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国内学生派遣関連事業 研究成果レポート

伊藤 潤(日本文学研究)

1.事業実施の目的

日本宗教民俗学会第18回大会シンポジウム(テーマ“地域(ムラ)をこえる信仰”)におけるパネリスト報告のため

2.実施場所

大谷大学

3.実施期日

平成20年年6月13日(金)から平成20年6月15日(日)
※大会は6月14日(土)開催

4.成果報告

●事業の概要

宗教民俗学・国文学(主に仏教文学)・仏教史学といった多分野で、没後もなお大きな影響をあたえる五来重博士。彼が生前に、その中心となって発足したのが「日本宗教民俗学会」である。当該研究会に参加する研究者の多くは、仏教、神道、および両者が混交した土俗的信仰を研究における主要対象とし、民俗学的アプローチでもって対象を論じることが多い。また、その研究対象・研究方法の方向性から、日本民俗学会との関係も深い。毎年6月、大谷大学にて大会を開いている。

今回で18回目にあたる当該研究会の大会は、2部構成となっており、《午前の部》として、「弁才天信仰の諸相」と題したグループ報告が行われた。「日本宗教民俗文化史総合研究会」という当該研究会とも関係の深いグループから、米田幸寿氏・堀部るみ子氏・大森恵子氏(発表順)の三氏が報告。

米田氏の報告「保津川・大堰川周辺をめぐる弁財天信仰―特に亀・鯉・龍にまつわる説話・伝承を中心に―」は、保津川・大堰川周辺の地域に焦点を絞り、弁財天とその使役動物(眷属・使わしめ)が登場する口承・書承の説話・伝承を博捜している。いうまでもなく、現地フィールドワークも(「現段階では、まださらなる調査の必要性がある)と米田氏はことわっていたが)充実た内容であり、報告で語られた一連の調査実態も、申請者の今後の研究において参考になった。河海の神としての弁財天が、基層信仰などと結びつくことで変容してゆく過程。河の動物と弁財天信仰との結びつきと、そこから生成・発展する伝承。また、現代に至る一連の信仰・伝承の担い手が、説話を変容させてしまう(意識的/無意識的に)行為。以上の点が、その一端としてあげられる。堀部氏の報告「淡路島の巡遷弁財天について」は、淡路島において霊験ある「弁財天像」を一年毎に寺院・在家の邸宅で順番に奉斎する民俗信仰儀礼を取り扱った。堀部氏ご自身がその儀礼に関わる寺院の方であることから、「祭祀する側」が現代に至るまで奉持してきた「儀礼」を具に知ることが出来たのは収穫である。今回は「儀礼」の近世~近現代の動きを中心に報告されたが、いずれ聖教・儀軌といったテクスト類との対応も視野に入れるとのことであり、申請者自身も聖教・儀軌といったテクスト類に伝えられる「弁財天イメージ」との共通点・相違点などを考えてみたい。大森氏の報告「盲人芸能者にみられる弁才天信仰―特に、琵琶法師覚一検校と関清水蝉丸神社を中心に―」は、国文学・国史学で近年その研究が発展しつつある「弁財天・妙音天信仰と芸能者」の問題であった。

次に《午後の部》として、シンポジウム「地域(ムラ)をこえる信仰」があり、申請者は、パネリストの一人として招かれ報告(題目:「流伝する太子伝―黒駒と楽―」)を行った。パネリストのメンバーは申請者の他に、北川央氏「伊勢大神楽の回檀と村落側の受容をめぐって」、明川忠夫氏「小野小町伝承―五十河(京丹後)・小野脇(福知山)を中心に―」(以上、報告順)と、菊池政和氏が司会として登壇。前近代から現代に至るまでの、「地域をこえた信仰」が各「地域」にもたらす影響。「地域の信仰」が、「地域をこえてやってきた論理・観念」に影響を受け、変容する状況。こういった点を踏まえつつ、各パネラーが自身の専攻分野にひきつけつつ報告を行った。北川氏の報告では、「伊勢大神楽」という「宗教芸能者」と「宗教芸能」の現代に至るまでの活動を概観された。伊勢神宮との歴史的関係性。「伊勢大神楽」と他の「大神楽」における、信仰的伝承・口伝の様相。「伊勢大神楽」の担い手たる組織内で伝わる規定。これらの点に特に関心を惹きつけられた。

