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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

陳 可冉(日本文学研究専攻)

1.事業実施の目的

和漢比較文学会第3回特別研究発表会における口頭発表および台湾の文化的・歴史的文物の調査

2.実施場所

台湾大学・台北故宮博物院等

3.実施期日

平成22年9月1日(水)から9月7日(火)

4.成果報告

●事業の概要


 和漢比較文学会の主催する特別研究発表会は、台湾大学との共催により、国際会議の標準的な発表スタイルに準じながら、活発な研究発表を重ねてきた。国際シンポジウム形式での開催は、今年で3回目となった。今回のリサーチ・トレーニング事業の実施は、和漢比較文学会の特別研究発表会で口頭発表をするほか、台北故宮博物院をはじめ、現地の博物館や文学館を調査し、台湾の日本文学研究者との交流を深めるものである。
 まず、研究発表会について、今年は例年になく、多くの応募者が参加するため、合わせて21本もの発表が行われた。詳細のプログラムは下記の通りである。


日時:2010年9月3日(金)
場所:台湾大学(台北市羅斯福路四段一号)文学部国際会議室

午前(8:50~12:35)

林欣慧
「桐壺更衣―中国后妃像の受容と変容―」
郭潔梅
「源氏物語と唐の歴史との関係―紅葉賀巻にみえる好色な老女の物語と則天武后の故事を通じて―」
吉原浩人
「大江以言擬勧学会詩序と白居易」
丹羽博之
「白居易と岩垣竜渓の「代売薪女贈諸妓」詩」
藏中しのぶ
「大安寺文化圏の歴史叙述―『大安寺碑文』『南天竺婆羅門僧正碑』の手法と構想―」
西 一夫
「大伴家持の詩文表現受容―歌と左注―」
張培華
「枕草子における和漢朗詠集の引用―四系統本文の表現差異を中心に―」
谷口孝介
「菅原道真の官職表現」


午後(13:30~19:25)

木戸裕子
「「殆ど江吏部の文章に近し」-大江匡衡と平安後期漢詩文-」
郭穎
「日本漢詩における「和臭」・「和習」・「和秀」―『東瀛詩選』を手掛かりに―」
鈴木望
「無窮会の文事―加藤天淵・吉田学軒の宮内省御用掛としての任務に就きて―」
森岡ゆかり
「近代台日女性漢詩人の「詠史」―陳黄金川『金川詩草』(1930年刊)・三浦英蘭『英蘭初稿』(1934年刊)比較小考」―」
森田貴之
「『唐鏡』考 ―法琳『弁正論』の受容―」
菊地真
「『日蔵夢記』の世界観」
陳可冉
「芭蕉俳諧と日本漢詩の一接点―「馬に寝て」句を読み直す―」
新間一美
「『奥の細道』と白居易の「三月尽」」
相田満
「日本の古典絵画を観相する」
増子和男
「獺怪異譚を語り継ぐ者―泉鏡花を中心として―」
三田明弘
「『法苑珠林』『太平広記』における神異僧伝とその日本への影響」
堀誠
「日中の俗信と文学―比較文学の一視点―」
陳明姿
「『今昔物語集』の鬼と中国文学―本朝部を中心にして―」


 当日、日本からの研究者だけでなく、台湾大学の教員、学生はもちろん、台北以外の地区で活躍中の日本文学研究者や中国大陸からの発表者も来場し、なかなかの盛会となった。会場では個々の発表をめぐって、活発な議論が交わされたばかりでなく、開催校のご厚意で台湾大学のキャンパス内において懇親会が開かれ、様々な場を利用し、参加者同士による幅広い学術交流と意見交換が実現できた。
 学会開催日の前後の時間を利用して、今回の特別研究発表会の委員長である相田満先生のご引率のもと、9月2日には台北故宮博物院、9月4日には苗南県南荘老街・北荘平浦地区、9月5日には歴史博物館・台湾文学館、9月6日には台北故宮博物館文献館において、それぞれ文化文物の調査、或いは歴史地区の実地調査を行なった。

