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海外学生派遣関連事業 研究成果レポート

渋谷 綾子(比較文化学)

1.事業実施の目的

Sixth World Archaeological Congress Ireland 2008 (WAC-6)における研究成果発表

2.実施場所

アイルランド(University College Dublin)

3.実施期日

平成20年6月29日(日)から平成20年7月4日(金)

4.成果報告

●事業の概要

学会の内容

アイルランドのダブリン大学で開かれたSixth World Archaeological Congress(World Archaeological Congressが主催)に参加した。世界考古学会議は非政府・非営利団体の学会であり、選挙によって各国の代表が選ばれてそれぞれの運営を担当し、学会員は考古学研究者をはじめ、文化遺産の管理団体、学生、一般という幅広い層からなる。さらに、国際会議は4年に1度の割合で開かれ、世界各国の考古学の研究動向や意見交換を行っている。今回は初めてアイルランドで開かれ、世界74カ国から1,800名以上の研究者たちが参加し、日本からは筆者を含め33名が出席した。

研究発表のセッションは33のテーマに分かれており、各セッションの進行役は20カ国以上の研究者たちがそれぞれ担当した。研究発表の分野は、芸術、文化財保護、政治、博物館、景観、古植生、環境変動といった幅広いテーマにもとづいており、さらに、大会期間中はこれらの研究テーマと独立した形で、基調講演や世界各地の研究動向のセッションなども行われた。

主に参加したセッション

研究発表は非常に多くのテーマにわたっていたため、前半(6月30日・7月1日)と後半(7月3日・4日)の2回に分れて行われた。申請者が主に参加したセッションは、(1)Our Changing Planet: Past Human Environments in Modern Contexts、(2)Wetland Archaeology Across the World、(3)Heritage Tourism Agendas、(4)The Impact of Innovation、(5)Rainforest as Artefactなどである。(1)は環境考古学や植物考古学の研究発表が主流で、(2)は低湿地の環境考古学を主題にすえて世界各地の事例報告が行われた。(3) は生涯学習と考古学研究との関係が主に論じられ、海外での生涯学習のあり方が提示された。さらに、(4)では農耕の起源に関する問題が提示され、(5)は熱帯雨林における考古学研究の事例が報告された。

これらのセッションのうち、申請者の博士論文研究と密接に関連したセッションは(1)と(5)であった。 (1)のセッションでは、環境考古学や植物考古学の研究を進める上で生じる諸問題について、土地や植物の利用、環境管理、景観論などともに各国の研究事例が報告された。同セッションの最初に設けられた植物の栽培や利用に関する小セッションでは会場から多数の意見が相次ぎ、終了予定時間を大幅に延長したほど活発な議論が繰り広げられた。

(5)のセッションは熱帯雨林地域の植生を主に論じるものであり、熱帯雨林地域の植生に関する研究動向や熱帯環境における焼畑農業、熱帯性永年作物に関する研究事例が報告された。このセッションは3つの小セッションに分かれており、従来の研究では研究対象とされてこなかった植物「バナナ」を主に論じるもの、農耕の起源を論じるもの、熱帯雨林の植生を論じるものに分かれ、それぞれのテーマに沿って研究事例が報告された後、会場の参加者も交えた全体討議が行われた。

●学会発表について

発表題目:Late Pleistocene to Early Holocene Plant Movements in Southern Kyushu, Japan

発表の概要

発表の目的は次の2点である。

  • 1) 日本における残存デンプン研究の事例報告を行う。
  • 2) 「植生変化の解明」という視点から、考古学研究の新しい可能性を提唱する。

本発表では、鹿児島県の後期旧石器時代および縄文時代草創期の石器残存デンプンに関する研究結果にもとづいて、「更新世後期から完新世初期にかけて日本の温帯林は南から北へ移動した」ことを提示した。特に、先行研究が扱ってきた種実や花粉などの微化石とは異なる別の証拠「石器のデンプン質残留物」によって九州南部の植生変化を解明することを主な目的として報告を行った。なお、本発表に関連したセッションは「Rainforest as Artefact」である。

発表に対する質問や意見、評価

本発表の形式はポスターである。今大会では200以上のポスターが提出されたため、掲示場所の関係から口頭発表と同じく、前半(6月30日・7月1日)と後半(7月3日・4日)に分けて発表日程が組まれた。申請者のポスターは後半の日程が掲示期間となり、ポスター前での質疑応答の日程は4日に設定されていたが、初日にポスターを掲示してから2日目の終了時間までの間、多くの研究者からさまざまの質問や意見を得ることができた。

(1) 質問
本発表に対して最も多かった質問は、「なぜ日本では残存デンプン粒の同定ができないのか」・「どんな候補植物を想定しているのか」・「日本で残存デンプン研究ではどのような遺物資料が扱われているのか」という、残存デンプン研究の根幹にかかわるものであった。これに対し、申請者は日本の研究状況、すなわち、残存デンプン研究は日本では非常に新しく、研究の進展がほとんど見られないため、さまざまな資料を分析するという研究事例の蓄積段階にあることを説明し、想定できる候補植物は非常に多数であることを提示した。

