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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

今中 崇文(地域文化学専攻)

1.事業実施の目的

博士論文執筆のための補足調査

2.実施場所

中華人民共和国陝西省西安市

3.実施期日

平成23年9月14日(水)から9月29日(木)

4.成果報告

●事業の概要

【調査の目的】
 本事業は、中国西北部の陝西省西安市において、中華人民共和国建国以降、都市中心部に居住する回族の生活がどのように変化してきたかを明らかにすることを目的として行った。回族はイスラームを信仰する少数民族であり、中国各地に散在しながらも、それぞれの地域では「清真寺」と呼ばれるイスラーム寺院を中心に居住し、独特なコミュニティーを形成していることで知られる。しかし、近年、各地で都市の再開発が進められる中で、回族の集住地域も開発の対象とされた結果、居住地の再編や移転が実施されることによって、コミュニティーが崩壊しているとの報告が相次いでいる。
 現在、西安市に暮らす回族は約6万人とされるが、その約半数が市中心部に集まって居住しており、大規模な集住地域を形成している。そこは、わずか1.5km四方の地域であるものの、12もの清真寺(イスラーム寺院)が建ち並び、「回坊」や「回民坊」、「回民街」などと呼ばれている。1980年代以降、西安市でも都市再開発が進められているが、この回族集住地域には開発の波はほとんど及んでおらず、「囲寺而居、依坊而商(清真寺を囲んで居住し、坊によって商売をする)」と表現される生活形態を維持している地域として知られている。
 報告者はこれまで、集住地域にある清真寺の一つである化覚巷清真大寺を対象として、信仰生活の中心となる清真寺がどのように維持されてきたかを明らかにしてきた。今回は、清真寺の外に目を向けて、周囲に暮らす回族の人々の生活がどのように変化してきたのかを明らかにすることを目的として調査を行った。とくに、西安回族の大きな特徴ともいえる集住地域における商業活動の変遷を明らかにすることに重点を置いた。

【調査の内容】
 今回の調査は、これまでに引き続き、西安市の回族集住地域にある清真寺の一つである、化覚巷清真大寺を中心として実施した。化覚巷清真大寺は、唐・天宝元年(742年)の創建とも伝えられる古刹であり、市内に20ある清真寺で唯一、観光客に開放されている清真寺である。門前を南北に伸びる小路は「化覚巷」と呼ばれ、骨董品や土産物を扱う商店が建ち並んでいることから、「化覚巷古玩街(化覚巷骨董街)」として知られている。また、化覚巷清真大寺の周辺には北院門街や西羊市という通りがあり、そこにも土産物屋や飲食店が多く存在し、西安市の観光名所として、国内外からの観光客でにぎわっている。これらの通りは、いずれも化覚巷清真大寺に所属する回族が居住する地域にあたり、そこに建ち並ぶ多くの飲食店の看板には、イスラームの戒律に則った飲食物を提供していることを示す「清真」という表現や、直接アラビア語で「ハラール」と書かれているのを見ることができる。
 調査にあたっては、化覚巷清真大寺に所属する宗教職能者や信徒を対象に、それぞれのライフヒストリーについてのインタビューを実施した。今回はとくに、調査対象者とその家族がどのような職業に従事してきたのか、上述の化覚巷や北院門街、西羊市といった地域の様子がどのように変化してきたかを重点的に確認しながらインタビューを進めていった。また、回族集住地域で暮らす回族以外にも、西安市政府に勤務する漢族の役人や市内に暮らす漢族の老人へのインタビューを実施する機会があり、こちらも同様に、それぞれのライフヒトリーについてのインタビューを行った。
 さらに、インタビュー以外にも、陝西師範大学の西北歴史環境及び経済発展社会研究センターや市内の嘉匯漢唐書城(書店)において資料の収集を行った。

