HOME > 平成22年度活動状況 > リサーチ・トレーニング事業 > 研究成果レポート

文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

堀田 あゆみ(地域文化学専攻)
家畜情報ゲルの中写真

1.事業実施の目的

春営地の遊牧民世帯にあるモノの悉皆調査

2.実施場所

モンゴル国アルハンガイ県ホトント郡サントバクの遊牧民宅

3.実施期日

平成22年6月1日(火)から6月13日(日)

4.成果報告

●事業の概要


【調査の目的】

 本研究の目的は、現代モンゴルの遊牧世界におけるゴミとは何かを明らかにすることである。そのためには、潜在的なゴミとも言える彼らの生活世界にある全てのモノを調査する必要がある。現代遊牧民がどのようなモノを暮らしに取り込んでいるのかを明らかにし、それらのモノについての語りやモノをめぐる実践の観察を通して、彼らがモノをどのように捉えているのかを分析することが調査の目的である。


【調査の内容】

 これまで、2009年7月から9月にかけて、および2010年1月から2月にかけて、アルハンガイ県ホトント郡サントバクの遊牧民宅において住み込み調査を実施してきた。夏・秋・冬営地の生活の中にあるモノをすべて記録しそれぞれのモノにまつわる話を住人から聞き取る作業を行った。
 今回は春営地の生活を観察し、住居内外にあるモノの悉皆調査を実施した。基本的な聞き取り調査に加え、人々の間を移動しているモノの情報性に特に注目して観察・記録を行なった。
 調査の方法としては、これまでと同様に対象世帯に住み込んで寝食を共にしながら、往来する人々とのモノのやり取りや会話、モノの語りなど収集した。


① 夏季・秋季・冬季に記録収集したモノについての補足調査
これまでの調査では、生活世界にあったモノのほぼ全てをデジタル写真、ポラロイド写真、スケッチいずれかの方法で記録した。聞き取もらしたモノについてはそれらを示して話してもらう予定であったが、四季を通して住居(ゲル)の中に存在しているモノが多く、現物を手に話を聞くことがほとんどであった。

② 春営地におけるモノの記録と聞き取り
春営地は冬営地から0.5〜1kmの所に設けられていた。今年の3月、4月にゾドと呼ばれる寒害に見舞われ大量の家畜が頓死した。30年来の大寒害となり、近辺の家畜の3分の2が失われた。そのため、春営地には4つの世帯が共営して少なくなった家畜を統合し、ローテーションを組んで放牧を行っていた。初夏である6月においても積雪があり、天候が不順であった。本来ならば産まれた子家畜の世話や搾乳に繁雑な時季であるはずが、子家畜も母家畜も失ったために人々の生活リズムが一変し、彼ら自身が驚くほど時間を持て余す年となった。
こうした春営地の様子を観察するとともに、どのようなモノが人々の間を移動し廃棄されているのかを記録した。また、だれが、いつ、何のために、どういった経路で、誰から、いくらで入手したのかという聞き取りやモノの語りを通して、それらのモノがもつ情報を探った。

③ 映像記録
調査世帯を中心に、モノの使用状況や収納場所、および訪ねてくる人々との会話やモノのやり取り、人間関係などを観察した。また、季節ごとの生活の様子や、モノが扱われる様子をビデオカメラで撮影した。

●本事業の実施によって得られた成果


 本調査を通して、モノを介して人間模様を探っていくという博士論文の方向性が明確になった。調査の資料を分析し、論文ゼミで発表するとともに、総研大の文化・学術フォーラムにおいても発表を行う予定である。調査の成果は以下にまとめた。


1.悉皆調査の成果


 春夏秋冬の記録調査によって、調査者が目で確認できた限りにおいて調査世帯にはおよそ1,221点のモノがあることがわかった。日常的に使用される生活用具の他に、1年間に一度も使われず鍵の付いた長持の奥底にしまい込まれたままのモノも多く見受けられた。また、調査世帯を含む5世帯が、居住用ゲルとは別に木造の固定収納小屋を夏営地と冬営地の中間地点に設置しており、季節移動で模様替えする際に使わなくなったモノや、予備の家財道具、建材、亡くなった肉親の遺品などを保管していた。
 もう一つ特徴的な点は、モノの所在と所有者が必ずしも一致しないということである。貸し借りによってモノは頻繁に世帯の間を行き巡っている。人々の貸し借りの対象は多様で、借り手は何でも要求する事が許される(例:現金、雑巾、ベルト、望遠鏡、髭剃り・・・)。貸し手もその要求に応えるのが望ましいと考えられており、借り手の必要性を凌駕するほどの正当な理由がない限り、貸し与えなければならない。借り手は自分のモノであるかのように思いのままに利用できるが、それを廃棄したり第三者に譲渡したりする事は許されておらず、借りモノを紛失、損壊した場合には同等のモノで償わなければならないとされている。
 しかしながら、現実には紛失することがあっても弁済される事は稀であるため、貸し手である所有者は慎重に相手を選ぶ。相手の主張する必要性に納得し、信頼に足る相手だと判断した場合にのみ貸し出される。つまり、モノの貸し借りを通して人々は互いの関係を構築したり、確認したりしているのである。


