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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

宮脇 千絵(地域文化学専攻)

1.事業実施の目的

博士論文執筆のための補足調査および資料収集

2.実施場所

アメリカ ウィスコンシン州マディソン、ミネソタ州セント・ポール

3.実施期日

平成22年6月13日(日)から8月15日(日)

4.成果報告

●事業の概要


[調査の目的]

 本事業は、アメリカにおける移民モンが、観念上の「祖国」中国雲南省との関係をいかに築いているのかを、民族衣装の流通から明らかにすることを目的としておこなった。現在アメリカには、約20万人のモンの人々がウィスコンシン州、ミネソタ州、カリフォルニア州などを中心に居住している。彼らは祖国ラオスから、ベトナム戦争後の1976年以降、難民としてアメリカに移住をした人々である。慣れないアメリカでの生活、および祖国ラオスを知らない二世・三世の増加に伴い、彼らにとってラオスと同様に衣装製作を行なうことは現実的ではない。そのため彼らは中国雲南省で製作されているミャオ族の衣装を購入しているのである。
 申請者はこれまで中国雲南省において既製の民族衣装がいかに製作されているのかを明らかにしてきた。そして少なくない数の生産者が、アメリカのモンとなんらかの形で繋がりを持ち、彼らに衣装を販売しているのである。しかしそれらの衣装がどのようにアメリカに渡っているのか、アメリカではどのように販売、消費されているのかについては疑問が残っていた。また、アメリカで生まれ育った二世・三世のモンにとって観念上の「祖国」である中国の衣装を着用することはいかなる意味を持つのだろうか。これらを考察することで、これまで実質的な関わりあいのなかった両者がいかに関係を結んでいるかを明らかにできると考える。


[調査の内容]

 今回の調査は、前半にウィスコンシン州マディソン、後半にミネソタ州セント・ポールで実施した。ウィスコンシン州マディソンにあるウィスコンシン大学マディソン校東南アジア研究センターでは、毎年モン語の夏期講習(Southeast Asian Studies Summer Institute)を開催しており、アメリカ各地の大学から、モンの学生がモン語を学習しにくる。そのため、若い世代のモンにインタビューを行うのに最適だと考えた。またミネソタ州セント・ポールは、カリフォルニア州フレスノに次ぐモン人口の多い町であり、民族衣装を販売する店舗や、モンに関する団体が集中する場所であるため、今回の調査地に選んだ。
 ウィスコンシン大学マディソン校にモン語を学びにきたモンの学生は、いずれも1970年代後半にラオスから移住してきた両親を持つ、移民二世である。アメリカで生まれ、アメリカの教育を受けている彼女たちにとって、モンとしてのアイデンティティがどのようなものなのか、モンの民族衣装がいかなる意味を持つのかについて、インタビューをおこなったり、共に行動し観察をおこなったりした。
 ミネソタ州セント・ポールでは民族衣装を販売する店舗の観察と、オーナーへの聞き取りをおこなった。まず毎年7月4日に開催されるモンのスポーツ・フェスティバル(The Annual International Sports Tournament。通称Hmong Freedom Celebration)では、露店の観察をおこない、アメリカでの民族衣装販売の様子を知ることができた。それを踏まえ、セント・ポールにある日常的なモンのマーケットでは、民族衣装を販売する人に話を聞いた。
 また、ウィスコンシン大学図書館、セント・ポールのモン・カルチュラル・センター・ライブラリーおよびモン・アーカイブスにおいて資料のコピーを、モンABC(書店)でも資料の収集を行った。

●本事業の実施によって得られた成果


 本調査は、報告者がこれまでおこなってきた中国雲南省での調査を補完し、また今後にむけて発展させていくための土台づくりとして、非常に有益であった。その成果は、博士論文の一部として執筆することを前提に、各研究会、学会、投稿論文等で発表していく予定である。さらにそれを博士論文後の研究につなげるための足がかりとしていきたい。


[移民二世にとっての民族衣装とモン文化]

