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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

陳 可冉(日本文学研究専攻)

1.事業実施の目的

黒川家墓所の踏査および今津洪嶽文庫、中村幸彦文庫所蔵資料の調査

2.実施場所

本隆寺、花園大学情報センター、関西大学図書館

3.実施期日

平成23年8月7日(日)から8月9日(日)

4.成果報告

●事業の概要

 申請者は林鵞峰編『本朝一人一首』(寛文五年跋刊)の初印本についての調査を通して、黒川道祐の弟である玄通が『本朝一人一首』の板行に深く関わっていることを突き止め、従来指摘されていない、彼らと禅僧の松堂宗植(東山建仁寺第三百十一世住持)との兄弟関係も知り、改めて黒川家と林家の関わりに気が付いた。
 今回の調査は黒川家の人間に関する情報を収集し、『本朝一人一首』が公刊に至るまでの背景を明らかにすることを目的とする。8月7日には、黒川家の墓石が現存する京都の本隆寺において、8日には、松堂宗植とその師の茂源紹柏の語録の写本が所蔵される花園大学情報センター(今津洪嶽文庫)でそれぞれ計画通りの調査を実施した。
 そのほか、関西大学図書館(中村幸彦文庫)には、「巻末に初刷りの黒川玄通跋を転写」したという『本朝一人一首』の後印本が所蔵されているが、当時、転写に使われた初印本の所在は不明である。8月9日には、関西大学図書館において中村氏旧蔵『本朝一人一首』の原本も調査することができた。

●本事業の実施によって得られた成果

 今回のRT事業の実施により、これまでになかった大きな成果が得られたといえる。本隆寺における黒川家墓所の調査は、主に墓碑の撮影を行ったが、十三基の墓石が比較的狭い区画に三列にまとめて安置されているため、石碑の側面など非常に撮りづらい所も沢山あるが、幸い墓碑の正面や裏面から判読できる文字情報が得られたので、すべてではないが、それぞれの姓名と没年を知ることができた。現在の黒川家の墓碑は、当初安置された場所から一箇所に集められたらしく、配列の位置には明確な規則があるとは思えない。ただし碑文や石の形状から判断すると、黒川寿閑夫婦(「復菴法眼壽閑」、「堀氏妙長墓」)、黒川道祐夫婦(「黒川道祐之墓」、「妙祐日精之墓」)、黒川玄通夫婦(「黒川玄通之墓」、「黒川玄通妻之墓」)の六基がほぼ特定できると思われる。そのほか、黒川道節や黒川知通など、なお詳考を要する人物の名も出てきたが、碑文には、林家の詩文集に散見する黒川家関係の記述と照合できるものもあれば、文献資料では知られていない新たな事実も含まれている。
 花園大学今津洪嶽文庫所蔵の資料の内、今回の調査を計画した段階で特に注目したいのは、写本の『松堂植禅師語録』(三冊・一部自筆)であったが、調査の結果、それのついでに閲覧の許可をお願いした『茂源紹柏禅師語録』(写二冊)の方が、より申請者の研究に資するところが大きい。茂源紹柏(東山建仁寺第三百三世住持)は松堂宗植の師にして、林家周辺の儒者らとも親交を結んだ禅僧である。彼の語録には、法語以外に、詩文や書簡も収録されており、史料としての価値が高い。同書を通覧して、茂源と黄檗僧や黒川家の人間との関わりも窺え、今後の研究方向を決めるうえで、一つの示唆をいただいた。
 関西大学中村幸彦文庫蔵『本朝一人一首』は後印本とはいえ、斯界の碩学である中村幸彦氏の識語をもつため、貴重である。氏は同書の巻末に初刷本の玄通跋(刊語)を書写しており、夙に『本朝一人一首』の刊行における黒川氏兄弟の役割に注意を払った(『日本古典文学大辞典』「黒川道祐」項)。公開された書誌情報を頼りに、申請者は中村氏の手沢本を確認した。それも含めて、今回の調査で得られた成果は、今年の九月に韓国高麗大学校で開催される日本近世文学会の秋季大会で報告するつもりである。