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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

大野 順子(日本文学研究専攻)

1.事業実施の目的

下郷共済会所蔵『明月記』の原本調査

2.実施場所

下郷共済会 鍾秀館

3.実施期日

平成22年8月22日(日)から8月23日(月)

4.成果報告

●事業の概要

 今回は、「中世前期における和歌表現の研究 ――新古今的表現への道筋」というテーマで執筆を続けている博士論文に用いるため、下郷共済会所蔵『明月記』の原本調査を行った。
 『明月記』は夙に知られているように歌人・藤原定家の日記で、治承四年から嘉禎元年までの自筆の原本が現在も残されている。これらの大部分は京都の冷泉家時雨亭文庫に国宝としておさめられているが、定家自筆に対する価値の高さ故に早くから流出してしまったものも少なくない。重要文化財として指定されている天理図書館蔵の治承四年・五年記や安貞元年秋記あるいは京都国立博物館蔵の建久十年春記、東京国立博物館蔵の天福元年六月記などがそれにあたる。
 今回、調査した下郷共済会所蔵の建仁三年十二月記も、そういった流出文書の一つである。実は、建仁三年十二月記は国宝に指定された『明月記』のなかにも伝存している。流出時期が早かったためか明和四年に写しが作られてそれが時雨亭文庫におさまり、現在は下郷共済会所蔵の原本ではなく後代の写しのほうが国宝の指定を受けるという、一種の逆転現象が起きているのである。定家自筆の『明月記』と後代の写本間には、場所によっては内容に相違が見られることが、すでに知られている。建仁三年十二月記についても同様のことが見られる可能性があると考え、今回の原本調査を行った。その調査結果は次項に譲る。
 また、調査日は八月二十三日の午前ということだったので、前日のうちに長浜入りしたのであるが、そのおかげで二十二日午後に行われた五味文彦氏・尾上陽介氏の講演をうかがう機会に恵まれた。五味氏は「藤原定家と後鳥羽上皇」と題して、『明月記』を主たる史料として後鳥羽院の人物史を論じられた。このとき、五味氏は後鳥羽院の人生を十年単位で区分されたのだが、この一見すると単純とも思える区分の中に、歌へ強く傾倒した時期や、政治への関心が強まる時期、承久の乱後などそれぞれの特徴ががぴたりとはまってくるのである。比較として出された西行も同様で、人物をどう捉えるのかを考えるとき十年という区分で見渡すのは非常に興味深い方法であった。尾上氏は『下郷共済会所蔵史料に見る中世の日記の姿』と題され、下郷共済会所蔵の広橋文書を中心に扱い、古代では官人らが公事を滞りなく遂行するために作成されてきた日記が、やがて集積され有職故実の知識を伝える「家の記録」として成立していく過程を述べられた。
 私の研究の中心は和歌であるため、どうしてもその解釈に目が行きがちであるのだが、その作者らは宮廷に属する貴族であり、歴史的な影響からは逃れ得ない存在である。今回の調査・講演を通じて、比重としては、いささか少なくなりがちな史料への目配りの充実は必須であると再確認した。

●本事業の実施によって得られた成果


 定家自筆の原本を確認すると、定家自身による書き間違いなども含め、本文中にいくつも後代の写本とは異なる部分が見られた。もっとも大きな違いは、十二月十日条の宇治御幸における新御所のしつらいに関する部分の脱落であった。下郷共済会所蔵の『明月記』は一紙がおおよそ四十六㎝前後なのであるが、他の伝本に残る記述から推測して少なくとも三紙以上の分量が下郷共済会所蔵『明月記』には存在しないのである。上記の尾上氏の講演を参考に推測するならば、宇治御幸について作成された別記が、のちに書写された『明月記』本文へ混入していった可能性も考えられる。しかし、これについては現段階ではあくまで推測の域を出ない。しかし、脱落部分は当時のしつらいを知る上で貴重な資料であるので、自筆本における欠落がどのような理由によるものか、内容そのものの分析と共に今後も考察を続けていく必要があると考えている。これ以外は、本文の大きな相違はなかったが、建仁三年十二月記には幾つかの興味深い記事が存在する。
 例えば十二月十五日・廿二日条の競馬に関する記述である。ここには各番について単純な勝ち負けだけでなくそこに至る状況までもが書かれているのであるが、このような内容が日記に残されている例は非常に珍しい。ところで、競馬は和歌においては『為忠家後度百首』あたりからようやく題に取られるようになるほか、『別雷社歌合』花・一二番の俊成の判詞においては「これはかの競馬にことさら興をのりて勝負を執せざる体にこそ侍るめれ、左の歌老駑馬ながらとほるべきにや侍らん」などと歌合の判詞にも用いられるようになる。このように、それまで和歌の題材としてはほとんど取られることがなかった芸事が新たな要素として和歌の中に流れこみだした時代に、歌壇の中心人物である後鳥羽院に側近くに仕えた歌人・定家の日記のなかで芸事に関する記事が詳述されていることは注目に値する。ただ今執筆中の博士論文は、和歌の伝統の周辺に位置していた今様や短連歌という一種の芸事が王朝文化の粋とも言える和歌に及ぼした影響について論ずるものであるので、ほぼ同様の時期にやなり和歌の新たな題材として取り入れられた芸事の有り様を、史的な面から確認することができたのは今回の調査の成果であった。今回の調査で得た成果は、博士論文の一部として執筆を予定している。

●本事業について


 現地調査や遠方での学会発表を希望する学生にとって、本事業は非常に有益なものとなっています。在学生だけでなく、これから入学してくる後輩たちのためにも、今後も長く継続していただけることを希望します。