり、深い議論はできなかったが、少なくとも、こういう研究をしているということを参加者の皆様に印象づけることができたかと思います。実際、報告の後、国際日本文化研究センターの先生方からは感想と具体的なコメントを頂き、ロシア人参加者数人からは質問をされ、励まされた。「ロシア語でも研究を発表していってください」という要望もあり、大いに勇気づけられた。
 また、ロシアの研究者および大学院に学んでいる同じロシア人の院生がどういう研究をしているかを知ることができ、多くの学術的な刺激を受けた。報告者のテーマに近い報告はあまりなかったが、セッションが終わった時間や交流会において、多くの研究者と議論をする機会が得られ、博士論文を書く上でのヒントを得たことは今回の財産となった。そして、もっとも貴重だと思うのは、具体的なアドバイスはもちろんのこと、他の研究者から受けた質問も非常にためになった。原稿や論文をまとめる際、考察すべき問題がよりはっきり見えてきたと思う。
 今回のシンポジウムに参加されたロシア人研究者のなかに、報告者の研究にある程度近い研究をしているのはロシア科学アカデミーピョートル大帝人類学民族学博物館のアレクサンドル・シニーツィン(Alexander Sinitsyn)先生で、サンクトペテルブルグにてワークショップが行なわれた時に二人で議論することができた。シニーツィン先生の研究対象の一つはサムライの武具の研究であり、人類学民族学博物館に所蔵されている刀剣を実際に見せてもらった。そして、今後も情報交換を互いにする約束をした。このように、本事業を通して、自分の研究成果を発表するのみならず、他の研究者との人的ネットワークを築き上げ、深めることができ、ありがたく思う。これも事業の大きな成果の一つである。  

7.本事業について
    本事業において、国際シンポジウムにて報告させてもらったことは何よりの成果と業績になり、大変光栄に思います。全体を通して、有益で貴重な体験をさせて頂き、感謝しています。このプログラムで得られた経験やネットワークを今後活用したいと思っています。またこのような機会が得られれば、積極的に参加したいと希望しています。このイニシアティブプログラムは院生にとって大変有意義であり、今後とも事業の継続を強く望んでいます。