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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

陳 可冉(日本文学研究専攻)

1.事業実施の目的

俳文学会第62回全国大会における研究発表

2.実施場所

四国大学交流プラザ

3.実施期日

平成22年10月15日(金)から10月17日(日)

4.成果報告

●事業の概要


 俳文学会の全国大会は、連歌俳諧の研究者が集まる年一度の盛会である。第62回を迎えた今年度の大会は、10月16日と17日の二日間徳島県徳島市にある四国大学の交流プラザで開催された。今回のリサーチ・トレーニング事業の実施は、俳文学会の全国大会における研究成果の口頭発表である。
 大会のプログラムは次の通りである。


第1日
10月16日(土曜日)
13:00~13:50 委員会
14:00~16:45 研究発表

1.和漢聯句にみえる友情の連想 日本学術振興会  楊 昆鵬
2.秋声会そのゆるやかな俳縁―明治中期の秋声会系雑誌を横断して―
総合研究大学院大学(研究生)  遠藤 智子
3.島津四十起と作品集『荒彫』について 瓜生 鐵ニ
4.現代俳句の行方―尾崎足論― 小亀 崇利
5.川喜多爾然斎千町の和歌と俳諧―伊勢商人の文芸活動―
愛知淑徳大学(非)  早川 由美
16:45~17:15 総会
18:00~ 懇親会(於 ホテルグランドパレス)

第2日
10月17日(日曜日)
10:00~12 :15 研究発表

6.岡西惟中と林家の学問 総合研究大学院大学(院)  陳 可冉
7.芭蕉発句「西行の庵もあらん花の庭」の成立年次を考える
箕面学園高校  三ツ石 友昭
8.『おくのほそ道』「象潟」章段における西施像と蘇軾詩
神戸大学(院)  黄 佳慧
9.西吟と涓泉―元禄十四年西吟批点俳諧歌仙巻―
京都府立大学  母利 司朗
昼食(編集委員会)
13:15~14:45 研究発表

10.市隠其角 早稲田大学(院)  李 國寧
11.秋風別墅考 中部大学  岡本 聡
12.『俳諧十論弁秘抄』について―美濃派研究の可能性、例えば環境問題―
豊橋技術科学大学  中森 康之

15:00~16:00 公開講演会

最短詩型表現史の構想―俳句空間を作るもの―
早稲田大学名誉教授  堀切 実


 こちらの発表は二日目の午前中であるが、その前後の研究発表および公開講演会も拝聴したので、今の学術研究の動向を私なりに把握し、研究の視野を広めることができた。そのほか、休憩時間や懇親会などの機会を利用し、大会に出席した先生方や友人らと学術交流も行なった。

●学会発表について


■研究発表の概要


 上野洋三氏によって論じられたように、「元禄文壇の典型的人物」である岡西惟中は詩歌連俳を自由に作ることができた。烏丸三代よりの歌学、梅翁よりの俳諧、青蓮院宮尊証親王よりの書道、それらを一身に具えることを彼は時折誇らしげにほのめかしている。惟中は童蒙の師でもあり、儒学者でもあった。
南源大和尚への手札(『白水郎子紀行』所収)の中で、惟中は自分のことを「假儒」と称している。彼のいうところによれば、若い時江戸で菊池耕斎と檜川半融軒(経歴未詳)に従って儒を学んだことがあるという。その遊学の詳細については、定かなことは分らないが、耕斎は羅山門の儒者であり、惟中は羅山の孫弟子にも数えられることになる。
 直門の師承ではないが、惟中は著述の随所において林家の学を受け継ぐ姿勢を示している。彼の著わした『徒然草直解』・『真字徒然草』には、羅山の『野槌』は勿論のこと、『羅山林先生文集』・『本朝神社考』・『日本国事跡考』・『本朝遯史』・『史館茗話』など、林家三代の著作が揃って引用されている。これほど林家の学問を信奉した例は、近世文学全般への林家の影響の大きさをさし引いても、やはり突出していると言えよう。
 一方、惟中作の随筆『続無名抄』・『一時随筆』には和漢にわたる林家の学問、或いは林家経由の中国詩学の知識をそのまま受け売りする箇所も多く、出典を明記せずに、全くの剽窃と思われる場合すらある。しかし、諸芸に通暁する彼は、林家の学識をいくぶん敷衍して、それに自分なりの知見を加え、最終的には歌論なり、俳論なり、和漢比較文学論なり、興味深い一家の言に仕上げた条も少なくない。本発表では林家の学問との関係を視座に、「記誦詞章之学」に由来する惟中の文業の一面を明らかにしたい。


■発表の席上などでいただいたご意見


1)母利司朗先生(京都府立大学)より
学問と知識をある程度区別した上で論証を展開すると説得力が増すであろう。

2)深沢眞二先生(和光大学)より
惟中のような儒者の俳諧進出は、漢和千句からも徴証が得られる。芭蕉遺語に「貞徳がよだれをねぶる」という表現が使われている。

3)尾崎千佳先生(山口大学)より
惟中の発言はかなり計算されていたらしい。師匠の西山宗因は俳諧のことに関してそれほど気にしてはいなかったようである。

●本事業の実施によって得られた成果


 研究発表の概要および発表後の収穫は上記のとおりであるが、本事業の実施によって、改めて気付いたのは、俳諧研究における林家の重要性である。
 惟中の年譜や「岡西惟中論」を著した上野洋三氏は、『白水郎子紀行』の記述に大淀三千風と芭蕉の面影も感じられ、惟中のことを「元禄文壇の典型的人物」として論じられているが、「典型的人物」であるだけに、惟中における林家の学問の摂取も、孤立した現象とは思えない。同時代の俳諧師であった芭蕉の例で言えば、羅山が著した啓蒙的な仮名抄『巵言抄』・『童観抄』は『おくのほそ道』にも利用され、俳文創作の参考として、芭蕉の机上には羅山の『野槌』が置かれた可能性も大きい。そして、芭蕉は林鵞峰編『本朝一人一首』も読んでいたことは『嵯峨日記』の記述に徴して明らかである。漢文学だけでなく、和学史上の林家の役割も注目を浴びつつある中で、これからは俳文学へ与えた林家の影響についてさらに広範囲の検討が必要なのではないかと考える。
 ところが、俳諧関係の資料と比べて、近世前期漢文学の基礎的文献の整備はかなり遅れているように思われる。初期林家三代の中で、まとまった詩文集を残したのは、羅山、鵞峰、読耕斎、梅洞、鳳岡の五人である。その内、活字あるいは影印で公刊されたのは『羅山先生詩文集』(平安考古会,1918)と、詩集を含めない『鵞峰林学士文集』(『近世儒家文集集成』第十二巻,ぺりかん社,1997)の二つのみである。門人の中では、『人見竹洞詩文集』(汲古書院,1991)が刊行されたので、比較的容易に入手できるが、その他の著作物は、基本的に諸機関に所蔵される江戸時代の板本と写本を利用するしかない。本研究にとって、それらの資料はすべて第一級の文献であるため、原本の精査と著作物のリストアップは喫緊の課題である。これまですでにいくつかの作品について調査を終えていたが、今後は残りの部分を行いたい。
 いずれにしても、先生方のご教示を踏まえて、俳文学会全国大会における口頭発表の内容を文章にまとめ、学位請求論文の一部として活かしたいと考えている。