辻本香子(比較文化学専攻)
 
1.事業実施の目的 【e.国際会議等研究成果発表派遣事業】
  日本の中国人学校における芸能のあり方を発表するため
2.実施場所
  中国武漢音楽学院音楽学部
3.実施期日
  平成19年9月7日(金)~平成19年9月19日(水)
4.事業の概要
 

 私が今回、海外学生派遣関連事業から支援を受けて参加した「中日音楽比較国際シンポジウム」は、日中両国の音楽研究における学術交流を目的に、隔年で開催されている研究大会である。今回は第七回目の開催にあたり、「中、日伝統音楽の歴史と現状及び両国の交流」、「中、日音楽教育の歴史と現状及び両国の比較」というテーマで発表論文の募集をおこなった。
 シンポジウムは中華人民共和国湖北省にある中国武漢音楽学院を会場とし、参加者は、日中両国合わせて約70名にのぼる規模となった。
 シンポジウムは9月8日朝に開幕し、基調講演ののち個々の研究発表がおこなわれた。8日夜には武漢音楽学院の職員・学生による演奏会が開催された。9月9日は研究発表にはじまり、夜に大会を総括するシンポジウム「」(中・日音楽の対話と交流)が催され、この会について、両国の音楽研究について、活発な討論が繰り広げられた。残る二日間では、博物館などで、湖北省における音楽関係の出土品を見学し、復元演奏を聴く時間がとられた。
 このシンポジウムの特徴は、日中両国の学術的交流を主な目的としているため、使用言語が日本語及び中国語であることだろう。それぞれ、参加者の中から発表に通訳がつき、発表内容を適宜訳しながら進めるという方針を採っている。
 私の発表は横浜中華街における中国伝統芸能の実践を扱ったもので、第2日目の
」(中 ・日文化産業の研究)のセクションに配置された。このセクションには、ほかに「19世紀後半の万博における「日本の音楽」の展示」や「中日両国芸術大学音楽庁の利用状況個案よりの比較研究」といった発表がおこなわれた。前者は万国博覧会で展示された「楽器」に「日本的なもの」や、当時の輸入概念であった「music=音楽」のありかたを探る発表、後者は東京藝術大学奏楽堂と中国戯劇学院劇場の利用状況―演目、利用者数、利用日数など―を比較し、その経営の差異と、中国における学校の付属ホールが目指すべき発展の方向を示唆する発表であった。
 日本からの参加者は、日本伝統音楽や日本の洋楽受容史を専門とする若手研究者が多くみられた。対して、中国からの参加者は、中国と日本の音楽に関する制度の比較、洋楽受容期の日本についてなど、日本に関わる研究が目立つように感じられた。その感覚は中国側参加者にとっても実感されたようで、2日目夜の自由討論においては、「中国の研究者が日本の音楽を多く扱っているのに対し、日本の研究者がなぜ中国の音楽を研究しないのか」という問いが中国側の研究者から発せられ、会場ではさまざまな意見が飛び交った。
 確かに、現在の日本において、中国の伝統的な音楽を研究する人材はとても少ないといえる。日本側の研究者は、その理由を、20世紀半ばに中国に分け入って偉大な業績を積み重ねた先人たちのような研究がもう不可能になっていることや、若手研究者が、伝統的な音楽以外に目を向け、フィールドを中国に置いていても、現代の都市の音楽や少数民族の音楽などに、より関心を持っていることなどを挙げて説明していた。しかし、中国側からは、今ひとつ合意の得られない空気が流れた。
 私はこの論争を聞き、主に二つの要因を見出した。まずは、先に挙げた意見の通り、日本の若手研究者が音楽に関して抱く関心が、伝統的な音楽の理論や楽器の研究から外れていっていることである。日本における音楽研究は、20世紀末に近づくにつれ、社会学や人類学、メディア論やカルチュラル・スタディーズの影響を受けて、より「社会と音楽の関係」を重視する方向に発展してきた。特にethnomusicology(民族音楽学)という分野においては、音楽や音は社会という脈絡のなかでこそ機能するということが、当然のように語られつつある。それに沿って、東アジアの音楽に対して抱く関心の幅も変容していったと考えられる。また、中国におけるフィールドワークが困難であった時期が長く、それ以前の研究の水脈が途絶えてしまったことも大きいと考えられるだろう。
  次に、「音楽に関する研究」や「民族音楽学」という同じ語を用いていても、それが指し示すものには、両国間で大きな溝があるという点が挙げられる。前者は私自身の発表にかかわることであり、後者はこのシンポジウムから得られた大きな収穫であるので、それぞれ次の欄、及びその次の欄において報告したい。

