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文化科学研究科リサーチ・トレーニング事業 研究成果レポート

佐々木 比佐子(日本文学研究専攻)

1.事業実施の目的

「生誕百三十年・斎藤茂吉と長崎展」見学・調査研究

2.実施場所

長崎県立長崎図書館、長崎歴史文化博物館、長崎シーボルト記念館
福井市橘曙覧記念文学館、福井県立図書館、福井市立郷土歴史博物館

3.実施期日

平成24年11月30日(金)から12月6日(木)

4.成果報告

●事業の概要

 長崎市では、大正6年末から大正10年初まで長崎に滞在した斎藤茂吉に関する調査と、長崎県立長崎図書館における「生誕百三十年・斎藤茂吉と長崎」展の見学を、福井市では近世末の歌人橘曙覧に関する調査を行った。斎藤茂吉の長崎滞在時代における文筆活動のひとつとして、文芸雑誌『紅毛船』に福井の歌人橘曙覧の歌の評釈「古歌漫抄」の連載があげられ、この調査研究の為、今回は長崎市と福井市において事業を行った。
 長崎到着の11月30日は午後、長崎県立長崎図書館から移管され現在長崎歴史文化博物館所蔵の古賀十二郎関係の書籍等の閲覧、調査を行った。古賀十二郎は、茂吉と交流のあった「長崎学」の泰斗である。長崎美術に関する著書『長崎絵画全史』、『長崎画史彙伝』、史料『長崎絵画史料』、『史料写真帳1~3』を閲覧し、必要に応じて複写、撮影を行った。
 翌12月1日・2日は、長崎県立長崎図書館にて「生誕百三十年・斎藤茂吉と長崎」展を見学した。
長崎という地において、茂吉が初めて出会うことになった芥川龍之介、また竹久夢二らと写る写真が印象的であり、個人蔵の書幅「若草の」は珍しい書風の作品であった。但し、長崎時代の茂吉は病気がちであった為か、扇面の色紙等の書に生気は余り感じられない。書簡は、日本画家でアララギ同人の平福百穂宛が多く、長崎における友人の永見徳太郎、渡辺庫輔に宛てたものも見ることができた。
 長崎医学専門学校の学生らによる文芸雑誌『紅毛船』は、企画展における展示品であったが、閲覧させていただき撮影を行った。茂吉の歌集『つゆじも』に「長崎図書館を訪ひ…」の詞書と共に記される一首「モリソン文庫明恵上人の歌集をば少しく読みて吾ものおもふ」における、「モリソン文庫」と「明恵上人の歌集」と「長崎図書館」との関係についての調査は、大正10年刊『長崎県立長崎図書館和漢図書分類目録』を手がかりに進めることができた。大正8年9月1日の日付で長崎図書館に寄贈された図書『明恵上人歌集に就きて』(和田維四郎編・岩崎文庫・大正8年)の巻末に、「モリソン文庫寄贈」と記されているのである。『長崎県立長崎図書館和漢図書分類目録』には、この『明恵上人歌集に就きて』と並んで『明恵上人歌集』(玻璃版箱入)という書名が記されているが、この書物は現在、長崎図書館では所在不明となっている。これは、大正8年に製作された複製本であり、後日国立国会図書館蔵の同じ本を見ると、「岩崎文庫内石田幹之助」を発行者とする巻子本であった。茂吉が歌に詠んだ「明恵上人の歌集」は、直接にはこちらの複製の巻子本であっただろう。ところで今回、これらの調査を滞りなく進める事が出来たのは、ひとえに長崎図書館の方々のご助力に依る。こころより感謝の意を表したい。
 12月3日は、鳴滝のシーボルト記念館、鳴滝校舎址等を見学した。鳴滝校舎の写真がシーボルト記念館には展示されているが、現在建物は残っていない。茂吉が訪ね、歌を詠んだ大正9年にも、既にそうであった。シーボルト記念館の展示見学は、シーボルトの人となりに対する理解を一層深めてくれるものであった。
 12月4日は、長崎市から福井市へ、移動した。午後、閉館に近い時刻であったが福井市立郷土歴史博物館を訪ねた。『春嶽公記念文庫解説目録』を購入し、学芸員の方から橘曙覧関係の原資料に関する実態を伺う。幾たびかの火災により、残っている曙覧関係の資料は多くないという現状を知った。
 12月5日は、福井県立図書館にて橘曙覧関係の資料を閲覧し、複写した。午後、福井市橘曙覧記念文学館を訪ね学芸員の内田好美氏から、橘曙覧研究についてお話を伺う。
 12月6日は、午前に福井市内の橘曙覧所縁の址を訪ねる予定であったが、悪天候のため特急電車が運休する状況となり、JR福井駅の指示に従い11時10分の普通電車にて福井を後にしなければならなかった。