明川氏の日本各地に伝播した小町伝承の様相への分析は、伝承面もさることながら、「仏像」といった遺物への姿勢が、おなじく「図像」を扱う申請者として参考となった。

最後に《特別講演》として、山路興造氏による「宗教芸能者の歴史と実態―中世から近世へ―」と題した講演が行われた。研究上、何気なく使用される「宗教芸能者」というタームに関して、従来「宗教芸能者」と位置付けられる者たちを、資史料と照らし合わせつつ個々に再確認することで、本来的な「宗教芸能者」とは何かを考え、厳密に再定義された。申請者の研究も「宗教芸能者」に一部かかわるため、氏の提言はさらに考えねばならない課題となった。

●学会発表について

今回、申請者は当該研究会には所属していないものの、第18回大会のシンポジウムに、パネリストの一人として招かれ報告を行った。シンポジウムのテーマは「地域(ムラ)をこえる信仰」である。

申請者は、昨年(平成19年)、伝承文学研究会平成19年度大会(平成19年9月1~2日/於・国士舘大学 世田谷キャンパス)において、「太子黒駒飛翔譚の展開-まいりの仏の一図像より-」と題した口頭発表を行い、平成20年4月に「太子黒駒飛翔譚の展開-まいり仏における『黒駒太子像』の形成-」として『伝承文学研究』57号(三弥井書店)に活字化・掲載した。

東北に「まいりの仏」と呼ばれる民俗信仰が存在する。そこで本尊として掲げられる絵像に、少なからず「聖徳太子」の図像がある。この「太子図像」に注目し、その中でも現在まで民俗学・美術史学で保留されてきた「特異な図像」(便宜的に「黒駒太子異像」と称する)を取り上げ、その本説となった太子伝承・隣接する縁起とともに読み解いた。太子伝承の流伝、太子絵像の地方的生成と変容という点から、国文学始め美術史学を含めた太子伝・太子絵伝研究史の中に寄与できたかと思う。

さて、当該研究会大会でのシンポジウム報告では、申請者は与えられたテーマである「地域(ムラ)をこえる信仰」との関連性を考慮し、「流伝する太子伝―黒駒と楽―」と題して、次のような報告を行った。前にも述べたように、口頭/活字発表した「まいりの仏における太子図像と、東北地方に流伝する太子信仰」という視座を軸としつつ、範囲を東北地方とともに、太子故地周辺にまで拡大した。聖徳太子の活躍した大和周辺(河内・播磨国含む)と、太子故地とは本来的には無縁の土地(東北地方)。双方における「太子伝承」(特に『太子伝』・『太子伝注釈』といった、聖徳太子の伝記テクスト群として現存するものを中心とした)を比較したところ、共通する事項として「黒駒」という存在が浮かび上がる。太子を乗せて日本国中を駆け巡る神馬「黒駒」のイメージは、「太子伝承」において、太子が近隣/遠方の諸国で活躍する重要な「装置」としてはたらいているのである。このイメージが、大和周辺において「太子の足跡」・「黒駒の蹄跡」・「太子の投げ石」といった遺物・聖跡を伴った伝承を成立させた。そして同じく、東北地方の「まいりの仏」においては、『黒駒太子像』といった図像を成立させたのである。また前の『伝承文学研究』57号での拙稿において検証したが、「まいりの仏」の『黒駒太子像』に「雅楽・舞楽にかかわる太子伝承」を図像化したものが見られる。本来、東北地方となんら関係のない「雅楽・舞楽にかかわる太子伝承」が、「まいりの仏」の本尊図像として取り上げられたのか。その一つの可能性として、本シンポジウム報告で、東北の舞楽伝播の様相を取り上げた。高橋美都氏、萩美津夫氏の先行研究の他は、なかなか解明されていない分野であり、今回は先行研究に拠りつつ、その可能性を示唆するに留まった。しかしながら、「まいりの仏」にみられる東北への「太子伝承」を伴った「太子図像」の伝播を考えるとき、従来の初期真宗と共に、四天王寺系の宗教者(天台僧のみならず修験の徒も含む)や善光寺聖(五来重の指摘による)に加え、東北へ伝播した楽(および楽人)と楽伝承にまで視点を広げることが、今後の民俗宗教史ひいては太子伝・太子信仰研究に必要であると考える。

