渡部鮎美(日本歴史研究専攻)
1.事業実施の目的 【d.国内学会等研究成果発表事業】
  日本民俗学会第59回年会への参加と研究発表
2.実施場所
  大谷大学・京都オークラホテル
3.実施期日
  平成19年10月6日(土)~10月8日(月)
4.事業の概要
 

 報告者は本事業を活用し、日本民俗学会第59回年会へ参加し、研究発表をおこなった。日本民俗学会は、民俗学の研究推進および会員相互の交流を図ることを目的として、1949年に発足した、民俗学研究者の全国的な学会である。現在、約2300名の会員を擁している。本年会はこの日本民俗学会の年会で3日間に渡り、京都府にある大谷大学を主会場におこなわれた。参加者は200余名だった。
 10月6日は公開シンポジウムと懇親会がおこなわれた。シンポジウムは「仏教と民俗」をテーマにし、研究発表と活発な討論がおこなわれていた。シンポジウム後の懇親会では多くの研究者と意見を交換し、研究状況を伺った。その際、報告者の現在の研究についても助言をいただくことができた。
 7日には一般発表と分科会、ポスターセッションがおこなわれた。発表者は120名に上り、会場では活発な議論が交わされた。報告者は当日、2コマ目に発表をおこなった。発表時間は20分で、発表後に質疑応答の時間が5分もうけられた。発表内容は次項のとおりである。また、報告者は4コマ目の発表で、発表者への質問をおこない、議論をした。
 当日は120人ほどが発表をし、討論が大いに盛り上がった。さらに、発表後にもたくさんの方からコメントをいただき、大変、勉強になった。また、会場内では、以前に書いた論文についてもコメントをいただくことができた。自身の研究で何が必要かということを再検討する良い機会にもなったものと思う。
 8日は民俗資料の見学会がおこなわれた。京都市中京区の町を歩き、その生業活動などを知ることができた。なかでも、今後、研究対象にしたいと考えているタバコ製造について、その発祥の地を訪ね、学ぶことができたのが収穫であった。くわえて、穀物商などの商業活動の一端をうかがい知ることができ、京都という土地の特性・歴史性についても考えさえられた。
 この3日間、学会に参加し、発表や討議をおこなったことで、自身の研究成果をあきらかにし、多くの人からコメントをいただくことができた。また、今後の研究活動を深める上で必要な人脈も得られた。
なお、提出義務のある活動風景の写真については、本学会で会場内の撮影が一切禁止されていたため、会場外の看板にて代えさせていただく。さらに詳しい学会の模様については日本民俗学会のHPを参考にされたい。

