総研大 文化科学研究

論文要旨

韓国民俗学における「歳時風俗」
の概念について

―越境的民俗学史のために―

九州大学大学院 人間環境学府 博士課程 大石 和世

キーワード:

 

1990年代以降、一国民俗学の批判と越境的民俗誌の試みが登場してきた。学史的検討においても、越境的に民俗学の歴史を記述する試みが蓄積されている。とくに、コロニアル状況下での民俗学の位置づけに関して、朝鮮民俗学と日本の植民地主義のかかわりに関する研究が深化している。しかし、植民地解放前後の民俗学の連続と断絶、解放後の両国の民俗学の関りについては、研究が進んでいない。

本稿は、韓国民俗学における「歳時風俗」の概念の形成の歴史をたどることによって、コロニアル、ポストコロニアル状況における朝鮮・韓国の民俗学の確立過程と日本の関与の一端を解明する。

「歳時風俗」の概念の成立と解体の過程をまとめると次のようである。朝鮮では日本などの列強による植民地化の圧力の下、朝鮮人自身の手によって朝鮮を文化的にアイデンティファイする試みがはじめられていた。この時に歳時の行事が注目され始めた。しかし、それは日本の支配によって中断された。歳時の理論的、体系的把握の試みは、植民地体制下の1920年代以降となる。そして、歳時の行事に関する研究は、現在に至るまで、次の三段階を経てきた。

第一段階は、1930年代前後の朝鮮民俗学が盛んとなった時代である。朝鮮固有の伝統として歳時が注目されたが、収集された歳時は、総督府にかかわった研究者によって「年中行事」として記述された。この時代に、近代/伝統の二項対立的枠組みが確立したといえる。

第二段階は、朴正煕大統領政権の文化政策が始まった時代である。民俗学は国家によってナショナル・アイデンティティを構築する言説としての役割を期待され民俗学の学としての確立がこころみられた。1968年に始まった全国民俗綜合調査では、調査項目として「歳時風俗」が設けられた。ここで調査の対象となったのは、伝統的歳時であった。上記の二項対立的枠組みのもと、調査の対象が限定された。また、同時期、日本の民俗学の「年中行事」の定義が韓国民俗学に導入された。

韓国民俗学の確立は、(1)近代/伝統の枠組みにおいては「伝統」を、地理的な領域においては「韓国」を引き受けたこと。(2)フィールドワークを行ったこと。(3)韓国人の伝統的生活の総体を、行政区画と民俗の項目によって把握し、分類したことによって可能となった。

日本の「年中行事」の定義が引用された理由は、(1)植民地時代に、すでに、朝鮮半島という地理的枠組みに適応する近代と伝統という対立の枠組みと、「年中行事」という民俗の下位分類、民俗の調査方法が成立していたこと、(2)大韓民国という民族国家のナショナリティを構築するのに植民地時代に構築された思考の型と調査・分類という方法が有効であったためである。

1990年代から現在までは第三段階にあるといえる。金大中政権の文化政策によって歳時風俗研究は進展した。しかし、ナショナル・アイデンティティを担うはずの民俗学研究の発展は、逆に、近代/伝統の枠組みとナショナルな枠組みとの一致を困難にさせている。それは、「歳時風俗」の概念の問い直しにつながっている。