5.学会発表について
 本シンポジウムにおける私の研究発表のタイトルは、「横浜中華街の共同体の変容における音と聴覚の役割」()で ある。シンポジウム開催時に発表論文集が刊行され、そこに、約8000字の論文として掲載された。
われわれは意識的にも無意識的にも何らかの音を聞いて生活しており、その中に、「音楽」と呼ばれるものが含まれている。しかし、「音楽」と呼ばれない音もまた意味をもっている。私はこれまで一貫してこの問題に取り組んできた。現在、「音の環境、及び聴取と音楽観との関係」をテーマとして博士課程における研究を進めているが、このテーマのきっかけとなった、2003年におこなった横浜中華街における短期的フィールドワークの結果を軸にし、今回の発表をまとめた。
「音」と「音楽」の境界を取り去る試みとして第一に挙げられるサウンドスケープ論では、聴く人に主体を置いて音の環境を考えるため、音楽もサウンドスケープに含まれる。また、近年高まりつつある「感覚の文化」に対する関心は、聴覚を切り口にして歴史や現代の文化を考えることを可能にした。ここではこれらを下敷きに、横浜中華街という場所において鳴り響く音が、そこに暮らす人々に対して果たしている役割を論じることを目的とした。
本発表における研究フィールドである横浜中華街は、日本でもっとも大規模なチャイナタウンであり、数多くの飲食店をはじめとした商店がにぎわっている。ここでは特に中国伝統芸能の実践を取り扱った。横浜中華街では、華僑を主な対象とした中国人学校のOB会において、中国伝統芸能が伝承されており、先行研究において、主に華僑のアイデンティティの表出として論じられてきた。
しかし、私は芸能団体と地域の共同体の結びつきに特に着目した。横浜中華街には複雑な歴史と、さまざまな政治・経済的問題があり、街を構成するいくつかの共同体が互いに交流することがほとんどなかったのである。しかし近年、観光に力を入れ始めるに従って、その対立が乗り越えられつつある。その顕著な事例として取り上げたのが、観光と経済が連携して、二派が歩み寄る過程で生まれた、中国人学校出身者でも華僑でもない人々によって構成される、「舞龍」専門の芸能団体の登場であった。そして本研究は、この団体を作った人物が、中華街のなかで、野外で行われる芸能の音を聴いて育った、という点から、これらの共同体をつなぐもうひとつの要素として、街で共有される音の環境を取り上げた。横浜中華街という場所には、立場、主張などの異なるいくつもの共同体が存在するが、「音」を共有していることで、それらを超えた結びつきの可能性があるのではないかという意見を提示するに至った。
発表論文、及び口頭発表に対しては、いくつかの意見が寄せられた。台湾と中国の政情に触れざるを得ない内容だったため、慎重を期した口頭発表であったが、野外の芸能を調査している人から関心を持ったというコメントを受けたり、香港出身の研究者から、自分たちはずっと聞いてきた音であるというコメントを受けたりしたことはとても刺激になった。
しかし、先に述べたように、中国における「音楽に関する研究」の幅は、おそらく日本のそれと比べてかなり限定されているように感じられる。日本に留学経験のある中国人の音楽学者によれば、「中国ではまだ伝統音楽の研究が中心で、都市の音楽にも関心が向いていない。サウンドスケープという概念は新しすぎ、あまり知られていない」ということであった。私の発表が「」 (中・日文化産業の研究)として扱われた点からも、おそらく、前欄で述べた議論の「中国音楽の研究」としてはみなされていないであろうことを実感した。 だが中国においても、工業騒音の問題などは持ち上がっていると考えられる。中国という地域が、高度に発達した独自の音楽理論をもつ地域であるため、音楽研究が「音楽そのものの研究」として捉えられる現状はこれからも続くかもしれないが、それに並行する形で、「音と音楽の境目にあるものの認識」に対しても理解を得られるよう、今後も努力していく必要性を感じた。
6.本事業の実施によって得られた成果
 

