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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

岡本 貴久子(国際日本研究専攻)
エルサレム・オリーブ山ゲッセマネの園のオリーブの木テルアビブ大学キャンパス学会の様子

1.事業実施の目的

The 11th Annual Conference of Asian Studies in Israel 2012にて研究発表及びエルサレムにて現地調査

2.実施場所

イスラエル国テルアビブ大学及びエルサレム市内

3.実施期日

平成24年5月18日(金)から5月26日(土)

4.成果報告

●事業の概要

 イスラエル日本国交60周年記念行事の一環として在イスラエル日本大使館後援の下、5月22日~23日の両日にわたってThe 11th Annual Conference of Asian Studies in Israel 2012がテルアビブ大学にて開催された。イスラエルにおけるアジア研究は盛んであり、本学会では主にアジアを取り巻く人文・社会科学系の研究成果が報告されたのだが、その内容は政治から宗教、歴史、文学、芸術、ファッション、また昨年の東日本大震災をテーマとするパネルに至るまで多岐にわたるものであった。本会の構成は全21パネル、報告者は約120名、そのうちの約三分の二が海外からの参加者とのことである。日本からは当方を含め神道文化研究で知られるジョン・ブリーン国際日本文化研究センター教授のほか、早稲田大学、法政大学からの参加者があった。基調講演では ”The Great Reversal – The ‘Rise of Japan’ and ‘Fall of China’ after 1895” と題して、プリンストン大学のBenjamin A. Elman教授が日本の早期近代化の成功の理由とその背景について当時の日中の軍艦の映像を駆使しながらその分析を行ったのだが、「しかし中国は決して衰えたことはない」とのアジア系学生と思しきフロアの声とともに一部で拍手が沸き起こるなど、海外における昨今のアジア研究の方向性を再認識するとともに、本機会が単なる記念イベント的なものではなく鋭敏な意見が交わされる議論の場になり得るであろうという期待に胸を躍らせた。結果はその期待を裏切ることなくレベルの高い緻密な研究報告を拝聴することができた。しかしながらパネルの中には使用言語がヘブライ語に限定されたものもあり、殊に日本美術や先の東日本大震災に関する報告が充分に聞けなかった事は残念であった。参加国の多様性を考慮しても、せめてパワーポイントの表示くらいはバイリンガルにできないものかと案じる参加者の声も耳にしたが、そうした中でフロアの様子を見てヘブライ語から英語に切り替えてくれる研究者が少なからずいたことは救いであった。日本研究を中心に各パネルを回ってみたが、フロアは約40~50名、質問も活発に出され議論もまた和気藹々とした雰囲気が特徴的で、各国参加者も皆気さくであり、国際学会への参加が今回初めてとなる当方にとっても十分に落ち着いて発表できる有り難い環境であった。
関連HP https://sites.google.com/site/eactau2012/PODUNC