 ウィスコンシン大学でモン語を学ぶモンの学生はいずれも、もともとある程度のモン語の読み書きができる。それは彼女たちの両親がラオスからアメリカに渡ってきた世代であり、家庭ではモン語を使用しているからである。しかしそれでもモン語を学ぶのは、モンとしてモンの歴史と文化を身につけたいという強い思いがあることを知ることができた。彼女たちと一緒に、ウィスコンシン州シボイガンにあるベトナム戦争で犠牲になったモンの人びとのための追悼碑、マディソンにあるモンのための老人ホーム「カーシア・ハウス」、ウェストベンドにあるウィスコンシン美術館(The Museum of Wisconsin Art)でのモンの写真家による写真展などを訪れることは、アメリカのモンの軌跡、現状を知る上でも、またそれを彼女たちがどのように受け止めているのかをうかがい知るよい機会となった。
 そのようなモンの大学生にとって、民族衣装とはどのような位置づけにあるのだろうか。インタビューの結果からは、みなモンの民族衣装を所有していることが明らかになった。新年のパーティなどで着用するという。彼女たちの民族衣装は、店で購入した既製品も多いが、なかには母親の手作りを所有している者、タイに居住する叔母が毎年つくって送ってくれるという者もいた。報告者の調査地である雲南省との直接のつながりはみられなかったが、アメリカのモンが、民族衣装もモンの文化の一部として受け継いでいることは確認できた。


[民族衣装の販売者]

 ミネソタ州セント・ポールは、モンの集住地のため、モンに関連する団体や店舗が数多く存在する。7月4日には、毎年恒例のスポーツ・フェスティバルが開催され多くのモンが集まった。そこに立ち並ぶ露店は、雲南省での定期市と見まがう雰囲気であり、民族衣装を販売する店舗も少なくなく、またそれら民族衣装の一部は、雲南省で製作されたと思われるものであった。しかし会場全体の混雑のため、聞き取りを行なうことは困難であり、販売されている衣装の種類などの観察をおこなうのみに留めた。そこで後改めて、セント・ポールにあるモンのマーケットを訪ねた。セント・ポールのモン・マーケットには、小さな店舗が数多く集まっており、タイや中国から輸入された雑貨、CDやDVD、漢方薬、食品などが販売されている。その一角が民族衣装を販売する店舗であった。
 民族衣装を販売する店舗での聞き取りでは、雲南省に買い付けに行くオーナーや、ラオスから仕入れているオーナーなどから話を聞くことができた。また一部にはタイから仕入れた伝統的な麻の布やスカートを販売している店もあり、ミャオ族にとって葬送儀礼などで重要な意味を持つ麻の衣装がアメリカでも受け継がれていることを確認できた。モン・マーケットでの観察や聞き取りからは、民族衣装の製作地や地域差が表示されておらず、購入者であるアメリカのモンはそれらを区別なく購入していることが分かった。報告者は、雲南省とアメリカとの民族衣装を介した関係に着目しているが、今後はラオスやタイを含めた研究の可能性もあることが分かった。


[モンに関連する団体との交流]

 セント・ポールでは、モン・カルチュラル・センター・ライブラリーおよびモン・アーカイブスで資料のコピーをさせてもらう機会を得、また彼らの活動を知ることができた。これらの団体では、モンに関する学術論文や書籍などを収集しているが、特にモン・アーカイブスでは民族衣装の収集にも力を入れており、貴重な死に装束(麻製のぞうり)をみせていただくことができた。ここで得た資料は、博士論文に生かすことができる。またここで築くことができた人脈は、報告者の今後の研究活動の助けとなるだろう。

●本事業について


 今回、本事業に参加させていただき、大変感謝しています。本事業は、総研大生の多様な研究活動に柔軟に対応し、博士論文の完成を支えてくれるものです。特に海外で調査をおこなうことが多い地域文化学専攻と比較文化学専攻の学生にとっては、渡航費用の獲得や、調査日程を半年あるいは一年前に確定することが難しい状況での計画策定は常に頭を悩ませる問題です。しかし本事業は、個人の事情に合わせて、可能な限り臨機応変に対応してくれるので、大変ありがたく思います。ただし、現地で使用する経費について、募集要項に会計報告について詳しい説明が書かれていればより処理がしやすくなると思います。特に、正式な領収書がもらえない場合のために、先方に手書きしてもらえるような総研大のサインが入ったフォーマットが準備されていると、領収書の受け取りがスムーズになるのではないでしょうか。また国によってはクレジットカードの使用や、ネット上での決済が多いため、紙媒体以外の領収書についても再考していただけたらと思います。