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国内外研究成果発表学生派遣事業 研究成果レポート

江﨑 公子(日本文学研究)

1.事業実施の目的

日本音楽学会第60回全国大会にて口頭発表をする

2.実施場所

大阪大学豊中キャンパス文系総合研究棟

3.実施期日

平成21年10月24日(土)から10月25日(日)

4.成果報告

●事業の概要

 A)日本音楽学会第60回全国大会は大阪大学豊中キャンパス文系総合研究棟でおこなわれ、53の個人発表と6のシンポジウムが行われた。発表者は前年度の59回大会の会場当番校にあたっていたため、また前年度は全国大会の会計を担当していた関係で、裏方であったため、前年度の発表はほとんど聞けなかった。しかし、今回の60回大会の大きな特徴は例年になく盛りだくさんな発表が行われたことと、ヨーロッパではなく日本の研究さらには邦楽関係の研究が多かったことである。この点は関東の研究がヨーロッパ研究に偏りがちなことと比較すると、関西の特色といえるかもしれない。筆者は近代の日本に関わる発表を中心として第1日目と2日目の発表に参加した。以下個人発表とシンポジウムそれぞれ1つずつに関して述べる。
 総じて博士課程の人の研究発表に多く見られる傾向であるが、自分が対象としている事項の資料のみの説明に終始し、その時代になぜそれらの事項が起こってきたのかあるいは、どのような土壌が有ったあるいは欠けていたのかというバックボーンの説明が手薄のように思われた。例えば(B-3)「合唱競演会の功罪―近代日本の合唱受容における意義」では合唱コンクールを始めた小松耕輔に関わる資料がほぼ中心であり、小松の合唱競演会への理念や意気込みは解明されたのであるが、合唱に参加する人々の状況はほとんど語られなかったように思われる。主催者側の理念だけでは、運動の解明は片手落ちではないだろうか。
 また2日目のシンポジウムⅣ(S-4)「ピアニストの誕生―大正期のピアノ事情」は、4人の発表者とコーディネーターからなる2時間のシンポジウムであった。大正期の関西に焦点をあてたピアノ教育と専門家育成の様々な場面を、人、教材、楽器の面から多角的に紹介したものであった。大正期の関西においてピアノ教育に関しては、東京で展開されている方法を学び東京に追いつけという風潮の中で、三木楽器が楽譜出版や楽器製造・販売に関わりながらピアノ文化を支える土台形成をしていた点や、いわゆる「お稽古事」の感覚がピアノ教習に持ち込まれた点の指摘には多いに納得できるものがあった。ただし、当時の学習状況を浮き彫りにするために、インタビューがおこなわれていたが、研究者としてインタビューイの情報をどの程度保護しながら、発表を行うべきなのか疑問をもつた内容もあった。
 B)京都の古書店であるキクオ書店は、キリシタン関係の古書収集が数多くある。筆者は長年キリシタン関係書を購入していたため、今回も関連書を中心に調査した。今回購入はなかった。