●本事業の実施によって得られた成果

 長崎県立長崎図書館における調査では、斎藤茂吉全集における「橘曙覧歌抄」の初出のかたちである「古歌漫抄」(雑誌『紅毛船』に連載)の閲覧とその撮影により、「橘曙覧歌抄」と「古歌漫抄」の比較検討が可能となった。これらの比較検討により見出されるところのものは、「斎藤茂吉の近世学芸享受」の題目で執筆を進める学位(博士)申請論文に記すべき内容となる。また、歌集『つゆじも』に「長崎図書館を訪ひ…」の詞書と共に記される一首「モリソン文庫明恵上人の歌集をば少しく読みて吾ものおもふ」における、「モリソン文庫」と「明恵上人の歌集」と「長崎図書館」との関係を窺わせる書物(『明恵上人歌集に就きて』)を、長崎図書館において見出し得たことは、茂吉の歌一首の理解の為の一助となった。事物に対し正確に、歌に詠んでいる茂吉の姿勢を示す一件でもあった。
 但し現在、東洋文庫において「岩崎文庫」として分類される本が、何故「モリソン文庫寄贈」として長崎図書館に受贈されたのか、その経緯は明確ではない。ただ『岩崎久彌傳』(丸ノ内三菱・非売品)によると、大正13年東洋文庫設立以前、東京丸ノ内仲通にモリソン文庫仮事務所を開いたとあることから、この事務所を通して長崎図書館に寄贈されたために、「モリソン文庫」の名が図書に記されたということは考えられる。
 鳴滝校舎址を訪ねた事は、茂吉作品の理解を深めるために大いに意義があった。現地を見てからとそれ以前とでは、同じ茂吉作品に対しながら、私自身の享受が異なることを実感せざるを得なかった。現地を訪ねるという体験は、短歌作品の理解を飛躍的に高めると今更ながらに思われてならない。長崎市は、昭和20年の原爆投下により、茂吉が滞在していた大正当時の佇まいを多く留めてはいない。しかし鳴滝はその地理的位置もあって、比較的当時の様子を留めている場所のひとつであり、地名の由来である岩を奔る水の音は、現在も絶えずに響いている。
 福井に移動して、福井市橘曙覧記念文学館の内田好美氏から、橘曙覧研究の現状を伺ったことは大変参考になった。火難による原資料の少なさからか、研究はあまり進んでいないとのことであった。但し、福井市のアララギ系の『柊』という歌誌の存在を教えていただき、その『柊』内においては、斎藤茂吉と橘曙覧の関係は知られており、又斎藤茂吉が校訂に関った岩波書店刊の『橘曙覧全集』は、今でも研究者の間では最も信頼できる内容の書物であるという評価を聞き得たことは、案外嬉しい一件であった。

●本事業について

 今回リサーチ・トレーニング事業として、長崎市と福井市においての調査・見学を行う事が出来ましたことは、学位(博士)申請論文執筆のために大変有益でありました。長崎県立長崎図書館における「生誕百三十年・斎藤茂吉と長崎」展を会期末にタイミングよく見学が叶いました事は、有難いことでした。
 現地に出掛けて行き調査することを通して、初めて見えて来るものがあります。特に長崎は、鎖国時代にも中国及びオランダとの交渉のあった文化背景の独特な場所で、この事は今後さらに斎藤茂吉の研究を進めていく上において、大変な刺激となりました。このような貴重な機会を与えていただきました事を感謝いたします。