総研大 文化科学研究

論文要旨

清沢洌の人民戦線論

文化科学研究科・日本歴史研究専攻 佐久間 俊明

キーワード:

清沢洌、ファシズム認識、人民戦線論、議会制民主主義、自由主義

本稿の目的は、戦前期日本を代表する自由主義的言論人・清沢洌(1890-1945)の人民戦線論の新たな解釈を提示し、さらに、そのベースにある清沢の自由主義思想を逆照射する視点を提起することにある。

そのための具体的な課題は、第1に、1936(昭和11年)、とりわけ、2・26事件以降の清沢のファシズム認識を提示すること。第2に、清沢のファシズム認識と人民戦線論の論理的連関を明らかにすること。第3に、清沢の人民戦線論の特徴をほぼ同時期に発表された他の知識人の人民戦線論と比較しながら明らかにすることである。

2・26事件(1936年)以降、政治勢力として暴走しつつある軍部と官僚が連携しながら国民への統制を強化すると考えた清沢は、既成政党(立憲政友会と立憲民政党)を中心とする議会勢力によるファシズムへの抵抗に期待していた。

このようなファシズム認識から提起されたのが、清沢の人民戦線論であった。清沢の反ファシズム人民戦線論とは、「帝国憲法=議会主義の擁護防衛」をスローガンに、既成政党を中心とした議会勢力を中核に、幅広く国民の結集を目指したものだったのである。

2・26事件以降、ファシズムの攻勢が強まる中で、清沢が議会制民主主義と言論の自由の擁護のために敢然と反ファシズムを主張したことは高く評価されるべきである。さらに、清沢は、自由主義の立場から、反ファシズム人民戦線の構築に向けた方法・戦術を提示し、時代状況との緊張した応答の中で、『時代・生活・思想』(1936年10月)の加筆部分にみられるように、社会大衆党評価の変更や知識人レベルにおける文化的な、反ファシズム人民戦線の動きへの着目等、その人民戦線論をより具体的な方向へと深化させようとした。このことは特筆に値する。

しかし、清沢の人民戦線論は、これまでの先行研究が評価してきたように、既成政党との連携を視野に入れた柔軟な議論ではなく、既成政党を中核とした人民戦線の提唱であった。したがって、社大党の下部組織や社大党系の労働組合、市民と労働者の連帯、知識人と市民とのつながりは、その思想的射程には含まれず、具体的な方法や戦術は示されなかった。残念ながら、清沢は、人民戦線の精神を理解していたとは言えない。

このことは、清沢の人民戦線論のベースにあった「心構えとしての自由主義」を逆照射する契機となるだろう。もし、清沢の自由主義思想が、鶴見俊輔の「合作の自由主義」につながるものであったならば、たとえ社大党の政策や指導者に問題があったとしても、反ファシズム運動を地域から創り上げようとしていた社大党の指導者・党員や社大党系の労働組合との「合作」を目指すべきだったのである。

我々は、清沢の自由主義思想の特徴とされる「心構え」や「合作」の内実や深さについて再考する必要があるだろう。