総研大 文化科学研究

論文要旨

ソ連文化政策が民俗音楽にもたらしたもの:
バラライカ「モスクワ80」と奏者たち

文化科学研究科・地域文化学専攻 柚木(大家)かおり

キーワード:

ヨーロッパ・ロシア、バラライカ、ソ連の文化政策、民俗音楽、文化の再生産

三角形の胴と3本の弦を持つバラライカは、ロシアの代表的な楽器として世界中で知られているが、ロシア国内ではその存在形態には、舞台化していない音楽を「民俗」、芸術音楽に依って舞台化した芸術を「民族」、芸術音楽に依らずに舞台化した「大衆」というカテゴリーがある。我々外国人が知っているバラライカは、それらのうち民族音楽としてのソ連の文化宣伝の所産であり、そこから民俗音楽を知ることはできない。このような状況の中で、本論の目的は、民族音楽を作り出したソ連の文化政策と民俗音楽の関係がどのようであったのか、そしてソ連崩壊後の現在はどうなっているのかということを明らかにすることである。その課題として、第1に2001〜2003年のコストロマ州ネレフタ地区での調査をもとにソ連時代の民俗音楽文化のありかたを再現すること、第2に文書資料をもとにソ連の文化政策を整理すること、第3にそれら2つを比較することによって、ソ連の文化政策が結果的に民俗音楽にもたらした状況を示すことが挙げられる。

ソ連の文化政策は、革命前にV.V.アンドレーエフによってすでに始められていた楽器の改良と舞台化の動きをそのまま取り込み、五線譜の使用を奨励し、改良型バラライカの統一調弦(e1-e1-a1)を用いた演奏会形式での演奏形態を、アマチュア芸能活動国が企画・運営することによって定着させようとした。政策が民俗バラライカにもたらしたもの、それは第一義的には、民衆が集まる伝統的な行事をソ連の国家的な行事にすりかえることだった。

しかし、最も近い中規模都市3市から40キロ以上も離れたところに位置するN地区には、こうした演奏形態が根づくことはなく、それゆえ民俗バラライカの文化は保存された。文化政策がN地区に及ぼした影響とは、代わりに独ソ戦戦勝記念日などの式典のアトラクションという国家的な行事を導入させたこと、また改良型の楽器を農村部にも供給したことである。安価な楽器は戦前に1つの村に数台普及し、1920〜30年代生まれの当時若者の奏者たちを潤した。80年代になって「モスクワ80」型という新たな大量流通の機会が訪れ、時を経て、それまで楽器を持たなかった奏者たちが明るみに出てきた。そこに響く音楽は戦前・戦後に奏者たちが親しんだものであり、歌詞には当時のものだけでなく、現時点の題材をとったテクストがにわかに出現しもする。舞台化された民族楽器からは想像もできない、かつてあったその文化は再生産され、今また機能しているのである。

以上により、ソ連の文化政策は、民俗音楽を舞台化し、国外に向けて民族音楽として自国の文化を誇りにするという方向性をもっていたが、N地区の事例では、その破壊の道具として大量生産されたバラライカが、破壊しようとした音楽文化を蘇らせるという役割を果たしたということが示された。

(受理日:2005年1月15日 採択日:2005年4月4日)