HOME > 平成20年度活動状況 > フィールドワーク学生派遣事業 > 海外学生派遣関連事業 研究成果レポート

国内学生派遣関連事業 研究成果レポート

渡邉 一弘(日本歴史)

1.事業実施の目的

日本民俗学会研究発表

2.実施場所

熊本市民会館・熊本大学(熊本市)

3.実施期日

平成20年10月4日(土)から平成20年10月5日(日)

4.成果報告

●事業の概要

10月4日は、年回のシンポジウム「「新国学談」再考」であった。基調講演が、福田アジオ・小川直之・岩崎真幸・米田 実の四名によって行われ、その後、パネルディスカッション(コーディネーター 佐野賢治、パネリスト 福田アジオ・小川直之・岩崎真幸・米田 実)が行われた。全体的に事前調整の行われていないシンポジウムとなった。基調講演も、このシンポジウムへの必要性を説くものとはなっていなかった。

戦後間もない1946年から1947年にかけて刊行された柳田国男の「新国学談」シリーズは、第一冊目の『祭日考』、続く『山宮考』、『氏神と氏子』のことであるが、一般にこのそれぞれの著書は読んでいても、その三冊に「新国学談」という意味が込められていたことは知られていない。

岩崎真幸による「「新国学談」が意味するものー「新国学談」と民俗学のそれ以降」のみが、このテーマに直接コミットした講演であった。その中で、「新国学談」の方法と態度として、「採集資料の限界」「文献による論証」「『先祖の話』から「新国学談」へ」論じていく。日本民俗学の目的が「経世済民」という現代的な切迫したテーマから、歴史学てきなものにシフトしていったとも言える。岩崎氏が紹介する『山宮考』で引用している文献の多さを見てみると、明らかにしようとするものが歴史的なものであることが歴然とする。

さらに岩崎氏は、柳田が「祖霊信仰」と「固有信仰」という言葉に執着していくとを指摘する。そして「「新国学談」以降の民俗学」として、「伝承資料消滅の危機意識」を持っていたとする。

「氏神信仰の最も大きな変化は、大分古い時代に始まり、土地によっては既に完結したとも云いうる処がある是からは忘れる一方というような場合も無しとせず、その痕跡は大きい速力で消えようとしてる。都市の成長と混乱は、侮り難い破壊力でもあった。」とし、民俗が破壊されたという立場を取る。

「これらを遺漏なく拾い集め整理することはほとんど望みがたい。」と言う言葉は過去を復元することが民俗学の目的ととらえていることが分かる。

「今までの知識を持ち伝えているものが段々少なく、たまたま残ったと見えるものも偏っておりまたは歪められている」とし、聞き書きという方法の可能性を悲観していたことが分かる。

「遠く離れて別々な調査をしている人達を引き合わせ、旅行のできぬために調べられずにいる人達を紹介して、互いに助け合う機会を作ること。田舎に居て本の不自由する人々には、便宜のために、予め資料を用意しておくこと。」と地域民俗学の可能性を探る方法ではなく、中央の研究に一元的にまとめていく方向を示していたことが分かる。

このシンポジウムでは「新国学談」の可能性を探るというスタンスであったが、それよりももっと民俗学を創立したときの初心に戻り、民俗学の現代性と地域民俗学の確立を実行すべきだと考える。

●学会発表について

今回は、「明治期における千人結の成立について」と題して発表した。

日中戦争開戦後、数ヶ月の間に全国的に爆発的に流行した千人針。その後、銃後の民俗として、出征に際して、なくてはならない習俗として定着していった。終戦後も、戦争の思い出とともに語られ、戦争の民俗を語るなかで、民俗学者による千人針の分析も加えられてきた。

その千人針の語りや分析は、日中戦争以後の事例を中心に行われ、あたかも戦時中に古くからの伝統的な習俗が復活してきたかのようにとらえられがちである。例えば古代の信仰や南島におけるオナリ神信仰などとの共通性が論じられたりしてきた。

しかし、この千人針は、明治期の戦争とともに始まった習俗であり、日清・日露戦争の頃、満州事変の頃という流行を経て、日中戦争以後の大流行となったのであり、戦時下の民俗の中で、それぞれの時期にどのような必要性があり、この習俗が生まれてきたのかを分析する必要性がある。

これまで千人結については、一部の事例のみで分析しているため、不確かな推論が提示され続けてきた。そこで、今回は、明治期の新聞・雑誌などにみられる「千人結(せんにんむすび)」の事例を全体的に整理し、日露戦争時に千人針の前身となった千人結が成立していったかを検討する。

大間知篤三・高崎正秀によると、当時の聞き取りでは、日清戦争から千人結が作られていたと記しているが、現在のところ、その確証は取れておらず、現在のところ、日露戦争(明治37年2月6日~明治38年9月5日)からしか確認できない。そこで、日露戦争時にどのような状況から千人結が生まれてきたかをこの時代性とともに分析する必要がある。

