総研大 文化科学研究

論文要旨

第22号(2026)

伝一条教房筆源氏物語断簡考


総合研究大学院大学 文化科学研究科 日本文学研究専攻
 瀧山  嵐


キーワード:

源氏物語 古筆切(断簡) 写本 古筆見 一条教房 一条兼良 古注釈


室町時代中期の公卿である一条教房(一四二三~一四八〇)を伝称筆者とする『源氏物語』断簡が存する。従来、「葵」・「常夏」・「野分」・「若菜上」・「柏木」巻の五巻が知られていたが、近時、鶴見大学図書館蔵「早蕨」巻一葉が新たに加わり、重要文化財に指定される定家本『源氏物語』(個人蔵)の忠実な模写であることが報告された(高田信敬論文)。本稿では、新たに見出した学界未報告の「花散里」巻断簡二葉を考察対象に加えて、計七巻六四葉の断簡を対象に書誌事項に基づいて諸巻の情報を整理し、特に注記を有する「若菜上」巻断簡について検討する。


筆蹟に基づく諸巻の分類は、先行研究で見解が分かれている。本稿では、(一)当該断簡群の和歌の書式、(二)字母の共通する複数語句の筆蹟とその使用例、(三)行間注記の有無と書式の三点に基づき、「常夏」・「野分」・「若菜上」巻を同筆かつ同一グループの写本であることを実証する。


「常夏」・「野分」・「若菜上」巻の三巻は、本行本文の行間に注を有する。注記の伝称筆者は、江戸時代の古筆見の鑑定において教房の父兼良とされており、筆蹟も概ね真筆と認められている。従来、注記内容については、南北朝時代に成立した四辻善成著『河海抄』の説からの引用が多く、室町時代に成立した一条兼良著『花鳥余情』の説との関連性が希薄であると指摘され、当該断簡が『花鳥余情』の利用を前提としていると位置付けられてきた(高田信敬論文)。しかし、「若菜上」巻断簡の注記を再検証すると、『花鳥余情』独自の説だけでなく、鎌倉時代に成立した素寂著『紫明抄』独自の説を引用する事例が認められる。つまり、当該断簡の注記は、『紫明抄』・『河海抄』・『花鳥余情』の三書における各説を参照しつつ、選別したうえで注として記す傾向がある。当該断簡は、網羅的に先行注釈書の文言を取捨選択して集成したり、自説を述べたりするのではなく、本文を読解するための実用的な写本としての性格を有する。当該断簡の注記は、写本の限られたスペースに読解の一助となる和歌や古記録に関する注釈書の文言をはじめ、人物比定や物語内容に関する短文の解釈、漢字のルビを適宜、メモ書きのように記している点に特徴がある。以上の注記の検討に基づくと、当該三巻の断簡は、文明四(一四七二)年の『花鳥余情』成立以後、兼良が、所持していた教房筆本に注を書き込んだ写本であると位置付けられる。