●学会発表について

 大会2日目のPセッション(401教室)で16時から発表を行った。この Pセッションは日本の近代に焦点をあてた3つの発表が行われた。音楽学会では30分の発表の後、15分の質疑応答がおこなわれる。発表の概要は以下の通りである。
 本研究は近代日本の始まりの時点で「音楽」がどのように認識されていたかについて、小中村清矩著『歌舞音楽略史』と『古事類苑 楽舞部』に着目して分析したものである。『歌舞音楽略史』の特徴は各芸の起源と沿革をあわせて考えるということであった。各芸・ジャンルと連続体とみなしながら、項目に沿って各種文献から用例を列記することで、連続する動態として一定の概念を示している。また文献と共に類語も呈示されることで、用語の広まりは普及あるいは廃れる現象をも推測できるものであった。この考え方は重層化しつつ連続している前近代の音楽に対して一連のジャンルを想定し、音楽における体系化を試みていたといえる。一方『古事類苑』は各芸・ジャンルが完全に独立した状態にわけられ、、事項により資料が配列された歴史全書であった。しかし、ジャンル分けされてしまっているため、沿革や類書といった展開してゆく部分はわかりずらい。しかし、『古事類苑』は当時「大義名分論」とよばれた部立てという構造化を意図したものであった。文化全体の序列・類型化の中で音楽を位置づけていた。つまり『歌舞音楽略史』と『古事類苑 楽舞部』とではデータ構造の考え方が大きくことなっていたが、構造化のありかたは違うが、一連の歌舞・音楽を対象として何らかの構造性をあたえるという発想は近世に見られなかった発想である。
 以上のような発表に対して、3点の質問があった。
1つ目は、「歌舞」という言葉が使われたが、音楽という概念がはたして前近代にあったのかどうかという質問であった。発表当日は自信がなくあやふやな返答になってしまったが、現在我々が使う「音楽music」に相当する幅広い概念はなかったと考えている。2点目は『古事類苑』の当時「大義名分論」とよばれた部立てという考え方についての質問であり、文中の言葉で再度説明した。3点目は字句に関しての質問であった。総じて発表者が説明不足であったと反省している。

●本事業の実施によって得られた成果

 本発表は、博士論文「近代日本における楽語生成過程の研究」(仮題)の第一部「前近代にみる楽語の様相」の第一章「前近代の『楽』の状況の概観」に相当するものである。近代の「楽語」を述べるにあたり、音楽や楽の概念があったのかどうかという検証が必要であると思われる。そこで、明治初期と中期にわたって近世の文化を総覧しえた人物として小中村清矩に焦点をあてて『歌舞音楽略史』と『古事類苑 楽舞部』を検討したわけである。小中村清矩は実証派国学者といわれ、文献に忠実であろうとする学者であった。しかし、小中村の著作と集団で類書を編纂して行く場面では相当考え方に隔たりが有ったようであった。小中村が「大義名分論」という考え方が前面にでることに異議を唱え、他の編集委員と対立しながら、項目を選択した状況やあるいは却下した状況は口頭発表ではつたえられず、結果的に書籍全体の特徴のみを述べるにとどまってしまった。
 これら説明できなかった部分にこそ、近代という時代性を示す問題提起があったのではないかと現在かんがえており、失敗をしながら見えてきた事柄もある。この発表を行うことによって、口頭発表の難しさを痛感させられた。資料を列記するだけでは要点が相手に伝わっていないという実感があった。
 研究発表の可能性としては現在『国立音楽大学大学院研究年報第22輯』掲載を希望したところ、査読を通過したため、2010年3月末日に掲載の予定である。
 査読結果を以下添付する。
「若干の修正により掲載可」査読所見;小中村清矩の同時期の二つの著作『歌舞音楽略史』と『古事類苑 楽舞部』を取り上げ、その文献操作の違いを明らかにすることで、近代の始まりの時点での「音楽」の認識および概念形成の在り方の示した点に独創性が見られる。とくに、小中村の独自の視点を浮き彫りにしようとしたところが意欲的である。小中村研究に関わる関連文献資料の精査も質量ともに十分である。ただし、いくつかの点を修正・加筆されると精度がますとみられるので、別紙に指摘箇所を記した。以上

●学会発表について

 発表をおえて、他の人に説明することの難しさを痛感しています。一人で研究をし、あるいは指導教官の先生には説明をしているつもりでも、事前知識の全くない人への説明は、なかなか困難なものでした。さらに発表への参加は、大きな踏み台をこえるような心理的ハードルがありました。
 諸先生や事務教育支援係のかたが、いとも簡単に「スチューデント・イニシアティブ事業」を使うことを再三勧めてくださったことが、発表の機会を持てた大きな要因であったと思われます。ありがとうございました。なお、現在は早割等を使うと飛行機もかなり安いと思います。選択枝に加えていただくとありがたいと思います。