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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

石原 朗子(メディア社会文化専攻)

1.事業実施の目的

2012年度日本高等教育学会研究交流集会にて成果発表を行うため。

2.実施場所

九州大学 箱崎文系キャンパス 文・教育・人環研究棟会議室(2階)

3.実施期日

平成25年1月13日(日)から1月15日(火)

4.成果報告

●事業の概要

 2013年1月14日、九州大学にて実施の日本高等教育学会研究交流集会で発表を行った。この研究交流集会は、学会が「多様な会員の研究ニードに応え質の高い交流の場を創る」ために研究大会とは別に中堅・若手の会員数名を呼び、「参加者が一日じっくり議論をする研究交流集会」として開催したものである。今年度は「地域、職業、専門職などのステークホルダーとの連携による大学教育の革新」がテーマであった。
 研究交流集会では始めの基調講演の後、自身を含めて4名が発表を行った。他の3名のテーマは「理工系人材の育成」「教員養成」「秘書教育プログラム」で、いずれも高等教育機関での人材育成をいかに行うかが中心テーマであった。
 第一の理工系人材育成の発表においては、前半で地方国立大学における実践の紹介があり、後半で全国大学生調査の分析による「幅広い知識」の獲得、「幅広い教育」の実践を行う大学についての分析結果が語られた。その発表の中で、3点学び考える所があった。第一にシグナリング理論による各学生の教育目標設定における主体性の議論が紹介され、その切り口が参考になった。第二にT字型人材と主体性の観点から発表者は「次世代リーダーとなるT字型人材」を紹介していたが、専門職大学院で議論されるΠ字人材の議論と比較しながら、学部教育と大学院教育の目指すところ、できるところの異同について改めて考えされられた。第三に、大学の序列あるいは機能分化と教育の在り方の関係が議論され、そのもととなる全国学生調査の活用の仕方やその限界の議論において学ぶところが多かった。
 第二が自身の発表であった。これに関しては後述する。
 第三が、教員養成の発表であり、発表者は自身と同じ博士論文の内容に関する発表であったが、その議論の進め方は参考になった。発表者は矢野眞和(2001)の大学教育の「隠ぺい説」をもとに大学での教職教育の意義を卒業後の教員(正規採用教員)への調査をもとに実証していた。この議論自身は比較的まとまった展開をしていた。だが、その他の展開、見方があるのではないかと言うコメンテーターの具体的な提言も勉強になった。
 最後の秘書教育プログラムの発表で、短大教育について議論を行っていた。短大の秘書教育プログラムは減少してきているが、なぜ減少したかを秘書の需要側、供給側=教育機関の関係性に帰着させて解明を試みていた。この中では、3点学ぶことがあった。第一に、発表者はバーンシュタインの議論を援用し、職業教育の類別と枠づけなど職業教育の見方を何点か紹介しており、自身の研究で不足しがちな職業教育の議論の展開を行う上での参考になった。第二に、上記の議論と組み合わせて、吉本圭一(2009,2011)の職業教育の要素をもとに4つの観点から見方を構成しており、その論理展開の点で学ぶとことが多かった。第三に、教育の統制・調整の観点で人材の需要供給の論点を教育機関中心に議論しており、労働市場を含めて論じる際にも教育機関側を中心にしたアプローチが可能であることを学ぶことができた。
 この研究交流集会は1日ではあるが8時間以上に及んで自身のテーマの関連テーマのみで議論が行われたため、濃密で充実した、実り多い研究会であったと思われる。