●学会発表について

参加パネル:Ritual, Performance and Etiquette in Pre-Modern and Modern Japan
報告テーマ:A Cultural History of Planting Memorial Trees in Modern Japan: with a focus on General Grant in 1879
報告概要:前近代から近代にかけての日本における儀式や儀礼行為をテーマとする本パネルにおいて、本報告では近代日本における記念植樹式に関する文化史の一つとして、1879年に国賓として来日した米国第18代大統領U.S.グラント、通称グラント将軍による三ヶ所(長崎公園・芝公園・上野公園)の記念植樹式に焦点をあて、それが行われた公園という「場」の歴史的変遷を分析することによって、なぜそうした儀式的行為が営まれたかという意図とその根底に備わっていると見られる自然観を考察した。なぜ記念植樹という行為を取り上げたかという理由については、近代化政策の一環として権力の可視化を目的に記念碑や記念像が次々と建立されるなか、記念植樹という樹木を特別に植樹するという行為もまた時の政府や当時を代表する林学者らによって国家事業の一環として推進されていたという事実があり、加えてこうした儀式的行為を広く一般に浸透させる為に逐一ニュースとして新聞記事にしていた報道機関の存在から、記念に植樹するという行為もまた日本の近代化の一牽引役として作用していたのではないかと推測され得るからである。本報告では1872年のグラント政権が開国後間もない新政府の近代化政策に与えた諸影響を中心に論じたが、例えばこのグラント政権下において米国で初めて国立公園が設定され、Arbor Dayと称する植樹の祝日が定められ、且つ同政権下の農政家ホーレス・ケプロンが開拓使顧問として来日、増上寺に開拓使学校設置を提案するなど、グラント政権下における殊に「自然」に関わる政策で新政府が手本としたと見られる事柄は少なくない。こうした近代化の指導者の一人ともいうべきグラント将軍によって、新たな「公園」という空間において米国を代表する巨木「ジャイアント・セコイア」等の記念植樹式が営まれたわけだが、新政府にとってそれは単に将軍の訪日記念という意味のみならず、「旧習を打破し知識を世界に求める」という方針に基づき西欧化政策を着実に根付かせる意図を持ってなされた儀式的行為であったと考えられる。しかしながら同時にこの儀式的行為は「樹木崇拝」という新政府が棄てたはずの神仏習合的、アニミズム的信仰が根底に備わるものであり、新旧入り混じった自然に対する思想が見え隠れする点を見逃してはならない。明治初期の記念植樹という行為は、いわば「和魂洋才」という姿勢によって、新旧あるいは西洋と東洋の思想とかたちと融和させるために行われた一種の儀式的行為であったと考えられるのではないだろうか。なお補足として、グラント将軍の世界周遊に関する記録には、日本上陸前の1878年2月、エルサレムの聖地を訪れた将軍がゲッセマネの受難のオリーブの木を愛でる記述があるなど各地の樹木に心を寄せる将軍の姿が描かれていることから、グラント将軍の自然への関心の高さについても説明を加えた。
ディスカッション:反応は好意的で、砂漠地帯であるイスラエルにおいて植樹は重要なことであり、新年には子供たちによって営まれる国民的行事 “Tu Bishvat” という植樹の祝日があることを教えていただいた。またエルサレム市内にある建国の父テオドール・ヘルツルの記念樹やアムステルダムにあるアンネ・フランクの居場所を記念する樹木をご教示くださる方もいた。日本の靖国神社の桜などとてもすばらしく思うとのコメントも頂戴した。ディスカッサントからの「記念植樹の新聞記事はどのようなものがあるか」という問いには、東郷大将による月桂樹の記念植樹式や日韓併合記念植樹式、全国規模で営まれた学校記念植樹といった大イベントの外に、戦争や特攻で息子を失った母の祈りの記念植樹など一般市民レベルの記事を加えればその数はカウントできないほど多数であると応じた。
ディスカッサントまとめ:本パネル全体に関するディスカッサントの総合的な見解(概略)
「本会の研究報告は主に、1.「場」、2.「国民国家」、3.「なぜ日本について研究するのか」という三つの視点に集約されたものであったが、儀式やパフォーマンスを論じる際には、行為を行う当事者のみならずそれを見る側が発する行為との関係性にも注意が要せられる。つまり見る側にとって、儀式やパフォーマンスに接したという外からの影響が果たして彼らにいかなる内的作用を及ぼし、その結果どのような行動を生じさせるかという分析も必要ということである。それは例えば「国家」と「国民」という関係においても該当し、国家的な儀礼が一般市民レベルにいかに作用し、彼らにどんな行動を起こさせるかという考察は本会テーマの要とするところである。そうした行為がどのような「場」で営まれるかという視点は重要であり、この点で(岡本)の「場」の観点は非常に面白く、国家レベルのパフォーマンスが土着化する連結点として「場」を論じたことは有効であった。日本を研究する意義は、こうした近代的な儀式、儀礼行為から得られた結果をフィードバックするという意味においても更なる考究の余地がある」。

