澤井真代(日本歴史研究専攻)
口承文芸学会
1.事業実施の目的 【d.国内学会等研究成果発表事業】
  日本口承文芸学会第31回大会における研究発表
2.実施場所
  弘前学院大学
3.実施期日
  平成19年6月2日(土)~6月4日(月)
4.事業の概要
 

 青森県の弘前学院大学で行なわれた日本口承文芸学会大会では、2日の公開講演と3日午後のシンポジウムにおいて、開催地に由来する演題が取り上げられた。
 公開講演は、笹森建英氏「津軽の口説き節の構造」、成田守氏「『岩木山一代記』について」の2本であった。このうち笹森氏の講演では、津軽の口説き節の音楽構造・詞章構造が分析され、地域の事件に基づく物語としての口説き節が共同体において歌われる効果・機能のひとつとして「地域社会の人間関係を調整、規制する」ことが挙げられた。
 シンポジウムでは、山田厳子氏の司会のもと、テーマである「鬼と山人―『津軽口碑集』を基点として―」をめぐり、まず3本の基調報告があった。
 佐々木達司氏「昔話の中の鬼」では、青森県の口承文芸研究の歴史に続いて、昔話の中に鬼がどのように、どの程度の割合で出てくるかということが統計的に示されたのち、青森県内の鬼に関連ある神社が紹介された。県内でも津軽地方の昔話には、親しみやすいイメージの鬼がしばしば登場し、これは県内の平野部に点在する神社でまつられる鬼のイメージと重なるという。「鬼」が「鬼コ」(「コ」は、かわいらしいものに対して付けられる接尾語)と呼ばれる場合も少なくないことが、人々が鬼に親しみを抱いていることを示すという。
 花部英雄氏「山人とは誰か」では、青森県の伝承に出てくる「山人」とはどのような者であるかが考察された。山人とはおおよそ、外観は「けむくじゃらの人間らしからぬ者」で、里に現われるうちに里人と親しくなり、やがて村の土地開発を担う者として伝承に出てくる。説話レベルで山人がしばしば登場する背景には、江戸時代にさかんに行なわれた新田開発がある。新田開発の主軸には鉄をもつ技術者集団がいたのか、という問いのもと、中国地方のタタラ集団の存在をふまえて、最後に朝鮮半島の農地開発にまつわる説話が紹介された。
 小池淳一氏「鬼に託されたもの」では、鬼の伝承そのものについての問題ではなく、鬼の伝承を扱う先行研究が依拠する資料の基礎的性格が検討された。具体的には内田邦彦『津軽口碑集』のほか、平尾魯僊『谷の響』、工藤白龍『津軽俗説選』が取り上げられ、それらの記述態度と鬼の記事に検討が加えられた。従来津軽地方の鬼は、開墾等に携わる非農耕民的な存在として、「大人(おおひと)」や「山人(やまひと)」に連関する津軽地方に特有なものとして捉えられてきた。しかし今回の検討により、『津軽口碑集』において鬼は、大人や山人に結び付くものというよりは、年中行事や昔話の伝承の中に「溶かし込まれて表現され」ていることが明らかになった。こうした記述は、書物による知識から事柄のみをつなげていく方法ではなく、目の前の話者に忠実であろうとする内田の方法に基づくという。『津軽口碑集』が提示する鬼は、津軽に閉じた議論ではなく、日本列島における鬼の比較研究の可能性を示唆するとの結語が述べられた。
 続いてコメンテーターの飯倉義之氏から、『津軽口碑集』の著者についての報告「遍歴する医師:内田邦彦(1881~1967)」があった。千葉で生誕し、金沢、福岡で学生時代を送り、東京で医師として開業した後、マレーシア、シンガポールに渡航、その後津軽に移住、樺太調査を行なう、という各地を転々とした内田の生い立ちが紹介された。同世代の民俗学者に、これほど各地を巡った者はいないという。内田が各地を巡った背景には、医師としての医学的見地から、どこへ行っても人間は同じであり、その文化も理解できるはずだとする考えがあった可能性があるという。また、患者1人ひとりについてカルテを作り、面談を行なう医師の仕事と、民俗学者の聞き書きの仕事との類似性という観点から、内田の民俗学の業績を理解していくことの有効性とともに、医師でありながら民俗学に携わった他の研究者についても「医者の民俗学」として検討する方向性が示された。こうした作業から、民俗学の方法を自省することが可能となるだろう。飯倉氏が内田の生い立ちや研究上の手法・態度を詳らかにされたことにより、先の基調報告、とくに内田による著作物の記述態度を検討された小池氏の報告について、理解を深めることができた。
  3日午前中に行なわれた13本の研究発表では、発表者それぞれのテーマに基づく多彩な内容が展開された。聴講を通し、発表や質疑応答の中で、担い手にとっての口承、共同体において口承が共有されるそのあり方自体の問題、といった話題にふれることができた。