2.モノ語りの分析


2-1.記憶の共有
 入手経緯などの聞き取りを進めていく内に、記憶の外部装置としての役割をモノが果たしていることがわかった。彼らはモノを説明しようとするとき、まず自分の家族や身近な人に起きた出来事、あるいは毛刈りや移動といった家畜に関する作業に言及する。また、購入価格や誰からもらったかという事を明確に覚えている。時にもらった相手を勘違いしていたりすることがあっても、逐一家族の誰かから訂正が入り、情報が修正され家族の記憶として共有される。
 遊牧民は結婚すると親から独立して夫婦で新しくゲルを建てる。この時に全てのモノが新調される。また、結婚、出産、子どもの成長を祝う儀式の際には親族からモノが贈られる。そのため、モノの語りは家族の歩んできた歴史そのものである。


2-2.モノ語りの内容
 彼らがモノについて語る内容は主に二種類ある。モノの性能についてと誰の手を経て今どこにあるかという事である。彼らがモノを評価する基準は、丈夫さ、性能、使い心地などに置かれている。そのため、何らかの理由で使用できなくなったモノは即刻廃棄の対象とされる。唯一の例外は、それをくれた人に特別な思い入れがある場合であり、その時は長持の中に仕舞われる。
 もう一つの語りの中心として、かれらは自分の所有するモノのみならず、他人の持ちモノに関しても誰が、いつ、どこで、いくらで手に入れたものか、あるいは誰が誰に何をあげたのかということまで把握している。持ち主が二転三転してもそれらを全てモノの情報の一部として記憶している。
 こうしたことから、彼らが極めてモノの動きに敏感であることがわかってきた。執心の対象はモノを所有することよりもむしろ、モノに付随する情報を収集することにあるといえる。


3.モノの情報性についての考察


3-1.情報の収集(情報源へのアクセス)
 遊牧民は家畜の放牧の合間にほぼ毎日近隣の世帯を訪問しあっている。そして天候から草生え、水量、家畜の行方、政治、他家の噂話など様々な情報を交換し合うのであるが、この時常に相手のゲルの中にあるモノをさり気なく観察している。見慣れないモノを発見すれば、手にとって、まずは自分の五感で情報を収集する。次に、どこで、いくらで、誰から手に入れたのかという情報を相手から聞き出す。このようにして各人が、どこの家にはどういったモノがあるという情報を日々収集・更新している。
さらに、別の世帯を訪ねる際には、直前に訪問して仕入れてきたばかりの他家の情報を、手土産にすることも盛んに行う。どんな些細な情報でも鮮度のある内に提供することで、相手に貸しを作ったことになり、相手から自分の求める情報を聞き出しやすくなる。
 これほど情報が重宝される背景には遊牧という生活形態が深く関っていると考えられる。先に、遊牧民世帯にも多くのモノが取り込まれていることを紹介したが、それでも彼らが必要とするモノ全てを所有できるわけではない。家畜から採れるもの以外自家生産しない遊牧民にとって、必要に応じて他人のモノを利用する事は生存のための正当な行為であり、むしろ、機会を見つけては積極的に他人のモノ(資源)にアクセスし利用しようと努める。そのためには、どこにどのような資源があるのかを把握しておく事が重要となる。つまり、誰の所に行けば何が手に入るかという最新情報を入手することにより、最小限の労力で利用権を獲得する事ができるのである。