●学会発表について


 こちらの研究発表「芭蕉俳諧と日本漢詩の一接点―『馬に寝て』句を読み直す―」は9月3日の午後、時間通りに行なわれた。以下、その概要と発表後の反応を纏めておく。


■研究発表の概要


 貞享元年の『野ざらし紀行』の途中、小夜中山を通過する時、芭蕉は「馬に寝て残夢月遠し茶の煙」という有名な句を作った。『芭蕉全図譜』には「馬に寝て」の句文懐紙が数点収録されており、どうやら芭蕉にとっても、しばしば揮毫する自慢の一句であったようだ。詞書を一読すれば分かるように、「馬に寝て」句は明らかに杜牧「早行」の詩境を踏まえているが、芭蕉は恐らく石川丈山撰『詩仙』(延宝九年刊か)によって杜牧の「早行」を知り、林羅山の紀行詩から刺激を受け、ほかならぬ小夜中山において杜詩を想起しただろうことは、すでに先学の論考で言及されている。
 ところが、一句の解釈は専ら杜詩との関連を中心に論じられてきたので、「早行」に見えない「茶の煙」の典拠も、杜牧「酔後題僧院」(『三体詩』所収)の「茶烟」に求められてきた。しかし、芭蕉の句は「残夢」という言葉を境に、「馬に寝て残夢」を見続ける前半と、目が覚めて「月遠し茶の煙」の景色を見渡す後半に分かれている。前半は言うまでもなく「早行」を下敷に書かれているが、だからといって、後半の方も必ず杜牧によらなければならないとは限らない。
 本発表では従来の出典研究の方法にとらわれず、より広い視点から「月遠し茶の煙」全体を俎上に載せ、特に「茶煙」と「月」の取り合せに着目し、丈山の「山中早行」(『覆醤集』と『新編覆醤集』の両方に収録)や、芭蕉の俳諧創作に少なからず影響を与えたと思われる林鵞峰編『本朝一人一首』(寛文五年跋刊)所収の諸作との比較を通して、芭蕉のその句は、実は複数の日本漢詩と密接な関係をもつ可能性が高い、という見解を論じる。その上で小夜中山の伝説や芭蕉の自筆絵巻などを参照しつつ、表面からは見えにくい、しかし、句の余韻として姿をひそめていた「寺」の存在を明らかにし、「馬に寝て」句を読み直したい。


■発表の席上および懇親会などでいただいたご意見


1)丹羽博之先生より
『野ざらし紀行』の主人公の目覚めについて、複数の可能性が考えられるのではないかというご質問に対し、様々な可能性がある中、小夜中山の伝説と芭蕉における日本漢詩の受容の実例を考え合わせると、本発表で提示された山寺の晨鐘におこされたという私見の可能性は、ただの理屈より有力ではないかとお答えした。なお、懇親会の席では小夜中山のことについて『歌ことば歌枕大辞典』を使って調べた方が便利であるというご教示をいただいた。

2)新間一美先生より
杜牧の「酔後題僧院」と、芭蕉の「秋十とせ却って江戸をさす古郷」との間で、 表現上の連想による関わりがあったのではないだろうか。

3)相田満先生より
小夜中山にまつわる伝説の源は御伽草子にあったかも知れない。

4)岡部明日香先生より
今回の発表の論旨から考えると、「寺」と関係する芭蕉の「月遠い」という表現は和歌の伝統を踏まえた「月」の仏教的な意味合いも考慮すべきである。

●本事業の実施によって得られた成果


 今回の学会発表および台湾での調査活動は、私にとって収穫の多い事業実施となった。発表後の反応といただいたご意見などは上記のとおりである。それらを踏まえて発表の内容を論文化したいと考える(ある程度纏まったものはすでに予稿として提出した)。
 また、短い期間ではあるが、台湾の風土に触れ、台北故宮博物院をはじめとする諸機関での調査も非常に勉強になった。台湾大学への訪問を通して、台湾における日本文学研究の現状を私なりに把握することもできた。研究発表会の会場やその前後の場で様々な研究分野の先生方と交流できたのもとてもよかったと思う。
 以前出席した学会は主に近世文学を中心とするものばかりであったが、今回の発表では林鵞峰編『本朝一人一首』にも少し言及しているので、平安時代の漢文学がご専門の研究者の発表を聞くと、非常に興味が湧くし、貴重な勉強の機会となった。
 今回の発表は論文に仕上げた後、学会誌への投稿を経て、最終的には博論の一節として活用したいと考えている。