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海外学生派遣関連事業 研究成果レポート

西山 剛(日本歴史研究専攻)

1.事業実施の目的

禁裏駕輿丁研究を行う上で必要な文献調査、及びフィールドワーク

2.実施場所

国際日本文化研究センター 京都府立総合資料館 京都市歴史資料館等

3.実施期日

平成20年10月4日(土)から10月26日(日)

4.成果報告

●事業の概要

禁裏駕輿丁を行う上での史資料調査を行う。具体的には①京都所在資料所蔵機関(日文研・総合資料館・歴史資料館等・京都大学博物館)における所蔵調査を行い、禁裏駕輿丁資料収集につとめる。とくに今回は文書端裏記載から資料群成立過程を分析することを主眼に置く。そのためには上記諸機関での原本熟覧が必要になってくるため、現地での一定期間の滞在は必ず必要になる。また②として、近代まで存在を確認できる禁裏駕輿丁がいまだ商業を商っている可能性があるため、それに関する追加調査を行いたい。受け入れ機関である日文研のM・リュッターマン准教授には短期留学中の指導をお願いした。

今回の調査の目的は、主に近世前期から中期における禁裏駕輿丁の存在形態を解明するための諸史料をあらためて点検し、追加調査・追加史料収集を進めることにある。中世前期及び室町期から戦国期における禁裏駕輿丁の存在形態は、先行する論文(「中世前期における禁裏駕輿丁の存在形態」、「中世後期における四府駕輿丁の展開過程」)等で明らかにした。

これらの研究を受け、現在、仮説的な近世前期及び中期における禁裏駕輿丁の展開モデルを獲得している。今回の調査を行うと、このモデルを実証的に検証することができ、より緻密な像を獲得することができると考える。今回の史料収集では、端裏情報、文書形態等、原本調査が不可欠であり、この作業は一定期間現地に留まり実施することが必要となってくる。

これらの作業を通じて獲得されたモデルは、禁裏駕輿丁を素材とした本博士論文作成の実現の上で重要な位置を占めてくるものとおもわれる。とくに近世以後の禁裏駕輿丁は、現在身分的周縁論の文脈の中で盛んに研究が推し進められている段階ではあるが、その成果は近世における朝幕関係論の枠を脱しておらず、中世商業史の観点からすれば、まだまだ空白が多いといわねばならない。

近世における動態を実態的に把握するためには、文献調査・フィールドワーク等は必要不可欠であり、また、中世文書を視野にいれた通史的な身分把握は極めて有効であると考える。この意味で今回の調査は博士論文にとどまらず、方法論的な新機軸を打ち出すためにも重要な作業であると考える。

またこの調査は12月16日に行われる日本史研究会部会報告を円滑にすすめるための諸機関との折衝を兼ねたディスカッションを行った。調査期間中には日本史研究会大会報告が行われ、それに参加することによって、日本史研究会委員会の面々との顔合わせ、さらにはその後の手続き等を確認した。 学会発表は調査後に行われるとはいえ、その前段階として研究の概要、必読文献等の指示を伝えることができ、まことに有意義な時間であった。

●本事業の実施によって得られた成果

本調査では、幕末における禁裏駕輿丁の由緒書を発見することができた。この文書は「左近府許状一覧」と名付けられ、京都府立総合資料館が所蔵するものであり、これまでの研究では全く手つかずのまま残されている史料である。本史料は、慶応2年付禁裏駕輿丁桃燈由緒(1紙目)、同年菅原正信左近衛府駕輿丁猪熊座補任状(2紙目)、左近府猪熊座駕輿丁村上勘兵衛宛献金受取状(3紙目)の三紙の貼り次ぎで構成されている。

幕末における禁裏駕輿丁がいかなる由緒により身分を裏付け、他に表象していくか、をこの史料から確認することができる。また三紙のうち、第一紙目の内容は重要である。本文を引用すると、「後陽成院 朝覲行幸御鳳輦供奉公卿左大将藤原兼実公依下知瀧口御隨身近衛四府猪熊座駕輿丁宜奉供奉處、御褒美菊一本頂戴、恐返献重花中於一文字如為消而御下知故挑燈之為印可用之者也」と記されており、後陽成天皇朝覲行幸に際して自らの桃燈印である菊一文字が生成されたと述べている。この記述は、国文学研究資料館所蔵「駕輿丁由記」にも共通した文言が見られ、同時代における禁裏駕輿丁の共通の語りを抽出できる。

現在、近世初頭における禁裏駕輿丁の地下官人化過程を追求中であり、その論理的文脈の中にも位置付く史料であり、後陽成天皇期における朝儀復興・朝廷再編過程が近世における禁裏駕輿丁のメルクマールであった可能性を著しく高めるものであるといえる。

今後、この調査で獲得した史料を元にさらに論理的整合性を整え、学会発表、論文化をはかっていきたいと考える。

また、府立総合資料館所蔵写真帳ではあらたな地下官人名簿を入手した。官務小槻家が統轄する地下官人と、外記押小路家が統轄する外記方が統轄する地下官人が書き上げられており、総勢100名以上の地下官人がその職掌とともに把握されている。この史料もまた未だ未翻刻・未紹介のものであり、その位置付けも行われていない。一般的に言うと、近世地下官人は「三催体制」といわれる統轄体制の中に位置付けられ、活動を行ってきたとされる。しかし、本史料では、三催のうち、蔵人所出納を世襲する平田氏配下の地下官人は書かれていない。三催体制の成立は、地下官人の展開過程の中で中世と近世を分けるメルクマールになると考えているため、この史料は中世から近世の過渡期のものとおおまかな把握をすることができる。元和年間という近世のごく早い時期に作成されたと思われるこの史料を自身がこれまで集めてきた史料と合わせ、作成主体、作成意図、さらに地下官人の編成論理等を探ることが可能である。これも今後、博士論文を作成していく中で取り組んでいきたい。

●本事業について

今回の内地留学制度は、中期間であるが、集中的に自身の研究に向き合える時間を確保するためには極めて有効な制度である。文献調査・フィールドワークは、一定期間現地に逗留し、集中的に行うことで飛躍的にその成果を上げることができる。今後、金銭面等、さらに充実すれば、制度利用者の研究レベルを飛躍的に上げることができると考える。