●学会発表について

 当日は「情報系専門職大学院と大学院修士課程の比較-専門職業教育としての特性の検討―」という表題で発表行った。45分の発表の後、コメンテーターから15分意見を受け、さらにフロアを交えて20分の議論を行った。
 発表においては、はじめに背景と問題の設定として、自身の調査研究内容はどのような見方からその論点を絞ったかについて、アメリカの専門職教育の研究の1つであるStark(1986)を援用して説明した。そして、その論点に基づき、5つの観点で結果を説明し、教育に関する要素間の関係性の検討として考察した。要素としては「産業界の期待」「大学組織全体のミッション」「専攻のミッション」「教員の考え方」「学生の考え方」の5点を中心とした。この要素が専門職大学院と修士課程でいかに違うか違わないかを議論したのち、専門職大学院と修士課程の違いを検討、プロフェッショナルスクールに関してのSchön(1987)の議論を参考にしながら、日本の専門職教育の特殊性を論じた。
 これに関してコメンテーターからは大きく5点の指摘があった。第1点は、本論文の展開が「グランドセオリー」的なアプローチか「グラウンデッドセオリー」的なアプローチかである。この点について、コメンテーターは、本発表はグラウンデッドセオリーアプローチでの分析を含むが、全般的にはグランドセオリー的であると述べていた。発表者自身も当日は仮説検証に近い展開をしたが、論理展開として、仮説検証型なのか、探索型なのか、一本の筋を通すべきところであると再確認した。
 第2点は、「専門人」養成か「(専門)職業人」養成かの観点である。この論点では、「専門職業教育」というタームが「専門教育」と「職業教育」の考え方を内包しているため、研究課題の解明の視界を妨げる可能性があるという指摘を受けた。この「専門職業教育」の用語の持つ意味については、筆者が捉えていたものは専門職大学院側に近いものであり、修士課程側が同じ用語に同じ意味を見出しているとは限らないという現実に、発表の議論の場で気づかされた。
 第3点は、上記に関して「専門教育分析モデル」と「専門職業教育分析モデル」は同じでないという指摘であった。つまり、専門職業教育は労働市場との関係性が重要であり、学問領域のように教育機関に閉じた分析モデルには限界も含むという指摘である。この点で、現状のデータでの分析を行う際には、どこまでが論述可能でどこからは不可能かに敏感になるようアドバイスを受けた。
 第4点は、事例としての情報系の特殊性があるという指摘である。これについては、情報系を選んだ理由の部分にサンプリングの根拠(典型事例というよりもむしろ問題を凝縮した極端事例であること)について、発表の際により明確な説明をすべきであったと再認識した。
 第5点は「差異」と「類似」が持つ意味の観点で、問題関心の点でははっきりしているが、研究課題の立て方としてあいまいさが残っているという指摘を受け、「『違い』が研究課題に対して一体どういう意味を持つか」が重要であるという指摘を受けた。
 また、フロアからの指摘では、「専門職大学院と修士課程の違いは(私から見れば)一目瞭然」であるという意見も出た。この質問者は学生や学位の質がそもそも違うという主張であった。また、他の質問者からは、学生が学部卒か専門学校修了かなどの違いを考えて分析をすべきであろうという指摘も受けた。質問者の指摘は各人の見方を含むと思うが、それにしても、データから言えることと通念や本音の部分を押さえておくことは大事であると感じた。
 また最後に司会者から「マスクされた部分があり見えにくい」という指摘を受けた。つまり、一般化するために情報を伏せた部分が多すぎて、重要な部分が見えなくなっていないかという指摘であり、一般化しようとしてかえって議論を表面的なものにしていないかは反省すべき点であると思われた。
 発表への議論は45分あったものの、貴重な指摘が多く、時間が短いくらいに感じさせられる発表であった。

●本事業について

 本発表において、
 第一に、博士論文の構成の差異には、議論構築の論拠がしっかりしていることが重要であることを再認識した。それは議論が仮説検証なのか探索的なのかで筋が通っているべきことでもあり、中心概念が定義されていて、その定義が論理的に矛盾や多くの意味を持つようなものないはっきりしたものであることであろう。その点で、例えば「専門職業教育」という際にも、「専門(職業)教育」なのか「(専門)職業教育」なのかなどの指摘が受けられる概念であり、より精緻化が求められることが理解できた。
 また、私自身は、専門職大学院をめぐる一部の見方が正しい部分だけではないと思っているが、専門職大学院のような政策的要素も受けてできた制度を考える際には、どの立場の人はどのように考えているか、見ているか意識して理解した上で、論文における自分のスタンスを論じなくてはいけないと感じた。社会科学においてはデータだけを見ていてもいけないし、データの裏付けのない主張だけを見ていてもいけないことを最近感じているが、学会で「本音と建前の建前だけでない議論をすべき」という意見もあり、いろいろな背景を踏まえた上での議論が求められることを確認したことも成果だと思われる。

●本事業について

 本RT事業では調査研究、成果発表など広い範囲の学術活動への支援を受けることができ、感謝しています。今後もこのような学生支援体制の継続を希望しております。