西山剛(日本歴史研究専攻)
   
1.事業実施の目的 【c.国内フィールドワーク派遣事業】
   集中講義B「地域研究の方法 2007年度」への参加
2.実施場所
  新潟県奥山荘歴史館・紫雲寺 公民館・村山市郷土資料館新発田市紫雲寺公民館、村上市郷土資料館
3.実施期日
  平成19年8月29日(水)~8月31日(金)
4.事業の概要
 

 本事業は、歴史学・民俗学・考古学の協業的見地から、地域史を総合的にとらえることを目的として設定されたものである。この事業には歴博教員・日歴専攻院生だけでなく、他専攻院生も参加する。教員・院生・専攻を越えた学術的交流があふれる場で実践される方法論等を、自身が対象とするフィールドやその分析の方法論等へ援用することを目的とした。
 本事業のフィールドである新潟地域はその地名が示す通り、日本海沿岸部は大きな潟で構成されている。そのため、本来的には田地には決して適さない地域である。それが近世~近現代の干拓事業の成果により極めて広範な美田が広がる地域となった。このような景観的・生業的な激変期を人々はどのような意志や思想で生き、具体的にはどのような方法で干拓し、耕地化してきたのか、またその過程ではどのような軋轢があったのか。このような問題意識の基、フィールドワークや講義、博物館・資料館の見学実習を通じて考察した。以下にそこから得られた理解を列挙する。
1.内水面交通と外交的港津地
 この地域では日本海側の水運だけでなく、潟を用いた内水面交通が重要な意味をもった。新潟・直江津などは、自身が専攻する中世史の分野では外交的港津地として重視されてきた。しかしこのような海港を成り立たせるには、物資を内水面交通により流通させなければならない。内水面交通の存在があったからこそ、対外的港津として機能したことを整合的に理解できた。この視点は、そのまま生業の担い手の問題と接続する。どのような人物が海側の流通を担い、また内水面流通を担うのか。その双方を兼業する人物が存在したのか、しなかったのか。内外の水運を機能的に回転させるためにどのような人物が関わり、その人物達はどのような身分に属すものであったのか、その具体を明らかにすることにより、この地域の水運機能の実態が明らかになってくると考える。
2. 生業の広がりと地域住民と外部住民
 潟の利用は、水運に限ったものではない。当然そこには漁業や建築用材などの生産地的な利用も想定されなければならない。本事業では、その具体を紫雲寺潟の利用・干拓・耕地化の3つの段階にわけて講義された。
  紫雲寺潟は江戸前期において本格的な普請が行われた。当初は氾濫する水源である紫雲寺潟の悪水抜きを目的として行われたが、江戸中後期では耕作地拡大へと方針がシフトされ普請が行われることとなった。これは、いわば「生業地のコントロール」から、「別生業へ転換のための克服」として理解できる。このような大幅な普請意図の変化は当然、別生業の担い手間の軋轢(漁民・水運従事者・水辺植物採集者と農民)が生じると考えられるが、この点については史料の限りでは確認できない。大きく重要な問題を拾うこととなった。

5.本事業の実施によって得られた成果
 

1、隣接諸分野協業の可能性
 紫雲寺潟地域は文献史料としては、主に近世に傾斜するように残存し、古代・中世における文献は極めて僅少である。にもかかわらずかくも豊かな歴史像を構築できるのは考古学をはじめとした隣接諸科学の協業によるところが大きい。本事業ではその研究的広がりを、具体例をもって観察できた。このような視点は、現在取り組んでいる博士論文作成にあたって極めて重要な示唆を与えてくれるものであり、第一の成果として位置付けることができる。
2、都市としての比較
 中世における流通は、その大部分は陸路ではなく、水運によって回転している事実は既に定説といってもよい。列島諸地域に点在する海港は一国間に留まらず、広く東アジア諸地域との関わりが指摘されている。本事業で学んだ内水面交通はその他国・他地域間の物資をいかに海まで運ぶのか、また海に着いた物資をいかに都市に運ぶのか、というより詳細なレベルまでこの議論を深化させるものである。この視点は新潟に留まるものではないことは明らかである。京都においては巨椋池や宇治川は内水面的機能を有したものであると考えることができる。京都に運び込まれる、または京都から運出される物資はこの両者により瀬戸内海との繋がりを獲得する。本事業に参加する前は、この一連の関係をどこか京都のみの関係として理解していたが、紫雲寺潟と日本海との繋がりを知った現在はより普遍的なモデルへと結びつけ、比較していくことが可能であると考える。
3.内水面港津的諸機能の比較
 上記の問題意識を持った今、内水面港の諸機能の比較研究の可能性を感じる。巨椋池の例でいえば、「淀津」、「伏見津」、「船津」と呼ばれる港津が存在したことが知られている。しかしながら、その位置や、具体的な機能、生業の在り方等は必ずしも明らかでない。
 都市の実体的研究を志向する上では、このような問題は必ず解決されねばならない。それを実現するためには、やはり異なる内水面港津を相互に比較することによりその道は開かれていくように考える。内水面港津をより抽象的なレベルにまで一般化し、モデル化することができれば、既に失われてしまった水系世界の一旦を解明する重要な分析視角になると考える。
 また水辺動植物を用いて生業を営む人々の存在も同様である。巨椋池も昭和九年の段階で全てが干拓され、淡水漁業を生業としていた人々の民族誌は限られた文献の中でしか知ることができなくなってしまったが、上記の視点で分析することで実体的なアプローチが可能になってくるのではなかろうか。

6.本事業について
   今回の集中講義は、先述した通り、隣接諸科学の協業的見地に基づいて行われた事業である。古代史・中世史・近世史・近現代史には、それぞれ「サマーセミナー」という企画が毎年行われている。各地にいる専攻を同じくする院生が主体となって運営され、実行される企画であるが、ここには横断的な学問の連なりはそれほど重視されていない。協業が叫ばれ、その有効性が着実に浸透している現在、歴博のこの事業を「サマーセミナー」のような形で広報し、大々的に参加者を募れば、総研大が一つの学問協業のセンターとして位置付くことも可能になってくると考える。必ずしもセンターとして位置するのがいいわけではないが、研究の質を維持し、歴博の最新の研究成果を広く公開していく道の一つとして一考してよいものではなかろうか。