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今回の渡航の目的は、ハンガリーの民俗舞踊に関する博士論文に関連して、研究調査を行うことであった。
目的地はハンガリー共和国のハンガリー科学アカデミー音楽学研究所民俗舞踊部門(Magyar Tudomanyos Akademia, Zenetudomanyi Intezet, Neptanc Osztaly)、セゲド大学民族学・文化人類学専攻(Szegedi Tudomanyegyetem, Neprajz es Kulturalis Antropologiai Tanszek)及びルーマニア、トランシルヴァニアのカロタセグ地方(Kalotaszeg)である。
ブダペストのハンガリー科学アカデミー音楽学研究所民俗舞踊部門は首都ブダペストにあり、ハンガリーの民俗舞踊研究、民俗舞踊映像収集の中心的機関である。音楽学研究所の母体であるハンガリー科学アカデミーでは1930年代からバルトーク(BARTOK Bela)やコダーイ(KODALY Zoltan)らが中心となって広く学術的な活動を始めていたが、民俗音楽研究者グループとして正式に発足したのは1953年のことである。1974年に、当時の音楽学研究所(旧バルトーク資料室)と民俗音楽研究者グループが統合されて音楽学研究所とされ、ブダ城内の現在の場所に独立することとなった。同研究所の主な活動は、民俗音楽研究、民俗舞踊研究、バルトーク研究、ハンガリー音楽史研究、礼拝歌研究である。民俗舞踊研究は、1965年からマルティン(MARTIN Gyorgy)を中心に行われ、74年にマルティンを長とした民俗舞踊部門として独立し、ハンガリーの民俗舞踊映像収集の中心的な機関として位置づけられた。同部門の活動の当初の中核は、即興的な舞踊形成に関する考察、トランシルヴァニアの舞踊伝統の解明、民俗舞踊アーカイヴの拡充であった。近年では、コンピュータなどの新しい技術や機器を用いての研究が進められている。
同研究所の民俗舞踊資料室には膨大な動画資料、写真資料、文書資料、舞踊音楽資料、舞踊譜資料が集められており、年間延べ500人程度の利用がある。利用者は主に研究者(学生含む)であるが、テレビ番組や映画制作のために用いられることもある。今回は、主に動画資料に関する調査を行った。研究所の所蔵する動画資料のうち、カロタセグ地方、特にボガールテルケ村(Bogartelke―ルーマニア名 )に関するものを抽出し、うち数本を閲覧し、意見交換を行った。
セゲド大学は、ハンガリー南部の都市セゲドにある。同大学のルーツは1581 年、コロジュヴァール(Kolozsvar―現在のルーマニアのクルージュ・ナポカCluj-Napoca)の神学校まで遡ることができる。第一次大戦後に移転の必要に迫られ、1921年にセゲドが移転地として選定され、現在の名称となったのは2000年である。民族学専攻は1929年から稼動しており、ハンガリーの民族学専攻の中で最も古いとされる。2003年より民族学・文化人類学専攻と改められ、昨年度からは報告者の研究とも関連の深い舞踊人類学コースも新設された。現在、研究室移転の最中であったが、大学の見学、意見交換を行った他、必要な文献も入手することができた。
トランシルヴァニアはカールパート盆地の南東に広がる地域で、その歴史については諸説あるが、10世紀ごろにはハンガリー人が住んでいたといわれ、第一次世界大戦後のトリアノン条約でルーマニア領とされた。カロタセグはトランシルヴァニアの中心的都市クルージュ・ナポカの西に広がる地域で、フェルセグ(Felszeg)、アルセグ(Alszeg)、ナーダシュメンテ(Nadasmente)の三つの区域に大きく分けられる。トランシルヴァニアの中でも早くからハンガリー人が定住していたといわれ、現在でも特にハンガリー人が多く住む地域である。古い民俗文化が残る数少ない場所でもあり、独自の家具、木彫、刺繍、織物、民俗舞踊、民族衣装等で知られる。ボガールテルケは、カロタセグの中でも特に「装飾的な地方(cifravidek)」と呼ばれるナーダシュメンテに属する人口約400の村で、住民の大多数はハンガリー系である。このボガールテルケを拠点に、スターナ村(Sztana―ルーマニア名Stana)やテュレ村(Ture―ルーマニア名Turea)の謝肉祭舞踏会において民俗音楽・舞踊の実践の様子を撮影したほか、クルージュ・ナポカ市において文献を収集し、バガラ村では踊りとそれに関わる生活について聞き取りを行った。
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