小山周子(国際日本研究専攻)
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
  

大正・昭和期における伝統木版画の制作に係る文書・資料の調査・収集

2.実施場所
  Library of Congress、Freer Gallery of Art and Arthur M.Sackler Galley Archives(米国ワシントンDC)
3.実施期日
  平成19年9月1日(土)~9月17日(月)
4.事業の概要
 

 今回、博士論文のテーマである、大正・昭和期における伝統木版画の制作に係る文書・資料の調査の実施の為、米国ワシントンDCのLibrary of Congress(米国議会図書館)、Freer Gallery of Art and Arthur M.Sackler Galley Archives(以下、「フリアギャラリー・アーカイブス」という)において調査を実施した。ここでいう伝統木版画とは、江戸時代の浮世絵と同様、絵師・彫師・摺師の共同によって制作された版画のことである。
  米国議会図書館では、Prints&Photograph Division(以下、「版画部」という)とNewspaper Reading Room(以下、「新聞室」という)にて調査を実施した。版画部では、同図書館に寄贈された日本の近代木版画75点を点検した。このなかには、外国人作家による伝統木版画や、土産用版画も含まれていた。また同室が日本の版画をどのように収蔵しているかを確認するため、所蔵品リストをひととおり確認した。新聞室では、1900~40年代の米国東海岸における日本木版画の展覧会の開催を報じる記事の調査、収集を実施した。これによって、展覧会というかたちでの日本版画の受容を確認できることを目的とした。調査対象とした新聞名は、ニューヨーク・タイムス、ワシントン・ポスト、ボストン・デイリー・グローブ、クリスチャン・サイエンス・モニター、シカゴ・デイリー・トリビューンで、これらの紙面の浮世絵及び近代版画の記事を複写・収集した。 フリアギャラリー・アーカイブスでは、近代日本版画の世界的なコレクター、ロバート・オーゲスト・ムラー氏の死後、同館へ収められた文書の調査を実施した。ムラー氏は1936年ニューヨークの日本版画店で、川瀬巴水の木版画「清洲橋」(1931年)を購入したことから、版画コレクターとしての道を歩むようになった。1940年には新婚旅行を兼ねて、木版画の購入を目的に訪日している。この事象については、すでに同館の展覧会等で報告されている。博士論文では、川瀬巴水をはじめとする伝統木版画の制作について取り上げるが、いっぽうマーケットであった米国での受容について押さえることや、どのように日米間で版画売買が行われていたかを論文中に示すことは特に重要なデータとなると考え、本調査を行なった。具体的に調査した内容は、ムラー氏の書簡、購入した版画目録、注文票、領収書、写真等である。

5.本事業の実施によって得られた成果
 

 本事業の実施によって、博士論文研究を進行するうえで、有効な基礎データを調査・収集できたことは大変大きな成果であった。
 米国議会図書館の版画部では、大きく2つの成果があった。1つは伝統木版画の外国人絵師の非常にコンディションのよい版画を実見することができたことである。米国の議会図書館に日本で制作された外国人絵師による伝統木版画が同時代に収集されたことは、今回の調査で初めて確認でき、この事象は論文に盛り込む予定である。もう1つは、いわゆる土産用の粗悪な、複製の版画を50点ほど確認でき、これらの版画には購入者によって値段が記されており、版画の価格も知りえた。これまで研究対象から外されてきた土産用版画と、浮世絵や伝統木版画との相違点の確認や類似性を考察する上で、非常に有効な資料となり得る。
 新聞室では、浮世絵や伝統木版画の展覧会開催記事を収集することができた。1945年以前の米国でかなりの展覧会が実施されていたことは知られてきたが、具体的な数や内容については報告されておらず、このたび収集した記事の分析によって明らかとなる部分が大きい。今回収集した記事数は100件以上で、それだけの数の展覧会が米国内で行われていたことも未報告である。
 フリアギャラリー・アーカイブスでは、日本の近代版画コレクターであった、ロバート・ムラー氏が収めた資料の調査により、アメリカ人が木版画を収集していた経緯や実態が明らかとなった。具体的には、版画の値段、日米間の版画の送付方法、交渉、1940年の日本の版画刊行の実態(店舗名、またその写真)などである。これまで版画が大量に輸出され、米国内の各美術館・博物館に所蔵されていることは、一般にも広く認知されているが、版画が海を渡ってアメリカへ入っていった経緯が明らかとなる資料を閲覧、調査、複写できた。またムラー氏がのこした書簡によって、彼が伝統木版画をどのように見ていたかが理解でき、それは調査前の美術品への愛好心ではないかという私の仮説とは異なっており、意外なことであった。
 本事業の成果については、博士論文の重要な基礎資料となるであろうし、事例の報告について、今後1年以内に学会等の機会を見つけて行っていきたい。またこのたびの事業の実施により、調査先のライブラリアン、アーキビスト、キュレーターと調査対象資料に係るディスカッションの時間が僅かながらも設けることができ、調査成果のみならず人脈が築けたことは、私にとって非常に意義が大きいことであった。  

6.本事業について
 

 このたびの米国における調査の実施で、旅費に関わる補助は大変にありがたかった。もちろん食費や雑費などのそれ以上の支出はあったが、航空券と宿泊費の補助でずいぶん負担が軽減された。また、この事業のもっとも大きな利点として、6月に申請して3ヶ月後の9月に調査を実施できるというスピーディな展開が挙げられる。これは他のさまざまな助成金ではなく、私のような次年度の予定がなかなか定まらない社会人学生には本当にありがたい制度といえる。
  今後この成果については文科フォーラム等で発表し他専攻の学生との意見交換できるということは、専門外の方との交流という新たな機会を得られ、研究をすすめる上で大きなプラスとなるだろうと思う。またレフリー・ジャーナルなども活用していきたい。前向きに研究をすすめる大きな支えとなる本事業は、ぜひ今後も続けていただきたい。