七田麻美子(日本文学研究専攻)
 
1.事業実施の目的 【e.国際会議等研究成果発表派遣事業】
  遣隋使・遣唐使1400周年記念国際シンポジウム「東アジア文化交流の源流」
2.実施場所
  中国浙江省杭州市華北飯店
3.実施期日
  平成19年9月13日(木)~9月18日(火)
4.事業の概要
   今回参加した国際シンポジウムは5月に住吉大社で開催された『日中交流1400年記念国際シンポジウム:住吉津より波濤を越えて』に対応するものとして、中国側で開催されたものである。日本・中国・韓国・アメリカ・ロシア・イギリスより歴史・文学・思想など各分野の専門家が参加し、総勢100名を超す大規模なものであった。
 研究発表は①遣隋唐使時代の基礎研究(航路、造船、派遣回数、新羅の遣唐使など)②遣隋唐使時代の人物研究(聖徳太子、最澄、空海、円仁、井真成など)③遣隋唐使時代の文物研究(正倉院宝物、鑑真将来品、和同開珎など)④遣隋唐使時代の史跡研究(博多、福江島、寺院神社、明州、揚州など)⑤遣隋唐使時代の詩文交流(ブックロード、遣唐使将来経、詩文応酬など)⑥遣隋唐使の影響(入宋僧の遣唐使遺跡巡礼、後世文献の遣唐使像など)の各ジャンル毎に募集がなされ、このほかに阿南惟茂氏(在中国日本大使館前大使)中西進氏(奈良県立万葉文化館館長)申澄植氏(梨花女子大学名誉教授)村井康彦氏(京都市美術館長)による講演会が行われた。
 分科会は8つに渡った。A東アジア交流その他・B文学芸術その他・C制度その他・Dブックロードその他・E遣唐使像その他・F文物その他・G航路その他・H総合である。正味二日の日程であるためそのほとんどが同時刻に開催され、それぞれに興味深いものであったが、参加できた分科会は限られ、主に自らの発表したBとEにおいて拝聴することになった。E分科会は、自らの研究テーマとしている日中間の文芸交流において、欠くことのできない要素として考えられる入唐僧(入宋僧)のことがテーマであった。歴史学民俗学東洋思想の各研究者による発表はそれぞれに興味深い者であったが、特に東京大学史料編纂所の平澤氏、大阪大学の米田氏の発表は、既出の史料を丹念に読み返すことで定説を覆すに至る、大胆かつ緻密なもので、研究者として大いに刺激を受けるものであった。カリフォルニア大学のホーゲン氏の発表はやはり、日中交流をさらに外側から検証するものであり、国際学会ならではの知的交流を示唆しするものであった。東北大学の佐藤氏は霊地をめぐる研究者であるが、その思想史的な位置から遣唐使像を捉えることで、遣唐使像の変容という受容史的な発表を懇切に行い、今まで知らない事実を教示された思いであった。浙江工商大の王氏による『入唐求法巡礼記』の入宋僧への影響などは、近年の研究成果の大成的詳細な資料をを提示していただき、大変参考になった。東京大学史料編纂所の近藤氏は遣唐使廃止後の日本の対外意識ということで、自らが研究対象としている平安時代後期について明確な考察を加えられ、今後の研究に多いに資するものであった。
  以上の発表以外にも興味深いものは多数あったが、時間と会場の制約でほとんど拝聴することができなかったのが、残念である。早い時期に論集を公刊する予定と言うことであったので、それを待ちたいと思う。
5.学会発表について

