総研大 文化科学研究

論文要旨

編集者粕谷一希と『中央公論』

―「現実主義」論調の潮流をめぐって

文化科学研究科・日本歴史研究専攻 根津 朝彦

キーワード:

『中央公論』、編集者、知識人、「論壇」、「現実主義」、一九六〇年代

本論は、一九六一年に中央公論社を直撃した「風流夢譚」事件という言論テロ事件以後、『中央公論』を主導した編集者粕谷一希(一九三〇年生まれ)を対象としたジャーナリズム史研究である。従って、同事件後に粕谷一希が実際にどのような過程で『中央公論』に「現実主義」論調(主に一九六三〜六七年)を現出せしめたのかその編集者としての役割を明らかにすることが目的である。本論は「一 粕谷一希の思想形成」、「二 中央公論社時代の編集企画」、「三 『現実主義』論調の登場と展開」から構成される。

「一 粕谷一希の思想形成」では、一九五五年中央公論社に入社するまでに粕谷を規定した思想形成の要因を追う。一番大きかったのは敗戦体験の衝撃とそれに次ぐ河合栄治郎の読書体験による影響である。それは「保守的懐疑派」と自称する粕谷の反時代的な姿勢と、文学少年から哲学少年への転換をもたらす。学生時代の友人関係、マルクス主義への違和感、後の執筆者となる人びとへの訪問、大学時代の雑誌の編集長経験が、「二 中央公論社時代の編集企画」に結実する。

中央公論社時代は、出版部で主に『思想の科学』を担当し、「風流夢譚」掲載後に粕谷は『中央公論』編集部に移り、嶋中事件以後に次長となり『中央公論』の編集を主導し、実際にどのような論文を企画担当したのか、その全体像を詳述した。その編集遍歴から自身が影響を受けた著者や面識ある著者、先行世代の弟子筋、粕谷の友人、年齢の近い同世代と若手を執筆者に登用する人脈形成の構造が浮かび上がる。そして粕谷を重用した嶋中鵬二との思想的親和性、そこから結晶する吉野作造賞の選考委員につながる中央公論社の組織人脈への形成過程を明らかにした。

「三 『現実主義』論調の登場と展開」では、一九五六〜六〇年と一九六三〜六七年の五年間でそれぞれ『中央公論』と『世界』がどのような執筆者を巻頭論文に書かせたかを比較し、両誌の傾向を浮き上がらせた上で、『中央公論』で展開された「現実主義」論調の代表的な論文である高坂正堯「現実主義者の平和論」、衛藤瀋吉「日本の安全保障力をどう高めるか」、永井陽之助「日本外交における拘束と選択」の内容を検討する。その「現実主義」論調の批判を踏まえながら、「現実主義」と「理想主義」の両者の対話の可能性について考察した。

以上の分析から、総合雑誌の編集者試論として先行世代から同世代に渡る執筆者の二段階人脈形成を編集者が構築し、新しい問題意識をもつ同世代の執筆者間の交流を促す中で、執筆者陣の形成とともに一つの論調を生み出す編集者(プロデューサー)のモデルが粕谷一希に認められることを提起した。