まずは、明治37年4月24日付『読売新聞』、明治37年4月29日付『都新聞』に千人結に類似する事例が紹介され、しばらくして明治37年6月21日付『東京二六新聞』、明治37年6月28日付『都新聞』、明治37年7月1日付『読売新聞』に紹介される。そして明治38年5月の『風俗画報』(316号)に千人結の事例が報告される。また、リチャード・ゴードン・スミス(1858~1918)が明治37年4月26日の日記に神戸での千人結の風景を好意的に記録している。

なぜ、千人結が流行したか、その理由は、大江志乃夫が指摘するように、明治6年1月10日の徴兵令布告以後、徴兵を忌避し、その後、徴兵令が改正されるたびに、忌避は困難となり、武運長久とともに弾除け祈願が行われるようになり、その一つの習俗として千人結があったと考えられる。

日露戦争時に流行した千人結は、後日、日露戦争を振り返って、千人結という流行を記録され、後世に伝えることになる。例えば、大正2年1月の櫻井忠温著『銃後』や大正4年5月の『早川貞水師講演 教育講談 愛国心 千人針』(早川貞水著、大江書房)に日露戦争での千人結についての記述が紹介されている。

こうした資料を整理することで、日露戦争時の千人結の実態を把握し、当時の徴兵制度との関係、同様の弾除け信仰との関連、恤兵募金や手拭い寄贈など、様々な戦争の民俗の中で、千人結の成立を検討する。

以上のような、内容の発表を行ったが、一人の方からは、何故、「千人結」から「千人針」に名が変わったのかという質問があった。個人的には、時代ごとに事例分析を積み上げてから、分析に入りたいと考えていたが、その時代の分析をしながら、仮説でもその段階の考えを提示する必要性を感じた。

また、もう一人からは、今回、明治期の事例ということで、触れていなかった「虎は千里走って千里戻る」という俗信を知っているかという質問があった。これは、時代設定をしていたので触れないつもりだったが、基本的な情報は、二重になってもまず最初に基本的な情報について触れておいた方がよいとことを感じた。発表の際、質問があったのはその二点であった。

●本事業の実施によって得られた成果

川村清志「フォークロリズムのリビルディングー都市民俗学からフォークロリズムへー」

自分の論文のテーマである千人針を都市における流行ととらえる上で、基本的な都市民俗学からフォークロリズムへの研究史について概説を学ぶことができた。その可能性と限界について、「民俗学と外部イデオロギーとの接触の可能性(文化ナショナリズム)」「民俗学者自身の営みについての自省をおりこんだ理論的な視座の構築」「都市民俗において論じられた闇の問題」などを踏まえる必要性については、博士論文の構成に示唆を与える発表であった。

森謙二「靖国の一つの源流―柳川・三池両藩における戦死者祭祀―」

田中丸勝彦氏による「英霊の発見」では、英霊という言葉の発生にさかのぼる研究であったが、本研究は戦死者祭祀の始まりに注目した研究であった。殉死が17世紀前半のものであるが、位牌の始まりは分かっていない。殉死と戦死者が同じように位牌が作られていたことを指摘。近世には戦死者祭祀は一定の広がりを見せていた。思想的な変化としては「御霊信仰の変化」「楠公思想と朱子学の展開」があった。新たな「人を神に祀る風習」(社会現象)の展開があった。戦死者祭祀は、幕藩体制(近世の)確立期にひとつの形を作った。この戦死者祭祀は、近代の戦死者祭祀とは異なった性格を持つものであったとしても、戦死者を主君が祀るという意味では、近代の靖国思想と共通の側面を持つものであった。近世の戦死者祭祀が家の延長線上に形成された「国」(オイエ)という側面を持っていたのに対し、近代の戦死者祭祀は「国」を越えた国家の祭祀という性格を持っていたとする。「近世」と「近代」の差違として、近代の戦死者は「神」として祀られ、近世末期に展開する先祖を神として祀る思想とつながっていると見る。博論のテーマとして、近現代の戦争の民俗をテーマとしているため、この発表は、示唆に富むものであった。

田野登「近世末妖怪話をめぐるマスコット狸の語りー<観光地再開発のための伝言ゲーム>論ー」

「大阪道頓堀のマスコット狸に関する語り」「洲本市の石像狸・柴右衛門に関する語り」を論究の対象として紹介。柴右衛門狸に関する記事の通事性として、「淡路における伝承の多様性」「昭和初期の学区教育における昔話」「近世末妖怪話における語り」を紹介し、再度、「道頓堀語りの発生の経緯」「洲本語りの発生の経緯」について検証。

そして「洲本語り」を通して、「地域の語り」と「町おこし」について分析し、「観光地再開発のための伝言ゲーム的展開」と指摘。さらに「フォークロリズム的観点からの伝承研究」として、観光地での伝承主体の問題であるとか、語りの真正性追求の限界と可能性、地域研究の視点からの伝説の生成、などを指摘した。こうした都市文化についての研究は、今後の自分の論文へも関わってくる。

●本事業について

この事業によって、遠方での学会発表へも積極的に参加でき、参加することで多くの研究者との交流が可能となる。今回も多くの研究者と交流が持て、今後の研究に必ず役立つと思われる。