総研大 文化科学研究

論文要旨

近代日本における共和主義

―1920年代の丘浅次郎を通じて―

文化科学研究科・日本歴史研究専攻 佐貫 正和

キーワード:

共和主義、1920年代、丘浅次郎、レトリック、進化論、「奴隷根性」、天皇制国家、『猿の群れから共和国まで』、「不遇の楽しみ」、「自生的民主主義」

近代日本には共和主義とそれを支える基盤は果して存在しえたのだろうか。あまり研究が行われていないこの問題を研究するには、第1に思想家が公表した共和主義の言説の特徴、第2に思想家の思想形成と共和主義を根底で支えた基盤、第3に共和主義に対する社会的反応、第4に天皇制国家の特徴と共和主義に対する弾圧政策などを総合的に考察する必要がある。本稿は、私なりの共和主義研究の出発点として第1の問題を考察する。

本稿の目的は、1920年代前後の丘浅次郎(1868〜1944年)の言論活動を考察して、近代日本の「さまざまな共和主義」の中の1つの共和主義を明らかにすることである。一般的には丘は、約6万部出た『進化論講話』(1904年)で進化論を平易に普及した生物学者、進化論に依拠した社会批評家、東京高等師範学校教授として教育活動を展開した教育者などとして知られている。特に、『進化論講話』は多く注目されてきたが、1920年代の活動はあまり注目されていない。本稿の課題設定としては、先ず「新人と旧人」(1918年)を対象にして、レトリックを用いた天皇制国家の分析を考察した上で、次に「猿の群れから共和国まで」(1924年)を対象にして、共和主義に関わる各言説の特徴を考察する。

従来の共和主義研究史は、自由民権期や戦後期を対象時期にして、共和主義に否定的な見解をとるものが多かった。「日本における共和主義の伝統」を主張する家永三郎のような一部の研究者たちも、「史料紹介」や「史実解明」を行い、共和主義の存在を確認するにとどまった。本稿は、天皇制国家が未確立であった自由民権期や戦後期とは異なり、天皇制国家が確立したことによって共和主義の形成と公表が困難となった1920年代を対象時期にして、丘の共和主義の言説を分析すると同時に、丘の言説を根底で支えた発想と人生観を分析することによって、従来の研究よりも一歩ふみこんで共和主義を考察する。

従来の丘研究史は、主に『進化論講話』を対象にして、丘のレトリックを用いた言説や共和主義の意味を掘り下げることのないままに、丘を「帝国主義」や「社会ダ−ウィニズム」と批判する見解、加藤弘之の進化論と丘の進化論は同様に天皇制と両立したと捉える見解、「共和制にたいしても、丘は大した信頼をおいていない」と批評する見解、丘の国家観を国民国家の万能時代の産物と捉える見解などに分かれてきた。ただし、鶴見俊輔は、『猿の群れから共和国まで』を幅ひろく大まかなイメージで「大正時代の共和主義」と評価した。本稿は、鶴見の評価を継承した上で、鶴見の言及がないレトリックの特徴、奴隷根性論を通じた天皇制国家の分析、天賦人権論や民定憲法論と結びつく共和主義、共和主義を支えた発想と人生観などを総合的に考察する。

第T章では、「新人と旧人」を考察して、丘がレトリックを多用しながら奴隷根性論を通じて分析した天皇制国家の特徴を明らかにする。巧妙なレトリックが駆使された丘の作品の一部を選んで自分なりに解釈するという丘研究がもつ固有の制約を私も免れない。そこで本稿は、1920年代の時代状況の中で丘が生存競争の単位を読みかえて共和国の成立と階級闘争を見すえていたこと、丘がレトリックという方法を多用した理由とその効果、丘の奴隷根性=服従性という概念が天皇制国家を支える階級心理と天皇制的な人間関係を分析したこと、奴隷根性に対する丘の批判的立場などを考察することによって、丘が権力者・君主・民衆・家庭・軍隊が相互依存しあう関係概念としての天皇制国家を批判的に描き出したことを明らかにする。丘が、「在来の階級制度」を根底で支える奴隷根性を退化させる具体策として教育を重視したことも考察する。丘の教育論は、一方では、天皇制国家を支える教育儀礼や修身教育を、生徒に教師の言葉を信じこませる習慣をつけて、王権神授説を注入するイカサマと否定して、他方では、生徒1人1人が自ら問題を発見して解明する方法を繰り返すことで、「独立自尊の精神」という自由の習慣を養成する「疑ひの教育」を提唱した。

第U章では、「猿の群れから共和国まで」を考察して、丘の共和主義の各特徴を明らかにする。第1に、天皇制国家の弾圧を防ぎながら共和主義の一般公表を可能にした戦術として、丘のレトリックを考察する。第2に、進化論を軸にして生物学(自然史)と歴史学(人類史)を結ぶことによって、「猿の群れから共和国まで」変化する長大な人類史の考察を可能にした、丘の生物学的歴史観を考察する。第3に、丘が、天皇制国家を示唆する「世襲的の独裁王国」の分析を通じて、君命と国益、忠君と愛国、服従と生活などを同一化する原則と天皇制的な人間関係を否定したことを考察する。第4に、君主制を否定する天賦人権論や、人民が制定した権力制限を要とする憲法義務を君主権力に遵守させる民定憲法論と結びつく丘の共和主義を民主主義論として考察する。第5に、改造の肯定、理想の自戒、課題の提示などを一連の過程として同時に認識する丘の発想を考察する。第6に、「不遇の楽しみ」を対象にして、自我の拡充と立身出世、資本主義下の生存競争、天皇制国家、革命運動などの近代的な価値観を徹底的に軽蔑しつくす丘の人生観を考察することによって、「猿の群れから共和国まで」を根底で支えた感性的基盤を明らかにする。第7に、吉野作造と丘を比較して、丘の共和主義の特徴を考察する。

おわりに、丘の生存競争論や、階級社会の人間関係や君主制を否定する平等思想の特徴を改めて考察して、本稿が考察した丘の共和主義を定義することで、丘の共和主義の意義と課題を検討する。最後に、丘の共和主義を、天皇制国家内部で生み出された天皇主権を否定して人民主権をめざす「自生的民主主義」として日本の民主主義の中に位置づける。