●本事業の実施によって得られた成果

 本調査は、報告者がこれまでおこなってきた西安市の回族集住地域での調査を深化するものとして、非常に有益であった。今回得られたデータを分析し、博士論文の一部として執筆することを前提に、各研究会、学会での口頭発表や投稿論文などとして発表していく予定である。調査の成果をまとめると以下のようになる。

【人々のライフヒストリーから】
 今回インタビューを実施した回族の人々は、ほとんどが化覚巷清真大寺の信徒であり、その周囲に居住している。一部、回族集住地域外で生活していた経験のある回族にもインタビューを行ったが、別途インタビューを実施した漢族の人々のデータと合わせて、回族集住地域における生活の変化を相対化して位置付けることのできるデータとして活用できると考えている。
 人々のライフヒストリーを通して浮かび上がってきたのは、現在のように観光客を対象とした商売が化覚巷清真大寺の周辺地域に出現したのは、清真大寺が観光開放された1978年以降、とくに1980年代後半から1990年代になってからのことであり、それ以前には集住地域内に暮らす回族の人々を対象とした飲食業が中心であったということである。中華人民共和国の建国後、1950年代から1960年代初頭ぐらいまでは、集住地域内のそこかしこにイスラームの教義に則った飲食物を扱う店舗や屋台が存在していたという。その後、50年代末に一部の老舗レストランが国有化されるとともに、個人で商売をすることが禁止され、多くの回族は工場や国営企業などでの労働に従事することが一般的になっていった。80年代になって個人の生姜用活動も再開されるようになったが、現在では、多くの若者は集住地域外の漢族が経営する企業に就職するようになり、かつて主流であった飲食業は後継者となるものがおらず、産業としても規模が縮小しつつあるという声も聞かれた。実際に北院門街では、いくつかのレストランが閉店しており、看板もそのまま掲げられたままで、店舗部分がお土産物店に転用されているのが確認されている。
 また、現在では回族集住地域の主要産業となっている観光業が、回族自身によってではなく、漢族によって導入されてきたということが明らかになった。化覚巷の骨董品やお土産物を扱う商店は、最初期のものはいずれも、この地域に住居を構える回族から店舗用地を借りた漢族によって始められたものであるという。その後、それらの商売が軌道に乗ったことから、多くの回族によって模倣され、現在のような規模になっていった。また、ここ数年増加している陝西省の特産品やチャイナドレスを扱うような商店もまた、回族から店舗を借りた漢族によって始められたということであった。
 さらに、これまでの調査において、近年、集住地域外の漢族が経営する企業への就職が増加し、若者の礼拝参加者が少なくなっているという話しが聞かれていた。しかしながら、今回のライフヒストリーの聞き取りから、このような現象はかなり早い段階から現れていた可能性が高くなった。これは、上述のように、1960年代には多くの回族が集住地域外の工場や国営企業などでの労働に従事することが一般的になってきたことが確認されたためである。現在、化覚巷清真大寺の信徒の中には、国営企業などでの仕事を退職してから、ようやく宗教活動に熱心に参加し出すようになったという人が少なくない。宗教活動に参加する人々の高齢化は、ここ数年だけの現象ではなく、かなり以前からすでに常態化していると考えられる。

【文献資料の収集】
 陝西師範大学の西北歴史環境及び経済発展社会研究センターや嘉匯漢唐書城(書店)での文献資料収集により、ここ数年、中国国内で出版・発表された関連書籍や学術論文を多数入手することができた。また、かねてから交流のある民間の団体、西安市イスラーム文化研究会から、ここ数年の間に同会が出版した定期刊行物を入手している。いずれも日本国内では入手困難で、博士論文の作成に活用することのできるものばかりである。

●本事業について

 今回、海外での調査活動を実施するにあたり、本事業に参加させていただき、たいへん感謝している。研究を進めていく上で海外での長期的かつ継続的なフィールドワークが不可欠な地域文化学専攻と比較文化学専攻の学生にとって、このような経済的支援を得ることができることは、博士論文の作成にとっても大きな支えとなるものである。今後ともこのような事業が長く継続されることを切に希望する。