●本事業の実施によって得られた成果

1.成果発表
 成果発表の場を越えて、当方の記念樹に関する研究に多くの関心が寄せられコメントやアドバイスが頂けたことは、国際的な観点から本研究を捉え直すという意味で非常に有意義であった。
(例1)ヘブライ大学Ben Ami Shillony名誉教授(日本文化)はイスラエルの植樹日 “Tu Bishvat”についてご教示下さった方だが、約80年前に開始されたというシオニズムの思想に基づくその国民的植樹祭は毎年アーモンドの花が咲く時期に開催され、当日はドライフルーツを食べる習慣があると説明された。今日では学校植樹行事としても営まれており当方の博論に含まれる近代日本の学校植樹行事と比較する上で参考となる貴重なコメントだった。
(例2)ヘブライ大学Eyal Ben-Ari教授(文化人類学)は、メモリアルというのは通常は過去の出来事に対して行うものだが、記念植樹のように未来に希望を託すということは「記念碑性」のもうひとつの意味を示すものであり、新しく面白いとコメントを下さった。植樹祭と育樹祭の関係についても「次を育てる」といういのちの継承の意味において意義深い研究となるとのこと。また記念に植樹するという行為が、教育、ミリタリー、林業、都市緑化また植民地政策及び戦後処理、或いは文化財という様々な学際的問題にリンクしている点にも興味を持たれ、今後は植樹に関する国際的な自然観を探究することも視野に入れてみてはとアドバイスがあった。関連して、博論の構成を聞かれたうえでグラント将軍訪日記念樹に関する部分は博論と独立させグラント研究として発展させることも一考として挙げられたことは、全体の構成を考える上で前向きに検討したいアドバイスとなった。
2.エルサレム市内オリーブ山周辺現地調査
(1)前述のように、実際にグラント将軍が訪問したオリーブ山に位置するゲッセマネの園でイエスの「受難の木」に触れられたことは得難い体験であった。ジョン・ラッセル・ヤング著 “Around the World with General Grant vol.1”(1879)には、「受難の木」の曲がりくねった瘤だらけの幹をさすりながらそれらを樹齢約2千年と見積もる将軍の様子が描写されているが、百年余り経った今日も同じような姿でそこでいのちを営み続け、細長の緑葉を茂らせていた。「エルサレム入城」をテーマとする図像にはオリーブの枝(棕櫚もある)が描かれる場合が多いが、これはオリーブ山に因んでいるといわれる。砂漠地から基督教が起ったと伝えられるようにエルサレムの聖地もまた確かに砂漠地であり、オリーブの木々が植栽された山の斜面の隙間からは黄土色の乾いた砂地が目立ち、日本のような鬱蒼とした緑は見られなかった。こうした環境に於て樹木を植え育みその果実を得ることはまさに「恵み」である。現地を訪れ日本の環境と異なる樹木の在り様を見聞し、土地ごとに異なる樹木観があるということを実感したが、植樹の方法やその根底にある自然観との関係性などについても今後の研究課題としたい。
(2)現地では、次なる研究課題としているイスラエル出身の環境芸術家ダニ・カラヴァン(Dani Karavan)氏による記念樹をモチーフにしたモニュメント等について話題が得られたことも今回の収穫のひとつとして挙げておきたい。
総合して、いのちの継承と繁栄を祈念して木を植える「記念植樹」という行為の文化史的研究に国際的な視野から関心が寄せられたことは大変光栄であり、今後の研究活動への得難き励ましとなった。

●本事業について

 今回のRT事業参加については国際学会における成果発表ということで活用させて頂いたが、書類申請が事業開始の直前であったことから事務手続きに係る関係者の尽力なくしては実現し得なかったと思う。ここに改めて感謝の意を表したい。