このような質問は、いかに日本の残存研究の事例が海外の研究者たちにまったく知られていないかということを顕著に表している。さらに、海外で行われている類似の研究は、その多くが遺跡土壌や遺物の残存デンプン粒について植物の同定を行って、遺跡内の利用植物を特定しているが、植物の同定方法そのものを慎重に議論することはほとんどない。したがって、本発表に対して前述した質問が多かったことは、申請者が示した日本の研究状況が海外の研究者たちに「植物の同定方法を再度議論する必要がある」ことを実感させたのではなかろうか。
(2) 意見
本発表に対して出された意見をまとめると、次の3点に集約できる。
  • a) 残存デンプン粒の立体視に関する方法(解決策の提示)。
  • b) 分析で用いるスライド封入剤について(別の封入剤の利用、現在の封入剤との比較など)。
  • c) 利用する顕微鏡について(高精度の顕微鏡の利用を勧められた)。
上記のいずれの意見も「残存デンプン粒の立体視が植物の同定を可能にする」との前提にもとづいており、これら以外にも日本の研究の進展を促す意見が相次いだ。
(3) 評価
本発表は今大会(WAC-6)のWAC Student Committeeによって、「WAC Student Poster Prize runner-up」を受賞し、大会最終日の総会において表彰を受けることができた。受賞にいたった理由は、日本における残存デンプン研究の状況が本報告からよみとれたこと、本報告が当該研究の根幹にかかわる「植物の同定方法」の問題に再議論の必要性を示していること、という2つの点が評価されたからである。

●本事業の実施によって得られた成果

申請者の博士論文研究は植物考古学の分野に分類され、研究方法として用いる残存デンプン分析は日本考古学では非常に新しい分野であるため、国内の学会ではどこでも申請者の研究は目新しい研究としての扱いを受けている。しかし、今回の国際会議に参加した結果、海外ではこの分野の研究がいかに考古学研究において注目度の高いものであるのかを、各研究発表で分析方法のひとつとして扱われている状況から実感させられた。

中でも、申請者が主に参加したセッション「Rainforest as Artefact」では、残存デンプン研究を主導している研究者たちと日本の研究について話し合うことができ、彼らが実際に行っている分析方法について詳細な教示を受けることができた。さらに、申請者と類似した研究を行っている博士課程の学生からは、異物混入を避けてデンプン粒のみを分析するために用いる薬品や、彼女が行っているデンプン粒の抽出方法や分析方法を教えてもらった。これらのことは、申請者が今後研究を進展させていく上で有益となる。

当然のことながら、海外の研究者たちが残存デンプン研究で行っている方法を、すべてそのまま日本の研究に応用することはできない。しかし、申請者が博士論文の研究を進める中で問題視していた「植物の同定」に対しては、研究者たちより解決策が与えられたため、そのうちのいくつかについては実行に移すことができると考える。たとえば、デンプン粒を立体視する方法として、花粉分析で利用するスライド封入剤(オイキットやグリセロール)を用いて、直接スライドの上からデンプン粒を回転させて立体視を行ったらどうかという提案や、高精度の顕微鏡(走査型電子顕微鏡)による立体視を実施してはどうかという提案である。後者は研究設備等の関係から、他の研究機関の協力を得る必要があるが、前者は海外の残存デンプン研究を行っている研究者の間で広く利用されており、植物の同定にも役立っているという。そこで、申請者の研究の中で、現生植物の参照標本については実験的に試みる予定である。

「海外の研究者が日本で行われている残存デンプン研究のどの点に注目しているのか」ということについても、多くの意見が寄せられた。申請者は今回の研究発表で、遺物の残存デンプン粒を同定するための一つの手段としてデンプン粒の類型化を行った。同様の方法で植物の同定作業を行おうとする研究はまだ存在していない。そのため、日本のように残存デンプン研究がまだ進んでいない中でも、現生植物を利用した参照標本を用いて植物の同定に結び付けようとしていることが評価された。さらに、海外の研究にも適用できるのかどうかなどについて、セッションの参加者とともに話し合うことができた。

今回の国際会議に参加したことにより、海外で実際に当該研究にたずさわる研究者の考えにふれることができ、多くの意見を得たことによって、博士論文研究の新しい方向性を見出すことができた。今後の論文執筆・成果報告に役立てたい。

●本事業について

博士論文の完成にあたっては、フィールドワークはもとより国際会議での研究発表も必要に応じて行う必要がある。なぜなら、当人の研究成果が国内だけではなく海外の研究者たちにどのように評価されるのかを知り、意見の交換を行うことが研究の進展につながるからである。しかし、学生にとって海外の遠隔地へ赴くことは交通費が最も大きな負担となり、あわせて現地の状況によっては宿泊費も大きな負担となるため、国際会議での研究発表の意思はあってもためらってしまうことがある。こうした点において、本事業は海外の研究発表を積極的に支援しており、総研大の学生たちにとって研究を進展させる機会につながっている。

その一方で、次回以降の事業の実施にあたり、下記の点において改善を要求したい。

たとえば、「交通費と宿泊費の支給による研究の進展」が事業の主要目的となっており、一定額の支給が決められている。しかし、ひとまとめに「海外」といっても、ヨーロッパ地域とアジア地域では日本から現地までの交通費の金額に大きな隔たりがあり、宿泊費の差も大きい。すべてを支援することは現実的に困難なことを承知の上で、こうした隔たりが少しでも改善されれば、次回以降の申請者が幅広い分野の国際会議に積極的に参加するようになるのではなかろうか。

さらに、事業の内容については、今回申請者が利用した事業は平成20年度最初の申請であるにもかかわらず、5月下旬まで今年度の事業内容について案内そのものがまったく行われず、募集の開始からわずか数日で申請書類を提出せざるをえなかった。

研究分野によっては、国際会議の開催が6月~7月や8月~9月、11月~12月に集中する。このように、研究分野によって会議開催の時期が異なるという状況をかんがみて事業の募集が的確に行われるのであれば、申請者のように、募集案内開始後わずか数日で提出書類を作成する事態とはならず、学生の申請意欲も高まる。それは、学生たちのより積極的な国際会議への参加も促すことにつながるのではないだろうか。

以上のような改善点はあるが、本事業に参加して国際会議の場で研究発表を行うことができたことは、博士論文の研究に多くの方向性を見出すことにつながり有益となったと考える。