5.学会発表について

 今回は、私が調査地とする沖縄県の石垣島川平(かびら)集落における、儀礼の場における様々な歌・唱え言・発話のうち、年のかわりめの儀礼「節祭」初日の夜に蓑笠に身を包んで現われる来訪神「マユンガナシ(真世加那志)」が唱える唱え言「カンフツ(神口)」に的を絞って、発表「多様な聴き手と伝承経路―石垣島川平 来訪神儀礼の唱え言」を行なった。
 マユンガナシのカンフツはこれまで主に、「神による唱え言」という観点から研究され、その伝承も、マユンガナシに成り代わる男性成員に限られるという規範のみが知られてきた。こうした研究傾向の背景には、折口信夫が川平を含む南島の来訪神儀礼にふれたことを1つのきっかけとして「国文学の発生」論や「まれびと」論を展開した経緯がある。一方で川平の人々が実際にどのようにしてカンフツ及び儀礼を担っているのかという問題は十分には明らかにされてこなかったと言える。
 これに対し本発表では、カンフツについて、マユンガナシ成員による伝承や習得の実際、儀礼の場における唱えられ方及び聞かれ方、成員以外の人々によるカンフツの伝習についての実際を報告した。そのうえで、カンフツについての知識は成員のみに厳しく限られているわけではなく、川平の人々の間にある程度浸透し、共有されていることを主張し、その根拠として次の2つを、事例と共に挙げた。
 ①カンフツは、マユンガナシ成員による伝承・習得においてはいくつかの禁忌が存在する一方、儀礼の場では人々に向かって唱えられるものであり、多くの人に聞かれることばであること。
 ②マユンガナシ成員と同等かそれ以上にカンフツについての知識を持つ当主=元成員が、儀礼の場でカンフツを注意深く聴くことによって、儀礼過程進行上の役割を果たしている。このような、現役の成員ほどには禁忌に縛られないと考えられる元成員が少なからず存在すること。すなわち、元成員を中心に、成員以外の人々が日常の場においても、カンフツについての知識の伝習を行ない得る。
 本発表では以上の経緯を報告した後、川平において同じく「カンフツ」と呼ばれながらマユンガナシのそれとは対照的なあり方をするもう1つの唱え言(一部の神役のみにその知識が厳しく限られる)を挙げて両者の相違について述べ、今後川平の儀礼におけることばの多様性について考える端緒とした。
  以上の発表について、まず、マユンガナシのカンフツともう1つのカンフツの対照的あり方が大きな問題であるため、この対照を発表題目に含めるべきであった、というご意見をいただいた。次の機会には論の構成とともにあらためたい。また、マユンガナシ成員に課されるカンフツをめぐる禁忌は、成員以外の人にはまったく課されないのか、というご質問をいただいた。今後の調査で確認する必要がある。ほかに、カンフツの伝承・習得方法が、基本的に口から口へと行なわれ、筆記用具は補助的に用いられるということをふまえ、琉球諸島の他地域やヤマトにおける唱え言等の伝承・習得方法の状況はどのようであるかという質問があった。最後に、儀礼の場における歌や唱え言については従来、川田順造氏が説く発話行為の3側面のうち、行為遂行性が着目されてきたが、本発表ではむしろ、演技性や情報伝達性の問題を扱っているのか、また、従来モノローグと捉えられてきたカンフツという唱え言を、本発表では共同体におけるシンローグと捉えるということか、そのモノローグからシンローグへの変化は、川平において生じた歴史的変化と捉えるか、あるいは研究史上の視点の変化と考えるか、というご質問をいただいた。最後の質問をいただいたことにより、調査を開始した当初は儀礼における唱え言の行為遂行性に着目し、テキストのみを対象とする研究に対して考察を行なっていたが、最近になって唱え言の情報伝達性の側面についても調査と考察が及んできたこと、また、マユンガナシによるモノローグと捉えられていた唱え言を、調査開始当初にはまず当主(元成員)とのダイアローグと捉えなおしたが、最近になってさらにそれがシンローグとしてのあり方を示すものであると気付き始めたこと、という2点について、自らの考察経過を整理することができた。

