七田麻美子(日本文学研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【h.海外フィールドワーク派遣事業】
  空海と唐代仏教寺院調査
2.実施場所
  中華人民共和国 西安市 藍田県 周至県 戸県 長安県 福州市 広州市
3.実施期日
  平成19年8月6日(月)~8月11日(土)
4.事業の概要
 

 今回のフィールドワークは、唐代仏教と空海というテーマにて行われた、早稲田大学古代文化研究所主催の調査に参加したものである。
 まずその調査対象とした寺院を以下にあげる。
 藍田県 悟真寺、西安市 青龍寺、大雁塔、大興善寺、周至県 仙遊寺、戸県 草堂寺 長安県 華厳寺、興教寺、香積寺、福州市 開元寺、湧泉寺、広州市 六容寺、光孝寺
 以上の寺院は基本的に唐代に創立された寺院であり、唐代からの建築物、文物の類を残すものも多い。今回の調査の目的はこうした仏教寺院そのもの、そしてそこに残された文物の調査にあり、その中でもいわば目玉的な存在があった。悟真寺である。
 悟真寺は現在、軍事特別地域に指定されており、外国人には開放されていない寺院である。また終南山の連峰の中に位置することから参拝の難しい位置にあるため、中国人の参拝も稀とってよい。そうした厳しい場所に存在する現在の悟真寺は修行道場として、住職一人が守る至極小さな寺であるが、一般にここは、中国浄土教大成者善導の覚悟の地とされ、浄土教、浄土宗において重要な意味を持つとされている。
 だがこのことに関して、近年大きな疑義が提出されている。善導および浄土教をこの地に結びつけるのは後世の創作であるということである。さらにそれが日本で定説化した過程に、浄土宗の祖法然や、浄土教義大成者良忠の存在があることが確認でき、日本仏教史研究の上で看過できない問題点になっている。
 今回はこのように多くの興味深い問題を抱えながら、研究者が行くことのできなかった寺院の調査を主たる目的とした。
 また、もう一つの調査目的として、空海関連寺院の調査も行った。
 現在中国仏教界には変化が見られる。それは、中国の政治体制の変化に大きな要因があることである。一つには、経済政策の変更により、貧富の差が広まる中、貧困層を中心とした熱心な仏教徒の増加があるということ。もう一つには、国家の観光政策の中で寺院などの歴史建造物をそこに取り込もうとすることである。
 かつての長安であった西安市には、多くの仏教寺院が残されているが、その多くが文革による壊滅的なダメージを受けた。現在そのダメージからの復興を遂げつつあるが、それを支えるのが上記の二点である。このような状況下で空海関連寺院はまた特異な変容を見せる。特に寺院の観光化を図るとき、空海関連寺院は日本からの観光客に対して大きなアピールポイントを持つのは言うまでもない。これらの現状を調査すると共に、観光地的な変化の中では古体を存する動きがないという事情を鑑み、変容を遂げきる前に唐代文物を調査しようとする考えもあった。

5.本事業の実施によって得られた成果

 今回の調査では、まず悟真寺の調査がかなったことが何よりの収穫である。
 悟真寺に関する問題は、悟真寺で覚悟したとされる善導伝の問題でもある。悟真寺と善導が結び付けられたのは死去四百年後の『往生伝』による。一般に伝説的な話とされるべきことが、定説化していったことについて、中国国内での事情については確認できていないが、日本における定説化には浄土宗宗祖らによる認定があり、教義を広める中で終南山と浄土教を結びつける逸話を欲したという状況を読み取ることができる。つまり、悟真寺はその本体そのものより、逸話の中での存在こそが価値を持つところであったといえよう。
 今回の調査の中で、悟真寺において、多くの善導伝説の痕跡があることが確認できた。寺院といっても山間の修行場という風情の場であるから、文物の多くは保存のために博物館等に移譲されていたが、山中の伝説の地は、その伝えるものと矛盾は少なく、一見伝説を裏付けるかのようなものであった。今回は善導研究の第一人者である早稲田大学の成瀬隆純氏の参加があり、その解説を承けながらの調査であったのだが、『往生伝』の記述などとの比較とその生成については、成瀬氏も現地においての考察によりその説が裏付けられたとしていた。今回の調査により、浄土教が教義に終南山を取り込む必要性として、その霊山としての位置づけと、中国国内における終南山の位置づけを知ることができたのは収穫である。
 悟真寺はまた、白居易の詩などにも表れる仙山であり、こうした仏教と神仙思想の交流は、日本文学に及ぼした影響も大きく、こうした見地からも当寺を調査できたことの意義は大きかった。
 一方空海関連寺院の調査においては、空海の足跡を順にたどることで、平安時代の日本人の海外渡航のスケールを直に感じることができた。率直な感想として、閉鎖的な印象の強い日本の歴史対する見方が変わったというのがある。これも空海研究の華南師範大学の王益鳴氏、留学僧研究の札幌大学泉氏などの指導のもと調査を行い、現在は失われた寺院の遺構などから当時の寺院の再現をするなどの試みをすることができた。
  ただし、全般に文化大革命の傷は大きく、さらに現在の中国の社会的な要請により、寺院が文化財としての保護という観点からは大きくずれた発展を遂げている現状を確認することになり、宗教の場、救いの場としての寺院としての姿の前に、文化財としての寺院を称揚することの意味を再考することになったということもあった。文化の研究者として、これらは今後の課題としていきたい。

6.本事業について
 

 今回は調査に参加させていただきまして、ありがとうございました。
 軍事地域への調査ということで、この機会を逃した場合二度と行けないかも知れず、渡航をご許可いただいたことにより、研究が進展することができました。貴重な機会と言っても調査費用を簡単に出すことはできず、本事業のおかげで研究を進めることができ感謝致しております。
 研究の性格上、海外での調査は避けられず、こうした事業の存在は大変有難いものと思っております。
  重ねて感謝の意を述べたいと思います。

 
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