倉内美智子(地域文化学専攻)
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
  

博士論文テーマに関するフィールド調査

2.実施場所
  スーダン共和国 ハルトゥーム州 ハルトゥーム市およびオムドゥルマーン市
3.実施期日
  平成19年7月18日(水)~8月9日(木)
4.事業の概要
 

 本調査は、2007年7月18日から8月9日の約3週間、内戦後のスーダン共和国における元避難民の生活再建の戦略を明らかにすることを目的とし行ったものである。
 スーダン共和国は東アフリカに位置し、450以上の民族集団からなる多民族国家である。1956年にイギリスからの独立を果たすが、北部のアラブ系住民とアフリカ系住民との政治、経済、宗教、教育、天然資源をめぐる配分の格差が生じる。こうした格差の平等を求めて、1980年代には南部出身のジョン・ギャラング氏が反政府組織SPLA/SPLMを結成し、南北間の武力衝突が勃発した。2005年には南北間で包括的平和協定が結ばれ、23年間続いた内戦に終止符が打たれる。内戦終結後、反政府組織であったSPLA/SPLMが政党となり、これまで北部スーダン政府が有していた権力のうち28%を得るという取り決めがなされ、現在にいたっている。
 しかし、こうした長期間の内戦は、200万人以上の死者、数百万人の国内外への避難民を出した。
調査者の研究対象である「ヌバ人」は、地理的にも北部と南部の中間に位置するヌバ山地(南コル
ドファン州)に暮らす数十の民族集団であり、古来よりイスラームと伝統的な宗教を信仰する者が混在してきた。そのため、ヌバ山地に侵攻した北部政府軍は、この地を「イスラーム教の浸透およびアラブ人の増加を進めるべき」、北部州のフロンティアとみなした。1990年代には強制移住や土地の収奪をはじめとし、民族浄化という名のもと殺戮が行われた。こうした状況から逃れるため、ヌバ人は首都がおかれるハルトゥーム州や周辺諸国に避難を始めた。現在も、推定4万人のこうしたヌバ人が首都近郊に暮らしている。
  調査者は現在、個々の「ヌバ人の避難の過程」および、その後の「生活再建の戦略」といった「死から生への」体験を、インタビュー調査をもとにしたライフ・ヒストリーを通じて、再構成することを目指している。 本調査では、「都市部在住のヌバ人の生活再建」「ヌバ山地における帰還民の生活再建」「世界各地域に暮らすヌバ人のトランスナショナルネットワーク」の3方向から生活再建の戦略を明かにするため、その要件を満たしているヌバ人の元避難民宅にて参与観察を行った。調査の手法としては、アラビア語の通訳を介しての英語でのインタビュー調査を中心とした。
  ハルトゥーム州ハルトゥーム市およびオムドゥルマーン市に暮らす、「都市部在住のヌバ人」の約20名へのインタビュー調査では、言語・帰属意識・故強への帰還への意識など具体的な一次資料を得た。同時に、「ヌバ山地における帰還民の生活再建」については、ヌバ山地において要職にある3名を訪ね、各々2時間におよぶインタビュー調査を行ない、教育・就職・インフラ整備などヌバ山地の復興状況について、政治的な視点からの一次資料を得た。第三の「トランスナショナルネットワーク」に関しては、国外に避難したヌバ人2名との集中的な聞き取り調査より、スーダンに暮らす家族とのモノ・カネ・情報をめぐるトランスナショナルなネットワークについて、詳細な一次資料を収集した。

5.本事業の実施によって得られた成果
 

 本調査を通じて、今後予定されるフィールド調査に向けての課題や、博士論文作成のための貴重な一次資料が得られた。以下は、具体的に得られた調査の内容と課題である。
1)「都市部在住のヌバ人の生活再建」
 生活を共にする参与観察を通じて行ったインタビュー調査から、都市部に暮らすヌバ人は、民族言語の衰退にジレンマを抱えつつも、故郷であるヌバ山地の記憶を今も鮮明に持っていること。同時に、アラブ系住民との日常的な接触のなかで、「ヌバ人」意識をますます強固にする傾向があることが明らかとなった。具体的には、首都近郊に暮らす彼ら/彼女たちによる本の出版、追悼大会への積極的な参加があげられる。こうした元避難民の諸行為は、避難体験の記憶やアラブ人との不平等・格差・差別が、その原動力となっていると考える。今後も、こうした彼ら/彼女たちの生活の諸行為と背景を、「生きるための戦略」と位置付けて、詳細な一次資料の収集にあたる。
2)「ヌバ山地における帰還民の生活再建」
 当初の予定では、ヌバ人家族の故郷への帰省に同行する予定でたったが、雨季で道路が水没してしまい、ヌバ山地における調査は叶わなかった。そのため、ヌバ山地で要職に就く3名より「ヌバ山地の復興状況」について、各々約2時間にわたるインタビュー調査を行なうこととなった。
本調査からは、各民族言語による初等教育の開始、内戦期のヌバ山地についての詳細な歴史的事実を知りえたことなどの成果があった。しかし半面で、実際に帰還した人々の生業・土地の回復など、下からの復興状況については未だ不明といえる。今後の課題としては、ヌバ山地における参与観察を行なっていく必要性を感じている。
3)「世界各地域に暮らすヌバ人のトランスナショナルネットワーク」
 参与観察を通じて、「脱越境したヌバ人」2名から、実家への送金、帰省の際の土産物、携帯電話による日々の連絡内容や頻度など、詳細な一次資料を得た。注目に値する点として、この両氏がヌバ山地内でリーダー的人物の一家のメンバーとして、それ以上に「ヌバ人」として、個々の仕事を通じて「ヌバ山地復興」を目指していることがあげられる。

 以上から、都市部在住ヌバ人およびトランスナショナルなヌバ人の、自発的なアイデンティティ、モノ・カネ・情報の流れ、故郷復興への萌芽を知りえたことが大きな成果であったといえる。今後の研究の展望としては、これまで政治的強者から支配を目的とし想像されてきた「ヌバ人」が、内戦と避難を通じて自ら「ヌバ人」と名乗り、ヌバ山地を「復興=創造」していく過程を照射することも可能ではないかと考えられる。
 今後の調査の課題として、ヌバ人全体の生活戦略を知るため、都市部在住者、ヌバ山地への帰還民、トランスナショナルなヌバ人の3方向からの調査がますます必要になっていく。今後予定される約1年の長期調査を通じて、詳細な一次資料を収集すると同時に、ハルトゥーム大学や公文書館において文献資料も収集し、博士論文の作成にあたりたいと考えている。

6.本事業について
   海外でのフィールド調査に基づく人類学研究は、調査地に赴くまでの資金面、体力面、精神面とさまざまな準備を必要とする。なかでも資金面は、博士論文の作成を目標とする大学院生にとっては目下の大きな問題といえる。研究に励む学生に対し資金援助をし、また専攻を超えての交流と視野の拡大を目指す本事業によって、私自身、貴重な一次資料の収集、インフォーマントの獲得および信頼関係の構築、文化フォーラムでの発表の機会といった、今後の研究の礎を築くことができた。以上のような成果を得ることができ、本事業に深く感謝をしている。今後も本事業が継続されていくことを心より願っている。