6.本事業の実施によって得られた成果
 

 学会発表を通し、今回のテーマとした石垣島川平の儀礼におけることばの1つ、来訪神マユンガナシのカンフツについて次のような具体的課題が明らかになった。①儀礼の場以外の日常の場における、成員以外の人々によるカンフツの伝承の実態について、さらなる調査と事例の集積が必要であること。従来「秘儀的」なことばと捉えられてきたマユンガナシのカンフツが、実は川平の人々にゆるやかに共有されているということを述べるうえで、人々による日常的なカンフツとの接し方についての調査は今後さらに行なう必要がある。②マユンガナシのカンフツの文言の意味は、川平においてゆるやかに共通する捉えられ方がされている一方で、1人ひとりによる捉え方は個別には差異がある。その差異について、さらなる調査が必要であること。こうした差異を具体的に明らかにすることにより、川平の人にとってカンフツはどのようなものであるかをより明確に提示することができる。
 以上のような具体的課題が明らかになるとともに、本研究全体に関わる考察方法についても次のことが分かった。川平における歌や唱え言のそれぞれを個別に考察するよりも、川平の儀礼におけることば全体の中で個別同士を比較しながら考察する方が、伝承をめぐる共同体の知識のあり方をより動的に提示できる。今回は試みの形で、川平においてゆるやかに共有されているマユンガナシのカンフツと、ごく一部の神役のみに知識の保持が厳しく限られる唱え言とを対照させて取り上げたが、今後もこの方向で研究を進め、川平の儀礼における歌・唱え言・発話の全体像を明らかにしていきたいと考える。
 会場において、理論的問題をふまえたご質問をいただいたことにより、これまでに私が行なってきた個別的事例研究が理論的問題に具体的につながる手がかりを得られたことも、大きな成果であった。今後、調査を継続して具体的事例を集め、論拠を補強するとともに、理論的視点から問題を整理する形で、論文をまとめていきたい。
  シンポジウムや講演、他の発表者による研究発表の聴講により、口承文芸を対象とする研究動向の一端にふれることができたのも、大きな成果であった。研究発表では、口承の担い手としての人や共同体への視点、現代の地域社会における口承文芸のメディアの問題等、興味深い論題について直接聞くことができた。またシンポジウムでは、1人の学者の1冊の本を基軸に複数の視点から論を展開することにより、考察が深まっていく事態を体験することができた。とくに、1人の人の生き様を丁寧に検討することを通し、民俗学の方法論に通じる問題にまで議論が広がった局面からは、個別的研究をいかにより普遍的な問題に接続するかという課題について示唆を受けた。

7.本事業について
 

 今回は、学会開催地が居住地から遠い青森県であったが、本事業によって発表の機会に恵まれ、大変有り難かった。学会への参加をきっかけとして、青森で調査を行なう先生の先導によって、シンポジウムで取り上げられた鬼をまつる神社等を見学することもできた。学会参加のための短時日の滞在ではあったが、青森での様々な経験から学ぶことは多かった。

 
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