シンポジウム全体への意見等としては、地域をこえて広がる信仰と、その担い手としての宗教者達にどのような種類があるか。また、地域をこえる=越境し拡散してゆく信仰が、その越境過程で各地域に定着し変容してゆく様相には、どのようなものがあるのか。等が聞かれた。申請者個人としては、特に「まいりの仏」の太子図像の成立と伝播に関して、従来よく聞かれる初期真宗の影響が主である旨の意見をいただいた。申請者としては、初期真宗の影響を無視するものではもちろんないが、今回取り上げた太子図像においては、初期真宗的意識下で受容されるという視点からあえて一旦離れて考察を行った。取り上げた「太子図像」を考える上で、初期真宗の関与以前の段階で成立した「本説」である「太子伝承」の存在を明確にするためである。

●本事業の実施によって得られた成果

本事業の実施により、申請者は次のような成果が得られた。

中世に展開した聖徳太子の伝記として総称される「中世太子伝」では、「厳嶋弁財天」「竹生嶋弁財天」の縁起等が記述される。ゆえにグループ報告「弁財天信仰の諸相」において報告された三氏のそれぞれ視点・方法は、申請者自身に還元しうるものであり、刺激を受けた。ことに米田氏のフィールドワークの手法、在地伝承のテクストと口承の両面からの綿密な採取の姿勢は真似したい。申請者は国文学研究という立場であり、テクスト研究が主となりがちであるが、「中世太子伝」という、民俗信仰とも関わる分野を専攻している以上、フィールドワークの重要性は看過しがたい。氏の報告によって申請者は、「保津川・大井川における弁財天信仰」の様相と共に、そのフィールドワークの過程で遭遇した事象やその分析・対処といった方法面での知見を得ることが出来た。

シンポジウムにおいては、北川氏・明川氏という民俗学・国史学の先達と共に報告できたことが、まずなんといっても貴重な経験となった。今回のシンポジウムテーマである「地域(ムラ)をこえる信仰」は、司会の菊池氏のリードで「現代の地域社会」にまで言及する方向で進められた。申請者としては、「現代」への言及は薄めであり、前近代での「流伝する太子伝」の様相に重きを置くかたちとなったが、北川・明川両氏の、現代というシーンにおける、「伊勢大神楽(組織としての)の活動の変容」や「村興し・町興しに伴う小町伝承の変容や再生産」への言及・分析方法に触れて、申請者の今後のプレゼンテーションの面において血肉化すべき課題を得ることが出来た。

山路氏の特別講演に関しては、今後の博士論文研究の中でも触れるであろう「宗教芸能者」という根本的な問題についての課題を得ることが出来た。

さて、以上の点を踏まえて、申請者が今後の博士論文研究として具体的に活用できる成果を述べるならば、次の点である。「中世太子伝」研究における、口承伝承(昔話を含む)への視点を付加すること。「中世太子伝」における全てのエピソードに「地域伝承」が含まれるわけではないし、「全ての地域」の伝承採集を(完全に)行うことは困難である。しかしながら、口承伝承への目配りと「テクスト化」された伝承の網羅は可能であるので、徹底することを考えている。その分析方法・採取方法に関しては、今回の当該研究会大会参加で得られた知見が大いに活用できる。

なお、今回のシンポジウム報告を基にして、日本宗教民俗学会機関誌『宗教民俗研究』への投稿を予定している。