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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

伊藤 悟(地域文化学専攻)

1.事業実施の目的

中国雲南省徳宏州において、徳宏タイ族が実践する「掛け合いうた」およびシャマンの「儀礼うた」に関して人類学的調査およびテクスト分析を行う。

2.実施場所

中国雲南省徳宏州のタイ族村落

3.実施期日

平成23年12月5日(月)から12月26日(月)

4.成果報告

●事業の概要

 報告者は、中国雲南省徳宏州のタイ族社会における「うた」(ここでは一定の規則に従い即興的に歌詞と旋律をうたうものを指す)の実践について、民族誌的記述と人類学的分析を行っている。徳宏タイ族の「うた」は、単に娯楽のためにあるのではなく、儀礼など特定の場においてうたわれることで社会や観念を再生産する装置として機能する。本研究では、「うた」を人や超自然的存在とのコミュニケーションの手段として捉え、「うた」の実践を人と人のあいだに引き起こされる感性と身体性から分析する。
 本事業は、現在執筆を進めている博士論文に関する調査であった。主に、徳宏タイ族が実践する「掛け合いうた」およびシャマンの「儀礼うた」に関して、インフォーマンとの協力による歌詞のテクスト分析を行った。今回の調査において多くの時間を割いて実施した作業は「うた」の解釈であった。これまで儀礼のなかでうたわれる「うた」やシャマンの「うた」に関しては、主に儀礼の場の構造や人びとの実践行為に関する観察と分析を中心に研究を進めてきた。そのため、「うた」の実践に関する映像や音響の記録をとってはいたものの、その歌詞を詳細に文字化して一字一句の語彙の使用まで分析する作業はあまり行っていなかった。
 人類学的研究では、これまで儀礼について多面的な分析がなされてきている。そのなかで実践行為を切り口とした研究は蓄積が多いが、本研究はさらにこれまで収集した豊富な口承テクストを用いて、言語行為とその内容が起こす行為遂行的特徴の分析を加えることが研究に深みを増すと考える。よって調査では、改めて歌詞について、インフォーマントと対話的な分析方法を実施することによりその解釈を進めていった。
 具体的には、これまで実施した中国雲南省徳宏州のタイ族村落における調査で収集した「掛け合いうた」の録音資料の一部のテクスト化を行い(テクストは徳宏タイ文字を使用)、テクスト化した資料の疑問点の解消、「うた」の解釈に関する村落での聞き取り調査などを行い、日本語への翻訳作業の下地をつくった。また、シャマンの「儀礼うた」の映像・録音資料のうちまだテクスト化していない資料に関して、インフォーマントの協力を得て、「儀礼うた」の内容と村落社会における役割について解釈をおこなった。徳宏文字のテクストおよびその解釈に関するデータは、日本帰国後に日本語に翻訳し、博士論文のデータとして利用できるようにする予定である。

●本事業の実施によって得られた成果

 これによって得られた成果は、「うた」をインフォーマントと共に改めて聴きなおすことで、どこでうたい間違えたか、どのようにうたうべきだったか、他者のうたをどのように評価しているか、などが具体的に理解することができたことである。これは基本的理解ではあったが、さらに議論を続けるうちに以下に述べる身体性の理解へとつながった。
 詩的なことばがもつイメージ想起の力について対話的議論を重ねるうちに、「うた」を聴覚的行為として捉えているだけでは他者の経験的現実を理解して分析するには限界があることがわかった。そもそもうたうという行為は声を出すこと、身体を使う行為であり、即興的に歌詞を編むためには身体を通じて得るさまざまな生活経験や体験を反映させなければならない。ただし、身体と「うた」の関係性は普遍的、あるいは自明のものではなく、これまでの研究によって社会や文化によって多様な関係のあり方が指摘されている(S. フェルドや山田陽一ら)。徳宏タイ族の「うた」についても、「うた」を聴覚に限定せず身体的実践として捉えることが「うた」の特性や「うた」がうたわれる場を総合的に理解するために有効であることがわかってきた。
 報告者はこれまでも「うた」を身体実践として捉えようとしてなかなか手がかりがつかめなかったが、今回の調査では分析の視点に関しても一定の裏づけがとれた。それは、徳宏タイ族社会における声や音は、身体に宿る「魂」の感覚と密接なつながりを持っていたということである。これは現代社会では失われつつある身体的な感覚である。しかし、今も魂という不可知の存在を、身体の内部に宿るものとして強制的に感じさせようとする身振りや形式的行為などの外在した(社会的イデオロギーによって身につけさせられる、行為しなければならないという意味で)文化的装置が生活の中に残されている。「うた」と魂の具体的関係性にかんしては稿を改めて考察をおこなうが、今後は「うた」の実践と身体に宿る魂や離れる魂との関係性について、身体感覚と外在する文化的装置の関係性を分析し、生のなかで実践される「うた」が社会を再生産しうる力をいかにして持つのかを明らかにしていきたい。
 また、見方を変えてみると、魂の身体感覚を失いつつある現在において、「うた」が生きられる実践として現代社会にどのように適応して継承されようとするのか、その過程を追うことで、「うた」の身体性の変化を考察する可能性が浮かび上がったといえる。

●本事業について

 国内外の調査にたいして研究資金を補助する本事業は、学生の経済的、精神的負担の軽減につながる。今後も学生への支援を続けていただきたい。