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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

林 麗英(地域文化学専攻)

1.事業実施の目的

博士論文の作成のためのデータ収集

2.実施場所

台湾の台北市、台東県(市)、屏東県

3.実施期日

平成23年7月12日(火)から9月15日(木)

4.成果報告

●事業の概要

 説経『さんせう太夫』諸本の書誌情報調査を行った。寛文頃刊の草子本『さんせう太夫物語』を中心に、それと深い関係を持つとされる諸本を見た。

●学会発表について

Ⅰ. はじめに
 2008年より、筆者は台湾東部太麻里渓流域に近隣するタイマリ(太麻里)郷X村で畑作農業について調査を実施し、原住民族文化産業政策によるアワの生産プロジェクト「重点部落計画」に注目してきた。その結果、もともとX村に発足したアワの生産プロジェクトは、行政区分を超えて近隣の金峰郷J村(2009年台風MORAKOT 8号)の土砂災害と結びつき、J村のアワ栽培を再興させ、村の復興活動へとつながった。そこで、焼畑農耕から引き継がれてきたアワ、タイワンアカザ、キマメといった畑作作物は、現地のNPO法人、役所(郷公所)、台東地区農業改良場、関連機構などの指導、協力のもとに現代的農業から得られた水で灌漑、作物の育種、有機肥料で品質を高め、作物を加工する機械などの技術と組み合わせて商品向けの現代的農業と並行して行われている。
 パイワン族、ルカイ族における焼畑作物ではアワが農耕儀礼において最重要されており、生活儀礼上に大きな比重をしめている。特に、モチ性アワの栽培が占める割合は非常に高く、モチ性アワで作られたabai(ちまきのよう)は村人の生活儀礼に欠かせないものとなっている(佐々木1976、阪本1978)。多くのパイワン族の人は、仕事で山間部から平地に移り住み漢人と生活するようになり、村の結婚式の祝宴で漢人が作った中国式料理を食べるようになった(松澤1982)。このようにみると、アワ栽培は村人の生業、食生活の変化の影響を受け、次第に衰退したと考えられる。他方で、村人の生活習俗と深く結びついたabaiの作り方は、村の生活様式、食生活の変化により多様化しており、なかに詰める具や出来上がりの大きさは、村(人)ごとに違う。abaiのほかには、avai;qavai、cinavu、cinabucabu(以下、モチ類アワ食品)という類似した食品も作られている。そのなかでもよく知られているのは、モチアワで練りこんだ生地を平たくのばし、真ん中に塩を混ぜた肉(必ずバラの部分)を入れ、ルリホウズキの葉やオオバキの葉、ゲットウの葉、バナナの葉などで包んでゲットウの偽茎(乾燥した)で作られたひもでしばり、ゆでたり蒸したりする方法である。または、粒のままのモチアワに塩を混ぜた肉(必ずバラの部分)を入れ、ルリホウズキの葉、ゲットウの葉などで包んで綿糸でしばり、炊いたりするものである。村(人)によって、モチアワはモチコメに入れ替えたり、カタツムリの肉やイモ類の柔らかい茎などを入れ、しょうゆベースで作られたトウガラシ香辛料を加えたりすることがある。現在、村や村周辺の観光地、食堂などで類似した食品「小米糕」「小米粽」(注1)、「祈納福」「奇拿富」などといった漢字の商品名で販売されるようになっている(林2011)。今まで村の生活習俗の場でしか食べられずまた村人の共同作業で作られてきたモチ類アワ食品は、現在より多くの人々に受け入れられ食べられるようになり、加工販売者に頼めばすぐ食べることができるようになった。そこで、今回の調査はパイワン族、ルカイ族のモチ類アワ食品に関する種類、呼称、加工および植物利用の様態についての基礎的データを収集することを目的とした。調査対象は、主に台湾東部の台東県太麻里渓流域に近隣するタマリ郷X村、キンホウ郷J村と、南部の屏東県隘寮渓流域に近隣するマカ鄉S村、ナイポ鄉SH村のパイワン族、ルカイ族の人々である。注1.台湾の中文ではアワは「小米」と呼ばれる

Ⅱ. 調査地の概況
 現地調査を行った地域は台東県太麻里渓流域に近隣するタマリ郷X村、キンホウ郷J村と、屏東県隘寮渓流域に近隣するマカ鄉S村、ナイポ鄉SH村である。図1に調査に訪れた地点を示す。調査期間であった7月に、台風Ma-on(6号)「馬鞍」、8月に台風Nanmadol(11号)「南瑪都」がおこったために台東県と屏東県の調査日程を若干変更した。
 現地調査においては、調査者がavai、abai、cinavu、cinabucabuなどとよばれるモチ類アワ食品に対し、文献資料や村で見聞きした経験を基づいて現地の人々に訪ねた。





Ⅲ. 調査方法
 2011年7月から9月の約二ヵ月半、現地で文献調査と聞き取り調査、参与観察、サンプルの収集(アワ食品を購入して試食、撮影、冷凍保存、土産用に)を行った。
まず、7月中旬に台北市で現地の文献調査を行った。対象は原住民族の畑作農業、民俗食物、民俗植物、民俗祭儀の分野に絞ってアワ食品および植物の記載を収集し複写作業を行った。次は、アワ食品に関する種類、呼称、加工工程および加工販売状況を台東県タマリ郷、キンホウ郷と、屏東県マカ郷、ナイポ郷に居住するパイワン族、ルカイ族の人々に聞き取り調査を行った。同時に、モチ類アワ食品の製造に用いられる植物の生育状況について村や村周辺の畑地で観察した。また、7月から8月にかけ調査村付近の村単位のパイワン族(ルカイ族を含む)の収穫祭や役所(郷公所)が主催する文化祭にもアワに関するコンテストやモチ類アワ食品の販売を見かけた。