3-2.情報の共有化
 各人は入手した情報の鮮度が落ちる前に他の人に提供しようとするため、結果的に短期間で人々がその情報を共有するに至る。共営世帯間や親族間における情報の共有化にはより重要な働きがある。それは、情報の提供に伴う利用権の分配とフリー・アクセスへの牽制である。
 彼らは新しくモノを手に入れると、すぐさま長持や箪笥に仕舞い込むが、親族や共営世帯の一員が訪ねて来ると、その度に取り出し披露する。調査者は、この“お披露目行動”をモノの分配の代替行動であると考えている。こんなモノがわが家にあるという情報を進んで開示することで、将来の利用権を分配した事になり、周囲の妬みやケチという誹りを免れていると思われる。
 牽制に関しては、単純に見せた相手に対して、「これは家の所有物だから手を出すな」という意味だけに留まらず、仮に盗難や紛失があって手元を離れた場合には、自分の所有物だということの証人に仕立てるという思惑が絡んでいるようである。モノには多くの場合所有者を証明する印がついていないため、一度人手に渡ると所有権の証明が難しくなるからである。


3-3.情報の統制・操作
 情報の開示や共有化は、人間関係を円滑に維持していく上で欠かせない行動ではあるが、一度開示された情報はあっという間に広がって、モノの分配や利用を求める人々を招き寄せるという結果を生む。相手が必要に迫られてモノを要求してくる場合、それを拒絶する事は相手との関係を拗らせるばかりでなく、吹聴されれば世間の評判も落とすことになりかねず、所有者が気を揉む微妙な問題である。
 そのため、彼らはある程度情報を統制しようと試みる。遊牧民が他家の情報を収集するのは主にゲルの中であるため、自宅での情報流出を防ごうとする。最も広く使われている手段は、隠蔽である。人に与えたり、貸したりしたくないモノは見えない所に隠してしまうのである。人目に触れさえしなければ、例え乞われても、「無い」と答えることができるからである。
 この隠蔽工作は、遠方からの来客に対しては有効であるが、往来の激しい親族や共営世帯には通用しない。そこで、彼らは“見せかけ情報”の開示による情報操作を行う。利用されたくないモノの一部を敢えて人目に触れる位置に出しておき、それにアクセスさせて無くなっていく様を見せることで、相手の要求を満たすとともに隠蔽に成功した残りの資源を家族だけで利用することができるのである。このように、ゲルは情報戦の戦場であると言える。


3-4.情報の隠滅
 隠滅行動についてはまだ十分なデータが集まっていないため、ここで述べることはあくまで推測である。
 お披露目や情報収集を通して一度でも人目に触れたモノであれば、誰もがその所有者と所有に至った経緯を情報として共有していることになる。モノが譲渡や貸与により別の人の元へ移った場合にも、これまでの情報に更なる情報が上書きされるだけで、情報が初期化されることはない。そもそも、モノが動くと言う事自体が人々の関心を引き付ける。何が誰から誰に渡ったのかということが、他人の置かれている状況や人間関係を推測する有力な手掛かりとなるからである。 こうした環境においてモノを廃棄するということは、その行為自体が情報を発信することになり、廃棄されたモノが人目につけば蓄積されてきた情報を汲み取られる可能性がある。
 人々の好奇心や情報収集への執心から情報を守るためには、何を廃棄したのかがわからぬよう焼却してしまうことが必要となる。モノを焼却処分する理由は、これまで語られてきたような火の神への信仰やモノの転生を期待してという理由のほかに、情報の隠滅という側面があるのではないだろうかと考える。


4.処分(所有権)に関する実践


 モノの譲渡や廃棄といった処分権は所有者のみが持つとされている。このルールが破られると諍いとなり、人間関係に亀裂が生じることになる。
 人にモノを貸すという行為も所有者の裁量に委ねられている。本来は、借り手が利用した後自ら返しに行くものとされているが、実際は利用後も手元において置くことが多い。貸し手に使用の要が生じた場合には所有者が自ら取り返しに行く。 遊牧民にとってモノを所有すると言うことは、占有を意味しない。自分が使わない時は手元に無くても良いのである。モノを扱う際、人に貸すということ、すなわちモノの移動が大前提とされている。常に草原を移動する動産を牧してきた彼らは、モノを人の間を動き回る家畜のようなものとして捉えている可能性がある。

●本事業について


 対象地域の四季を通した調査を実施するにあたり、RT事業は大変有益であった。しかしながら、事業の開始が6月からと定められていたため、当初5月末に予定していた出発を延期せざるを得なかったことは残念である。調査対象であるモンゴルの遊牧民は季節移動を行うため、彼らの移動時期に合わせた調査期間の設定が必要であった。春営地を観察するためには5月中の訪問が理想であったが(先方との連絡手段はなく、現地に着くまでどこに宿営しているかわからない)、5月出発では事業の申請ができず、結果的に出発時期を延期する事で対処した。幸運にも、今回は目的としていた春営地を無事に訪れる事ができたが、今後は実施時期について柔軟な対応を検討していただければ幸いである。