 自身が行った研究発表は「起家釈奠文学についての考察-平安後期日本漢文学における中国文学の影響-」である。以下にその発表内容を要約する。
本発表の目的は遣隋使・遣唐使派遣停止後の平安後期の日本漢文学の様相について考察することであった。
 平安後期の文学状況を語る上で、漢文学の存在を無視できないことは、特に近年明らかになっている。一般に中世のさきがけと言われるこの時代、和漢兼作の文学者の存在をはじめとして、和文学と漢文学の相互的な影響関係は既に定説となっている。
 平安後期のこうした状況を支えた要素として、新興の漢文学者の存在が考えられる。
 日本における漢文学は、当然のことながら中国文学の影響下にある。ただし、一概に影響といっても、中国文学の摂取の方法に変化があることもまた自明である。平安後期はその中で、中国文学を為すにとどまらず、日本漢文学のアンソロジーを得て、それを利用しての作品作りという現象が観られる。こうした文学作成上の技術の伸長が観られるという言う意味でこの時期は特殊な時期と言えよう。そうした文学が成立した背景にもまた、新興の漢文学者の存在が確認できる。
 こうした新興の漢文学者の活躍を観るに際して、今回は釈奠における詩序を取り上げる。
 平安後期の日本において、釈奠は、孔子およびその門弟を祀る祭祀であるのと同時に、講学行事と公宴的行事としての側面が重要視される。特に公宴的部分に関しては日本独自の次第であり、儒教行事をめぐる日本独自の性格と言える。
儒者にとっては釈奠がいかに重要な行事であったか想像に難くない。ここで取り上げる新興の儒者にとっても、釈奠という場でその力量を披露するのは、非常に重要な意義を持つことになる。さらにその公宴行事でなされる詩序の作成に関しては、それがその場にいる文人の代表が作るものであるという文体の性格上、序者になることは儒者=文人にとって最も華々しい栄誉であった。序者はその力の限りをここで披露しようとするのである。
 こうした視点より、平安後期の文人の代表である藤原明衡の作品を中心に釈奠詩序を考察した。比較のために前時代の文人の代表として菅原道真の釈奠詩序も併せて考察することになったが、時代の変化による差異は著しく、平安後期の特徴である日本漢文の摂取の影響は強く認められた。
  その一方藤原明衡の文学の特徴を捉えることもできる。儀礼の場での詩序という特殊な文体を、明衡は意図的に言葉による荘厳という方法でものしたのである。他にもその序者毎に観られる個性は、その力の限りを表わしたものと考えるのならば、これが平安後期の文人における文学様相の一つの典型を示唆するものと言えるだろう。

6.本事業の実施によって得られた成果
 

 発表に関して、多くの意見を得られたことが収穫である。
 質疑においてはコロンビア大学のデーネーケ氏、神道国際学会モスクワ事務者ののラーダ氏、埼玉学園大学の胡氏から質問を得た。本発表において、遣唐使停止後の日本漢文学と停止前の日本漢文学の様相を比較する節があったのだが、それについて菅原道真の存在と彼の文学から読み取とることのできる対外意識についての質問に多くの時間を割くこととなった。
 対外意識を文学から読み取るということに関しては、研究対象としている平安後期が公的な対外交渉を持たない時期であるため、看過しがちな要素であるのだが、一方で日宋間の民間レベルでの交流は寧ろ活発化している。こうした時代背景を再度踏まえて平安後期の文学を検討することが出来、日本に帰ってからその件について再調査することとなった。
 また、デーネーケ氏からは本発表に大きな興味を示していただき、質疑の時間の後も、折りを観て声をかけて戴くことになり、日本における釈奠についてのことを討議した。主に、釈奠は経典を踏まえた行事であるのに、その使用文体は近体詩以降のものであることについての解釈を求められた。これについては、その時点で明確な回答を持ち得ていなかったので、討議しながら考えていくことになった。デーネーケ氏は日本漢文学においての著書もある研究者であり、さらに中国文学についての研究もなさっているから、討議においてその点についての教示を踏まえて考察することができたのは幸いであった。このときの討議を検証した結果、日本漢文の変容について、リポートを完成することができたのは、シンポジウム参加による副次的な産物である。
 また、おそらく日本でもこれほどの規模の学会が行われることは稀であり、第一級の研究者に知己を得る機会を得たこと、そうした研究者の話を発表以外の場でも様々に聞く機会に恵まれたこと、海外の研究者との交流ができたことなども収穫である。
 さらにこの時の発表に興味を持っていただき、その後、浙江工商大学の別のシンポジウムでも発表する機会をいただくことになったのは、身に余るほどの光栄であり、研究を認められるという経験を海外でできたことは、自らの研究生活において貴重な経験であった。
  こうした様々な収穫とともに、発表をもとに質疑の内容や各先生方のアドバイスをまとめて、発表内容を論文にし、これを博論の一節にすることになったのが最大の収穫である。

7.本事業について
 

 このたびは、学会参加をさせていただきありがとうございました。
 日中間の文芸交流を研究対象としているため、海外にも同じ研究ジャンルの方が多くおられるのですが、こうした方と直接お目にかかる機会は、こうした国際シンポジウムぐらいで、今回は書物を通してその研究に触れていた先生方に直接お目にかかることができました。また、こうしたシンポジウムはひたすら研究者同士の交流の時間で構成されているので、交流の密度も深く、参加し、発表をすることの意義は計り知れないと思います。そうした機会を与えていただいたことに感謝いたします。

 
 戻る