 アワを通じて、もっとも頻度の高い利用法は葉で包むパターンである。その見分け法と製造パターンは調査地で聞き取った資料を基づいて以下の表2-5で示す。

◎モチ類アワ食品の呼称に関するまとめ

・アワは、パイワン語でvawu;vaquとよばれ 、前者としては屏東県と台東県の発声者が多く、後者としては台東県大武渓流域から太麻里渓流域間の発声が多く聞こえる。ルカイ語でbucengeとよばれ、屏東県と台東県では共通している。

・avai;qavai(写真5)、abai(写真6)は、製粉したモチ性アワで作られたモチ類食品の総称であり、村人の生活習俗において欠かせない食品である。

・cinavu(写真7)、cinabucabuは素材を問わず葉で包んで作ったモチ類食品をさす。

・avai,abaiによく使われるアワの在地品種はtsubalange(a1,b1)とabilonge(a2)と呼ばれる。

・イモ類と一緒に搗いたdjinukuleは搗くの動作によって呼称をつける(写真8)。

・団子に似ている食品は形によって呼称をつける(写真13)。





◎モチ類アワ食品の特徴‐製造のパターン

・葉で包む-多年生植物を利用する、現在もっとも作られている(写真9,10,11)。

・葉で包まない-根茎類との組み合わせ(少なくなった)、モチ米粉か片栗粉(アワがないとき)で作る。前者(写真12)、後者(写真13)

 このようにみると、食品の呼称は変化しないが、主要食材や具が変化する点は注目するに値する。また、作り手は、アワ食品の出来具合を気にするため、アワの品種を意図的に選択し栽培する特徴がある。そして、副食材として食と包みに兼用するルリホウズキの葉と、包み用のバナナの葉、ゲットウの葉(いずれも多年生植物)、オオバキの葉(昔よくつかったという)は食品加工にはなくてはならない存在である。そこで、モチアワとこれらの多年生植物はパイワン族、ルカイ族のアワ食品と密接な関わり合いのなかで共存関係が生じたと考えられる。つまり、アワ食品はパイワン、ルカイの人々の生活習俗を支える食物の一つであり、独自の植物利用形態の形成につながると考えられる。

●本事業の実施によって得られた成果

・植物利用の特徴として以下の7点を確認できた。

①写真15、16、17、18による、いずれの多年生植物の採集には人が関与している。

②ゲットウやバナナ、ルリホウズキは畑地の水はけや日当たりのよい場所に灌木状で生育する。オオキは村周辺の雑木林や畑の隅、道端、家の庭先に散見している。昔はよくつかったという。
土地の所有者、管理者が存在する。

③表1の通り、それぞれのアワ食品は特定の植物の葉と結びつくことで存在する。

④植物の生育状況にみると、年間を通して植物の葉が採集できる環境を維持している。

⑤木臼で搗いて潰したアワとイモ類を混合した食品は、いずれもかつての焼畑農耕の栽培作物であったことを示す。

⑥アワ食品の製造には、共同作業を要し、その過程で円滑な人間関係が育まれるため、村社会において社交上への働きがある。

⑦アワ栽培と多年生植物の利用は、セットとして村の畑地に定着し、年間を通じて村人の生活習俗を支えている。


・モチ類アワ食品の呼称によって以下の4点を確認できた。

①商品として販売されている小米糕(小米年糕)、小米粽、祈納福、奇拿富などの名称はより多くの人々が受け入れられるためである。

②現地の学術資料では、生活習俗に結ばれたモチ類アワ食品の言葉の大半は粽、糕(中国大陸から伝わってきた新年にモチコメ粉で作られる年糕と、端午節にモチコメで作られる粽子)のイメージから引用する。例として小米粽、小米糕、小米餅などの言葉で表す。

③公的出版資料たとえば、パイワン語テキストには(写真14)漢字の原意から借用する。

④村の売店看板には、avaiを「阿巴伊」「阿法伊」、abai を「阿拜」に音訳されている(写真21)。


 かつて、パイワン族、ルカイ族の農耕生活において儀礼の供物、共食のための食物として位置づけられたアワは、今の村人の生活習俗たとえば、村人の誕生日や家族の祝いこと、村の行事、教会のイベントなどに取り入れられるようになった。こうした変化の一方で、農家は焼畑農耕から栽培してきたアワの種子を意図的に保存し栽培する。種子を保存する姿勢は、アワ食品に適した品種を収穫したあとにかならず食品を作って、農家の友人に食べてもらい栽培した品種の生育状況や食感についても友人とともに確認する努力をしていた場面に現れていた。また、村人がアワ食品に対しさまざまな食感を重視する。マカ郷でルリホウズキがあるともちもち感が落ちる、男性はモチアワがすきに対し女性はモチコメが好き、酸化したモチアワで作られたavaiはすばくても消化しやすいという。タマリ郷でゲットウ、バナナの葉で作られたavaiは腐りにくく長持ちする、酸化したモチアワで作られたavaiは昔よく作ったが、酸化したにおいに弱いから作らなくなったという。
 本研究において、村人が作られるモチ類アワ食品と在地言語の扱いを通じて、より多くの人々に受け入れられる姿勢を見だす試みは人類学に扱われる民族関係の分野に論じられる。
 調査にあたっては調査研究の機会を与えてくださり、また本報告の作製に際してご協力を賜った諸機関、関係者の方々に深く感謝を申し上げる。

●本事業について

・文献研究によって得られた資料を現地の調査で確認することができる。

・現地での文献調査とフィールドワークは広範な研究データを確かめることができ、詳細な研究を実施できる。