総研大 文化科学研究

論文要旨

『遠野物語』をめぐる“神話”の構築過程

―その民俗学史的評価へ向けての予備的考察―

文化科学研究科・日本歴史研究専攻 室井 康成

キーワード:

柳田国男、折口信夫、読み方、民譚、「古代」、郷土意識

本稿の目的は、民俗学者・柳田国男の著書『遠野物語』の評価をめぐる言説の形成史を明らかにし、その民俗学史的評価に向けた課題点を提示することにある。

今日、『遠野物語』は「日本民俗学の金字塔」あるいは「柳田民俗学の出発点」として位置付けられ、また文学作品としても高く評価されている。しかし、先行研究が指摘している通り、柳田は、これを著した時点では民俗研究を行なっているという自覚がなかったと思われ、また文学的な評価を狙って草したものでもなかったと考えられる。同書をめぐる如上の位置付けは、柳田の執筆意図からは大きく乖離しているといっても過言ではなく、むしろそれは、柳田以降の論者による「読み方」の結果構築されてきた一種の“神話”である蓋然性が高い。

そこで本稿では、『遠野物語』刊行直後から最近の研究に至るまで、同書をめぐって出された論評をタイプ別に分類した結果、それには@「文学作品としての読み方」、A「民譚のテクストとしての読み方」、B「作品自体に柳田の政治性を看取する読み方」の、3通りがあることが分かった。わけてもAは、1935年(昭和10)の『遠野物語 増補版』において、これを「古代」を透視できる民譚を採録した書と捉えた折口信夫の『遠野物語』観の影響が大きいと思われる。これ以降、同書をめぐっては、折口の評価と類似した見解が示され、『遠野物語』=「日本民俗学の金字塔」といった見方を定着させる素地を形成していったが、同時に、農政官僚として農業の近代化と生産性の向上に奔走していた柳田が、職務上のフィールドであった農村地域に伝承される民譚に、なぜ関心を向けたのかという“動機”の問題は不問に付され、あたかも同書が、はじめから民俗学の書物として世に問われたかのような印象を巷間に与える結果を招来した。

如上の「読み方」によって形成された『遠野物語』のイメージは、やがて高度経済成長期の、いわゆるディスカバージャパン・ブームによる幻想的な「ふるさとイメージ」を希求する風潮や、それに随伴するかたちで惹起されたとみられる遠野の地域振興事業と結びつくことで、さらに固定化していった。かくして、『遠野物語』は、まぎれもなく「日本民俗学の金字塔」としての地位を獲得してゆくのだが、言うまでもなく、それは柳田の執筆動機の検証を抜きにした、民譚即「伝統」的な、安易なイメージの連関に基づいている。だが、これに学術的な正当性を与えたのが、Aの立場にたつ研究者であり、彼らの言説は、遠野こそ大思想家・柳田国男によって見出された土地だとする地元の人々の郷土意識とも強固に結び付き、今日、同書に対する冷静な評価を困難にしている。

このように、研究者・地元民・あってほしい「ふるさと」を希求する第三者の協業によって『遠野物語』をめぐる“神話”は構築されてきた蓋然性が高い。そして、この“神話”は、世の中にはゆかしい「古代」を透視できる民譚があり、それを記述することが「民俗学」であるかのような、およそ柳田が構想した学問とは正反対のイメージを一般に広める効果をもたらしたと考えられる。だが、それは「古代」志向の折口的な学問を否定し、民俗学を「世の為人の為」だと力説した柳田国男の理念とは大きく異なるものであった。そうすると、『遠野物語』において描かれたような伝承世界に生きる人々の姿が、日本の近代化を推進してきた柳田の目に、どのように映ったのかを同時代史的な文脈から再検証する必要があろう。その作業なくして、同書を民俗学史の中に正確に位置づけることは、不可能である。