 前々欄で述べたシンポジウムの討論において、日本における中国音楽研究とともに大きな論争となったもうひとつの議題が、「民族音楽学」という語の日中における差異についてであった。現在、日本の学術領域において用いられている「民族音楽学(音楽民族学)という語は、英語のethnomusicologyの訳語であり、内容もほぼ対応している。日本においては、「民族音楽」という語は、どちらかといえばレコード会社によって作られた商業的な分類として機能している。
 しかし、中国語圏において「民族音楽」とは、「中国における(少数)民族の音楽」であるということを以前から聞き及んでいた。ここで出された問いは、“ethnomusicology”という語の輸入が、中国においては、従来の「民族音楽」と衝突し軋轢を生み出したが日本ではそれがなかったのか、というものであった。前欄で述べたように、中国の音楽研究においては、自国の音楽理論の研究がかなりのウェイトを占めていると考えられる。そして、欧米におけるethnomusicologyは「世界民族音楽」と訳され、音楽学のごく一部として教えられているという現状を知ることができた。
 私は比較文化学専攻に所属しているが、キャンパスである国立民族学博物館は、日本における文化人類学の中枢として機能している。音の聴取や環境をテーマとする自分自身にとって、民族音楽学と文化人類学がゆるやかにつながっていることは自明の研究環境であった。しかし、今後フィールドとして考えている中国語圏において、両者の間には日本よりも大きな溝があることを知りえたことは、これからの自分自身の研究スタイルを大きく考え直す契機を与えてくれた。
そして、本シンポジウムで発表した、都市の音環境について、中国の音楽研究者から興味を持たれたことは、今後この領域に携わっていくための大きな原動力となった。
  都市の音環境と人々の音楽聴取について今後調査を進める上で、音楽の「分類」という問いにもたびたびぶつかることが予想される。また、人々が音楽をどのような分類で聴いているのかという点からは、さまざまな要素が読み取れるだろう。その点で、「民族音楽(学)」という用語の使用法が日中で大きく異なることを実感できたことも、大きな収穫である。この問題は、日本においては、研究者の分類と商業的な分類として論じられてきた。アメリカにおいても、ワールド・ミュージックという語についてはさまざまな研究がなされている。中国における「(世界)民族音楽」という語の考え方を念頭に置いて研究を進めていくための手がかりを、本シンポジウムから、リアリティをもって得ることができたことも、今後、博士論文に向けて調査を進めていく上での重要な収穫であったと考えている。

7.本事業について
   海外で研究発表をすることで、多くの収穫を得ることができ、また、発表の準備自体もとても勉強になるものであった。しかし、文系の大学院生にとって、海外発表は費用の面からなかなか参加が難しいものとなっている。私が総研大に入学した動機のひとつに、本事業のような研究環境の充実という利点があった。今後もこういった助成を継続していただければ、より安心して研究に打ち込めるだろうと思う。先生方、事務の方にも大変お手数をおかけし、ひとかたならぬお世話になった。ここにお礼を申し上げたいと思う。
 
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