日本民俗学会 http://wwwsoc.nii.ac.jp/


5.学会発表について

 報告者は「農村女性と労働の近代化―秋田県大潟村の農業臨時雇いを事例に―」と題して発表をおこなった。本発表では農業臨時雇いを一日又は一年以内の期間を定めておこなわれる農作業の賃金労働と定義した。農業臨時雇いは現在、日本の臨時雇用労働者の14%をしめる労働形態であり、決してイレギュラーな労働形態ではない。さらに、臨時雇いは農業に限らず、女性に多い働き方であり、女性と労働の問題を検討する上でも見逃せないワークスタイルである。
 1960年代前半までを対象とした先行研究において、農業臨時雇いの位置づけは前近代的な集団労働というものであった。また、農業臨時雇いは、一年や人生のなかでヒマな時期におこなわれる労働ともされてきた。そこで、本発表では、先行研究において示されてきた前近代的な農業臨時雇いが現在に至るまで、どのように変わってきたのかを明らかにすることを目的とした。さらに、農業臨時雇いの近代化から、女性労働の近代化について論じた。
 事例としては、先行研究で扱われてこなかった1960年代後半に生じた農業臨時雇いを取りあげた。その労働形態の復元にあたっては、農家の営農記録と新聞記事、聞き取り調査によった。さらに、聞き取り調査から農業臨時雇いの生業暦を作成し、年間の生業暦のなかでの臨時雇いの位置づけを探った。
調査地は潟湖の干拓によって、1964年にうまれた秋田県大潟村とその周辺地域とした。大潟村は雇用労働力を必要としない大規模機械化稲作を前提としていた。しかし、技術と土壌の不安定さから機械化に失敗し、1970年代前半まで周辺地域の雇用労働力に頼って、田植えや草取りをおこなうことになった。このときに、雇用された周辺地域の農村女性は30~50代の女性であった。大潟村と稲作の作業時期が重なるため、大潟村は周辺地域よりも高い賃金を払って女性たちを雇った。大潟村では当初は人手不足から非農家を含む集団を地縁・縁故に頼って雇用していた。しかし、作業効率をあげるため、圃場に近い農家に労働者を限定していく。
 大潟村での田植えの臨時雇いは1975年ころに田植機の導入が本格化したことでおこなわれなくなる。草取りの臨時雇いも1981年ころに除草剤が改良されたことで雇われなくなる。しかし、1975年から生産調整によって、大潟村で畑作がはじまる。このとき、畑作での除草などの作業には依然、雇用労働力が必要とされていた。そこで、再び、大潟村の農家は周辺地域の女性たちを臨時雇いとして雇用した。くわえて、1988年以降、有機栽培などの環境循環型農業の高まりによって、再び、水田除草をおこなう臨時雇いが必要となった。環境循環型農業では除草剤の使用が限られ、手作業で除草をしなければならないためである。
 環境保全型農業は現在では、大規模に取り組まれているが、一方で除草にかかるコストが価格に反映されないという問題もある。そこで、農家は除草にかかる経費を削減するため、雇用費を削る。
  大潟村の農業臨時雇いは早乙女のような婚前労働ではなかった。また、農繁期におこなわれており、農間余業ともいえない。賃金を得ることに特化し、雇用形態も年齢や居住地を問わないビジネスライクなものであり、そこに近代性がみられた。また、周辺地域の女性たちは大潟村の臨時雇いになることで、農作業を手抜きができることを発見した。つまり、農村女性たちは農作業の効率化によって、農繁期にヒマを発見したのである。

6.本事業の実施によって得られた成果
 

 報告者は本事業を活用して、日本民俗学会第59回年会発表に参加し、研究発表をおこなった。本発表は正式な学会発表であり、業績となる。
 発表内容は昨年から今年にかけておこなった調査の成果であった。発表に対しては、詳細な資料分析と実地調査がなされているとの評価を得た。インテンシブな調査で、出稼ぎ研究などにもインパクトを与えるものであるともされた。また、研究史上の位置づけも妥当であるとされた。このようなコメントから、論の蓋然性についても一応の評価を得たものと考える。
 コメントとしては、大潟村の近代性と周辺地域の近代化について、さらに検討する必要があるのではないかという指摘を受けた。大潟村自体が近代そのもので、この地域で近代化を語るのは特殊事例すぎて、良くないのではないかとのことであった。また、生活改善運動を含めた社会全体の変化を視野に入れる必要があるのではないかという意見もあった。そして、今後、臨時雇いの労働を地域の女性の研究としてどう位置づけ、展開していくのかという質問も受けた。さらに、当日ではないが、報告者が発表で用いた「手抜き」や「ヒマ」といった言葉づかいがおかしいというコメントもあった。加えて、研究史が民俗学に偏りすぎているとも指摘された。そして、この発表で女性の労働を語るのは不相応であるともされた。
 こうした指摘については、その場で回答をした。質問者からは一応の了解を受け、議論を終えた。また、当日以外にいただいた、コメントについてはこれから返答していく予定である。さらに、今後、本発表で受けた、指摘について検討し、論文化にあたっての課題としたい。なお、本発表は今後、論文化し、本年11月中に投稿を予定している。
 さらに、今回は学会に参加したことで、最新の研究成果を吸収することもできた。聴講したシンポジウムや一般発表では、新たな発見もあった。さらに、報告者や他の発表者の質疑応答でも議論を深めることもできた。特に、生業研究の分野では、発表終了後の意見交換が大きな収穫であった。
また、3日目の京都市内の見学では市内の生業の調査ができた。特に、タバコ産業や穀物商については、今後の研究でさらに深めたいと思うような課題を発見した。
  今後も自身の研究を深め、活発に研究者と交流し、発表の機会を増やしていきたいと思う。さらに今回の学会参加で得られた知見を生かし、博士請求論文作成のために励みたい。

7.本事業について
 

 本事業がより広く多くの人に活用されるよう、手続きなどがより簡潔になることを望みます。

 
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